暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)

  • 62人登録
  • 3.55評価
    • (4)
    • (7)
    • (8)
    • (3)
    • (0)
  • 13レビュー
著者 : 佐藤直樹
  • バジリコ (2008年1月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862380791

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)の感想・レビュー・書評

  • ちょっとあまりにも酷い。いまだに「子供の誕生」を無批判に引用するっていうのも脇が甘すぎだし、
    うつの蔓延は日本の世間がどうこう以前にアメリカ直輸入の診断基準と抗うつ剤がどう考えても大原因だろう。途中で馬鹿らしくなって流し読みしたが、明確に定義されない「世間」などというキーワードで一昔前の日本特殊論をぶつ、最近の目だった事象を脇に添えて、という程度の駄法螺本。
    これでアマゾン4つ星とは恐れ入る。

  • 著者によると、日本には「世間」は存在していても「個人」や「社会」は存在しない。
    言われてみれば確かにそうだと思った。最近の例では「LINEで既読サインが出ているのに、返信が返ってこない」事を心配するというものや「空気読め」という現象などの、いわゆるプチ世間によって、画一的であることが求められているということを感じた。

    また、子供の犯罪発生率が高くなったり、いわゆる「キレる子供」の増加について、マスコミが言うような「心の闇」ではなく、繋がったり群れたりしなければならなくなり、そこから「空気を読んだり、皆と仲良くして優しくなければいけない。弱さは見せてはならない。」という、一種の世間が誕生し、子供から、近代において一時期発生していた「小さな大人」に再びされてしまった。そこから息苦しさを感じて上記のような子供が増加したと述べていた。

    私も、マスコミの言うことには疑問を持っていたので、すんなり納得。確かに周りを見てみると、子供を子供ではなく、ビジネスの対象などにする「小さな大人」と扱ってしまう人が増えていると感じている。

    これらの「暴走する世間」の解決には、やはり著者の言うように、「当たり前だと思っていることについて一度疑問を持ってみる。」ということが大切だと思った。例えば「社会人なんだから、学生なんだから云々・・・」という言葉も、一度定義し直し、自分の信念に合致するかを検討するのが良いではないだろうか?そして信念と合致しないならば、自分の信じる道を行けば良いのではないだろうか?

    長くなったが、当たり前のことを一度疑ってみて、そこから自分の信念に従って行動するのが最善の策だと感じた。

  • 直感を信じる。心のざらつきに従う。私は「世間」にいるのだという自覚。

  • 安部勤也の後をつぐ人かもしれないので注目!目下熟読中。

  • 201003/世間とは:「身内以外で、自分が仕事や趣味や出身地や出身校などを通して関わっている、互いに顔見知りの人間関係」、「個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている」、「日本人が集団となったときに発生する力学」、「人々が生み出す集団の観念、つまり一種の共同幻想」/欧州では、キリスト教の全面的支配によって「世間」が否定され、社会が成立する:「告解」により神に内面を告白することを通じて個人が形成される/様々な具体的事象をひとつにパッケージ化する「いじめ」という言葉の登場によって、子供のいじめ減少は社会問題としての市民権を得た/「いじめ」が見えないのは、大人が見ようとする努力がたりないからだということで、学校で生徒を管理する視線がますます個別化され強化される。その視線の強化が学校現場にある種の息苦しさを生み、逆に「いじめ」を再生産するという悪循環の原因となっている/現在日本のいじめの背後に存在するのは「プチ世間」の同調圧力/日本人は競争的環境に置かれた場合に、仕事よりも隣の人間を気にするようになり、かえって能率が落ちる/恋愛は男女が平等の個人として相互に認め合わなければならない。恋愛が結婚からではなく不倫から始まったのは相互に平等だったからである/「愛」を原理とする近代家族(対幻想)の成立は、外部の市場経済・商品経済を原理としてもつ社会(共同幻想)に対立する、独自の位相を獲得することになった。これは、家族は社会と対立する、すなわち愛情原理は市場原理と対立するという考え方を含んでいる/「世間」では「平等な個人」が存在しない以上、原理的に恋愛は存在しない。恋愛が存在しない以上、家族のなかで夫と妻の間にも「愛」は存在しない:日本の家族愛は共同体に対する「滅私奉公」のこと/日本人はみな「自然宗教」の信者である。ゆえに「呪術性」を持った商品をしかければ必ずあたる:バレンタインデー、節分恵方巻き/日本には年中行事のような「円環的時間」しかなく、西欧にあるような「歴史意識」が存在しない。「世間」にとって歴史とは、あらかじめ計算できるものではなく、突然襲いかかってくる台風や嵐などのように受身で体験する事件でしかなく、歴史的事件に見舞われても、しばしの間耐え忍んでいれば通り過ぎてしまうものと感じられている/キリスト教会は「贈与・互酬の関係」に根付いた贈与慣行を否定し、生きている間の善行への「お返し」は死後に天国に行けますよというかたちで、贈与慣行を現世から来世へ転換した/欧州には「風景の共同感情」が存在し、それを支える理念こそが、日本にはない「公共性」である/パブリックはオフィシャルとは違う:「オフィシャルなんていうのは、一つのプライベートじゃないか」/欧州における「パブリック」とは国家に対抗した関係の中で生まれ、市民的公共性として確立していった/それまで「世間」が一種のセーフティネットの役割を持っていて、80年代までは相対的に景気がよかったために、人々に余裕というものがあった。「世間」の「贈与・互酬の関係」や「共通の時間意識」は「お互い様」という相互扶助や「やさしい関係」という共生感情を生み出す。これが「世間」のウチでセーフティネットとして機能していた。ところが90年代以降の不況の時代に入ると、人々にこうした余裕が失われ、セーフティネットとしての「世間」の機能がだんだんと後退し、「世間」の権力性や抑圧性といったネガティブな面だけが目立つようになった。「世間」の息苦しさや閉塞感が前面にせり出したのである/

  • 大学の図書館で本を探していたら
    たまたま向かいの本棚にあったこの本が目に入ったので借りてみた。
    今まで読んだことのないジャンルの本である。

    私は「世間学」というものの存在を知らなかったので、
    世間という切り口から日本の社会を説明していくところは新鮮に感じた。
    語り口が軽妙なのでとっつきやすいかもしれない。
    昨今の重大な事件や身近な「あるある」と思うようなことまで
    「世間」という観点から語られる。
    以下、目次からの抜粋。

    はじめに 「強い個人」になる必要なんてない
    第1章 ラジカルでヤバイ世間学―「世間学的エポケー」のすすめ
    第2章 いじめ論―子どもの「プチ世間」の登場
    第3章 うつ病論―「心理主義」はインチキである
    第4章 恋愛論―なぜ日本の男はマザコンなのか
    第5章 宗教論―正月の初詣は「宗教行事」なのか
    第6章 ケータイ論―再生産される「世間」
    第7章 風景論―公共性とは何か
    第8章 格差社会論―暴走する「世間」

    そして「おわりに 阿部謹也さんの死」で本が終わる。
    何も知らない私はへーそんな人がいたのかと思ったが
    この阿部氏は世間学の提唱者、第一人者であるらしい。
    今度阿部氏の本も借りてみようかなあ。

    世間というものに違和感、息苦しさを感じる人は
    読んだらいくらかスッキリするかもしれない。
    というか、私はすっきりした。
    しかし海外に移住でもしない限り、その世間で生きて行くしかないんだよなぁ。
    ということで著者の新刊(暴走する「世間」で生きのびるためのお作法)が役に立つのかな??

    しかし同じネタが違う章でも出てきたりして「あれーこれさっきも読んだのに」なところがあったり。
    でも総合的には個人的にかなり面白かったと思う。

    そして図書館ってこういう本の出会いがあるから好きである。
    アマゾンだと興味のある本に関連する本は出してくれるけど
    ぜんぜん分野の違う本は出てこないからなぁ。

    【2009/09/16 読了】

  • サッカースタジアムで読んでたので サポって世間なのかなぁ とおもいつつ。

  • 『暴走する「世間」』というタイトルから、日本社会の現状への批判的分析を期待したのだが、残念ながらほとんど肩すかしであった。西洋社会とは異質な日本社会の特殊なあり方としての「世間」への注目は、阿部謹也によってはじめて問題提起されたのだが、この本が語る世間論は、阿部の慎重な考察とは違ってきわめてアバウトな評論家ふうの叙述となっている。「世間」の構造にメスを入れるというよりは、あれこれの事象を取り上げては、そこに「世間」の影を見つけ、「社会」と「個人」の不在をあげつらっているばかりだ。

  • 「日本には公共性はない」というのが「世間」と「公共性」の違いを説明するロジックなのだけど、「なさ」をもうちょっと説明してほしかったかな。

  • なんでも「世間」のせいにしてしまう論理の飛躍は否めませんが、概ね同意できる。日本には市民がいないという話をよく聞いてましたが、その意味がわかった。

  • 面白い。こうも読めるのでは?ああも読めるのでは?といろいろ思索が湧いてくる。

全13件中 1 - 13件を表示

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)の作品紹介

日本社会の見えない掟、それが「世間」である。事件が起きマスコミで報道されるたびに「犯人」にたいして極端なバッシングが起きるのも、「空気を読め!」という無言のプレッシャーが生じるのも、ケータイを使ったいじめが起きるのも、「世間」という同調圧力のなせるわざ。「お世話さまです」「おかげさまで」といった物言いにもさりげなく顔をのぞかせ、いじめ・うつ病・自殺の引き金にもなる「世間」の力学とは?バブル崩壊以降とみに暴走しはじめた「世間」の危ない構造にメスを入れる長編評論。

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)はこんな本です

ツイートする