昭和のエートス

著者 :
  • バジリコ
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  • / ISBN・EAN: 9784862381187

感想・レビュー・書評

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  • P26
    人の知性の深みは
    その人が抱え込んだ
    葛藤の深さと相関する

    P245
    私たちが人を羨むとき
    私たちが羨望しているのは
    美質そのものではなく
    そのような美質について
    羨ましがられている当の人間は
    意識しないでいることができるという
    あり方なのである ※

    P37
    自分自身の中から浮かび上がってくる
    「自前の欲望」の声に耳を傾けることが
    できる人はそれだけですでに豊かである

    P37
    他者の欲望には想像でしか出会えないが
    自前の欲望は具体的で
    それゆえ有限だ ※

    P44
    「論争できる」ということは
    すでに論争当事者間で
    前段階的なコミュニケーションが
    成り立っているということを意味している。
    論争が「できる」ということは
    論争の相手に対するある種の敬意の表現である

    P168
    「性差にかかわりなくすべての人間は
    権力、威信、財貨、情報、文化資本などの
    社会的資源を欲望している」
    という言明は
    裏返しに読めば
    「社会は同質的な個体によって形成されているし
    形成されなければならない」
    という遂行的・当為的な言明に読み換えることができる

    P192
    自分が卑小な人間であることに苦しみ、
    自分を大きく見せようとする人間は
    必ずコピーキャットになる

  • http://naokis.doorblog.jp/archives/70_years_after_Aug15_1945.html70年目の敗戦日〜70年前の少年少女たちの証言に耳を傾ける

    目次
    第1章 昭和のエートス
    第2章 国を憂うということ
    第3章 情況への常識的発言
    第4章 老いの効用、成熟の流儀

    私的昭和人論
    011 明治人に明治維新があったように、「昭和人」には昭和20年8月15日という「断絶」があった。
    011 断絶は「断絶以前」を自分のうちに抱え込んだまま「断絶以後」の時代を生き延びることを選んだ人間にとってしか存在しない。
    014 「真ん中でぽっきり折れた」人生を抱え込んだままの人 1910年から1935年の間に生まれた人々
    016 「昭和人」・・「断絶以前」の自分と「断絶以後」の自分との不整合を個人的な葛藤として苦しんだ人々。
    018 「非科学的なものへの倦厭」と「科学志向」は間違いなく「昭和人」の特徴である。
    029 ベトナム戦争と文化大革命は、ある意味で「西洋の物質文明」に「東洋の精神文明」が勝利するという「大東亜戦争」の果たされなかった夢の迂回的実現であった。
    030 「戦後レジームからの脱却」というのは言い換えれば敗戦を「断絶」として受け容れることを拒否するということ。

    貧乏で何か問題でも?
    033 相対劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを「貧乏」と言う。
    033 近代以前には、この種の貧乏は存在しなかった。
    033 貧乏は「人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と宣言した「人権宣言」によってはじめて公式登録された。
    034 貧乏は近代市民社会とともに誕生したのである。
    034 貧乏とは、私が端的に何かを所有していないという事実によってではなく、他人が所有しているものを私が所有していないという比較を迂回してはじめて感知される欠如である。
    035 「○ビ」の特質とされたのは、「他人の所有物を羨む」というメンタリティそれ自体だった。
    036 資本主義市場経済とは、できるだけ多くの人が「私は貧乏だ」と思うことで繁昌するように構造化されたシステム。

    負け方を習得する
    053 「適切な負け方」
     第一「敗因はすべて自分自身にある」と自省すること
     第二「この敗北は多くの改善点を教えてくれた」と総括すること
     第三「負けたけれども、とても楽しい時間が過ごせたから」という愉快な気分で敗北を記憶すること
    054 勝つ以上に多くの利益をもたらす負け方がときにはある。

    北京オリンピックが失うもの
    057 オリンピックによって、東京にわずかに残っていた「戦前」的な風景はほぼ根絶された。
    062 日本が東京オリンピックで失ったもの「何となく風通しのよい敗戦国の脱力感」
      中国が北京オリンピックで失うであろうもの「貧しさとつきあう知恵」

    なぜ私たちは労働するのか?
    122 私たちが労働するのは、自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティブであるためでもない、生き延びるためである。

    善意の格差論のもたらす害について
    125 問題は反対する人がほとんどいない主張(例えば「世界に平和を」とか「地球環境をたいせつに」とかいう主張)は具体的にそのために何をするのかについての議論では人々の意見がたいていの場合一致しないということである。
    130 不徹底な能力主義(既得権を確保しておきながらの)より徹底的な能力主義においてこそ弱者の救済は果たされるであろうという奇妙な結論
    131 弱者一般の救済ではなく、能力のある弱者のみの選択的救済
    137 現在の格差社会論は「私が格差上の不利益をこうむっているのは、本来私に帰属すべき資源が他者によって簒奪されているからである」という言明から出発する。この前提から出発すると、どれほど強弁を駆使しようと、論理暦に導かれる結論は「無差別的能力主義」以外にない。それは能力のないものの口からパンを取り上げることを「フェアネス」と呼ぶことである。
    138 強者とは「リスクをヘッジできる(だから、何度でも失敗できる)社会的存在」
       弱者とは「リスクをヘッジできない(だから、一度の失敗も許されない)社会的存在」のことである。

    市場原理から教育を守るために
    144 非人間的な児童労働がもたらす身体的・道徳的な荒廃から少年少女を守ることが学校教育の義務化の最初の、そして最大の目的であった。「教育を受けさせる義務」は保護者たちの子どもに対する権力を規制したものであり、子どもたちに学校に通うことを義務づけたのではない。
    145 教育の有用性をブルジョワたちに納得させるために、リベラルな教育学者たちは公教育の費用対効果を力説したのである。
    148 学びとは、学び終わったあとになってはじめて自分が学んだことの有用性や意味について知ることができるという順逆の転倒したかたちで構造化されている。

    学校なんか放っておけ
    159 教育について生産的なのは、「こうしなさい」「こうすればよい」という一元的な制約を設けないことである。

    神戸女学院大学の生態学的地位
    164 男女雇用機会均等法の改正(1999年)
     女性労働者にとって「就職機会の増大」
     企業経営者にとって「選別機会の増大」・・・「政治的に正しい」コストカットが実現できる
    169 「生態学的地位(エコロジカル・ニッチ)」・・同一の空間に生物がひしめきあって、限定されたリソースを分かち合っているときには、種によって活動時間や活動範囲や食性を異にする方がシステム維持上安全である。
    169 グローバル資本主義にとっての理想とはすべての人間が同室集団を形成すること。

    惰性の手柄
    175 「惰性が効いている」制度は、多少現場の人間の出来にでこぼこがあってもそれなりに回る。優れた経営者は「自分がいなくても経営が停滞しない」ような経営システムを構築する。
    175 日本の政治や官僚の制度だってそうである。日々の報道を信じるならば、日本の政治家や官僚の不出来はかなり危機的レベルに達している。しかし、なお我が国の根幹は揺るがない。それなり法治が行き届き、それなりに通貨が安定し、内線もテロもなく、国民は日々鼓腹撃壌の太平を謳歌している。
    176 教育制度も同じく、個人の資質がいかに不出来であっても制度全体としては揺るぎなく機能するように構築されるべきではないか。

    まず日本語を!
    202 独創性は母国語運用能力によって支えられるというと意外な顔をする人が多い。だが、創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉かしている場合だけである。母国語を話していながら「次の単語」が出てこない人間、階層構造をもった複文が作れない人間はどのような知的創造ともついに無縁である他ない。

    「モンスター親」は存在しない
    210 自己利益追求のために人々があまりにも要求をつり上げ、他者に対して過度に不寛容になると、社会システムが機能不全に陥ることがある。クレームによって確保される利益と不慣用がもたらす不利益のどちらがより大であるかについては、慎重な吟味が必要だろう。

    彼らがそれを学ばなければならない理由
    213 学ぶ者は自分が学ぶことの意味を適切に言うことはができない。だからこそ学ばなければならないのである。

    アジア的宗教性
    228 一神教が生まれたのは、エジプト、パレスチナ、アラビアという中近東のかなり狭いエリアに集中しているが、ここは環境的多様性においては、世界でもきわだって単調な場所である。生物種の変化の少なさと、神性の単一性の間にはおそらく何らかの関係がある。
    228 私たち日本人が神格の多様性を神格の揺らぎとしてではなくむしろ神性の豊穣さとして受け止めているからであろう。

    隠居の愉しみ
    235 団塊世代が「欲しがるもの」・・・10台から20代にかけての時期、「ビンボーだったので買えなかったもの」

    お金と幸せ
    241 ヒッチコック「サイコ」「金で幸福は買えない。でもね、お嬢さん。金で不幸を追い払うことはできるんだよ」
    243 「金持ちであることの利点の一つは金のことを考えなくてよいことである。」
    244 「お金と幸せ」から最大のベネフィットを引き出したいと望むなら、「お金と幸せ」についてできるだけ考えないようにすることである。

  • 2008年の当時の社会問題を思い返しながら熟読。

    昭和人とは、終戦によってそれ以前の昭和との「断絶」を経験し、それを身に引き受けて内省しえた識者たちのこと、という規定はおもしろい。

    だが、本編はふだんどおり、2006-08年ごろブログの書き散らしの論考や各種の媒体への寄稿文をまとめたもので、テーマに一貫性がなく、ややもの足りなさを感じてしまう。

    あと、教育についての論は、やや教育者としての保身を感じるせいか、突き詰め方がユルい。教師が駄目人間でも生徒がまっとうな人間に育つように教育システムを制度設計すべきだとか、教育は市場原理から解放されねばならない、と言う極論はおいおい、と思う。インフルエンザのために休学になった授業の補講がない、というのも、割高な私大なのにおかしい。教官が働かないのに給料もらえてトクするだけでしょ。それを理屈こねて納得させようとしてるだけ。

    受験で負担になる教科(世界史)を教えるようにすべき、という回答にふさわしいのは、「それを知ってたら、旅行行ったり、ドラマや映画観たりするの楽しいよ♪」で十分じゃないかと思うけどな。

    考え方としては面白いし、鋭いメスの入れ方をするのだけど、たまに、それ言っただけでどうなるの、センセイ?って思うこともしばしば。そこが学者の限界か。

    赤木智弘とかいう出来の悪い格差論者の「希望は戦争」を論破した一考はすがすがしく、拍手を贈りたい。あんな他責的なアホがいるせいで、ロスジェネは使えないと思われるのは心外だ。

    「社会が危機的状態に立ち至ったときに、相互支援する組織に属さない孤立した労働者に社会上昇のチャンスはほとんどない」
    「私たちは近代市民社会の起源において承認された前提が何だったかもう一度思い出す必要があるだろう。それは「全員が自己利益の追求を最優先すると、自己利益は安定的に確保できない」ということである」

    この一文を読んだだけでも価値がある。

  • 2014/03/05

  • 2006年~2008年の間に様々な媒体に寄稿した文章の寄せ集め本。
    昭和のエートス的な話は最初だけ。
    テーマごとにまとめられてるようで、そんなにまとまってもない。

    とは言え、私はいつも気になる個所に付箋を貼って、後で反芻するんですが、
    気が付くと今回も付箋だらけになっていました。

    第4章『アジア的宗教性』で内田先生は、
    「どういうわけだか私はバリに来ると異常に眠りが深くなる」と書かれていました。
    そして今日twitterで「バリに出発します」とつぶやかれていました。
    今頃先生は深い眠りについておられることでしょう。

    こういうシンクロニシティ、とても好きです。

  • 内田樹の雑稿集。確たる知性と芯と信条のある人は何を書いてもいつ書いてもぶれないものですな。

  • リフォーム中だったはす向かいの家に見学会の幟が立っている。曰く「今、甦る昭和の家」。黒板塀に見越しの松を配した平屋の家は、プレハブ建築が目立つ町内ではレトロな雰囲気を醸し出している。眺めているうちに、前の道がまだ舗装されていなかった頃、雨上がりの水たまりに青空が映っていた風景を思い出した。映画「ALWAYS三丁目の夕日」のヒットが示しているように、いつの頃からか「昭和」がひそかなブームになっているらしい。しかし、また何故、今「昭和」なのだろうか。

    現在の世界同時不況は最早「恐慌」と言っていい。派遣切りに象徴される格差社会は職もなく住む家も持たない人々を排出し続けている。平和ボケと言われ、薄っぺらでのっぺりした時代を何ら危機意識を持つこともなしにぬくぬくと生きてきた現代人が、自分たちを取り巻く状況の息苦しさにようやく気づきはじめ、貧しくはあったが楽しかった「昭和」にノスタルジーを感じているというところだろうか。とはいえ、同じ昭和でも戦争中や戦前はそこには入らない。

    「一九五〇年代初めから一九六〇年代初めまでに日本社会に奇跡的に存在したあの暖かい、緩やかな気分を「昭和的なもの」として私は懐かしく回想する」と内田は言う。1950年代初めといえば、戦後の混乱期がようやく治まり、人々が平和の有り難味を享受しだした頃だ。そこから1960年代初め、つまり東京オリンピックのために東京が大改造を受ける頃までといえる。

    なぜその時代がそうまで懐かしく感じられるのだろうか。その答えは「昭和人」にある。「昭和人」とは「昭和生まれの人間」のことではない。「昭和という時代を作り出し、生きた人」のことである。明治時代を作ったのが明治生まれの人間でないのと同じだ。手持ちの辞書によると「エートス」とは、「社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習・習俗」を表している。「昭和のエートス」とはどのようなものであるか。

    江戸時代に生まれた人間が明治維新という「断絶」を受けとめ、明治時代を作ったように、明治末期から昭和初期に生まれた「昭和人」は、敗戦という「断絶」を経験し新生日本を立ちあげなければならなかった。骨絡みに染みついた国家主義を半身に引き受けながら、それをメスで一つ一つ切り離すようにして、科学信仰と民主主義という戦後の価値観を残る半身に移植するという荒業をなしとげた「昭和人」に対して内田は敬意を示す。典型的な「昭和人」として内田が挙げているのは、吉本隆明、江藤淳、太宰治である。彼らは「断絶」を内に抱えながら「断絶以後」を生きることによって、「断絶」を知らないそれ以前の世代や以後の世代の持ち得なかった深い知性を持ち得たからである。

    1952年に連載が開始された『鉄腕アトム』は「断絶とそこからの再生」の物語だと内田は言う。狂気の天才科学者天馬博士が作り出したアトムは知っての通り機関銃を装備した「兵士仕様」だった。成長しないことを理由に捨てられたアトムはアイデンティティの再構築を計る。その足場となったのが、お茶の水博士に代表される「正しい科学技術」とタマちゃんやヒゲオヤジが代表する「学校民主主義」である。あの『鉄腕アトム』が、捨てられた「兵士仕様の子どもたち」が科学と民主主義に支えられることによって存在理由を見出してゆく物語、と読み解かれるのである。目からウロコとはこのことである。

    騙されて神懸かり的な国家主義に熱狂した記憶を持つ「昭和人」は、「科学志向」と「民主主義」を新しい指針とする一方で、加害に荷担したことを恥じ、自制する風儀を持っていた。「恥じ入ること、謙抑的であろうとすること」は戦後の一時期、ある年齢の人々の基本的なマナーであった。(戦争に負けたのだから)みんなそれぞれ好きにやればいいじゃないかと、人のやることにいちいち目くじらを立てないようなところがあり、それが世の中の風通しをよくしていた。そういう「昭和のエートス」が、東京オリンピックの頃を境に日本から消えていくようになる。

    それは、オリンピックを国威発揚の機会ととらえ、伝統的な胡同(フートン)を前近代的な残滓としてあっさり破壊してしまう中国においても同じである。「北京オリンピックが失うもの」で内田はこう書いている。「貧しさ、弱さ、卑屈さ、だらしのなさ……そういうものは富や強さや傲慢や規律によって矯正すべき欠点ではない。そうではなくて、そのようなものを「込み」で、そのようなものと涼しく共生することのできるような手触りのやさしい共同体を立ちあげることの方がずっと大切である。」

    日本には、もうあの緩やかな時代が戻ってくることはないだろう。しかし、あの時代の空気を肌で知る世代の一人として、ただ懐かしんでばかりはいられない。弱者が切り捨てられようとする時代であるからこそ、なおさらに「手触りのやさしい共同体」の再生が希求されるのである。国家論、教育論と硬質な話題が目立つが、アトムの例からも分かるように斬新な切り口は読者を魅了する。「日本人の社会と心理を知るための古典二〇冊」の中に愛読書を何冊見つけられるか、同世代は勿論のこと、若い世代の読者に是非読んでもらいたい好著である。

  • 素晴らしかった。
    内田樹先生、さすがだ。

  • ちょっと散漫な内容なエッセイ集。(以下引用)

    個人がリスクを取り、努力をし、その報酬として得た利益については優先的な請求権があるというルールを認める限り、私たちは構造的に弱者を必要とするのである。(中略)徹底的な能力主義の導入による格差解消という構想のアポリアはこの点に存する。すなわち弱者の側からする「より合理的なシステム」の要求が、要するに弱者の入れ替えをしか意味しないということである。(P.132)

    学校教育が資本主義市場経済よりも歴史的に早く登場した社会制度なのである以上、その存在理由や存在しなくてもいい理由を市場経済の用語で説明しようとすることには原理的に無理がある。(P.144)

    国民は「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」と定めた憲法26条には「児童は、これを酷使してはならない」という27条の文言が続くのである。近代の憲法が定める教育にかかわる国民の義務規定は端的には、子どもは資本主義の市場原理にさらすなと命じているのである。(P.144-145)

    学校というのは原理的に言えば「それが何の役に立つのか」を子どもたちがまだ知らないし、それを表現する語彙を持っていないことを教わる場である。というより「それが何の役に立つのか」を子どもがまだ知らず、言葉で表現できないからこそ子どもは学校へ通わないといけないのである。学びとは学び終わったあとになってはじめて自分が学んだことの有用性や意味について知ることができるという順逆が転倒したかたちで構造化さえている。(P.148)

    「この問題の発生は私の責任があり、この問題の解決についても私の責任がある」という言い方が存在することを日本人は忘れてしまったかのようである。(P.205)

  •  この人の思考のエリアを把握してやろうと、読んでいる。

     結構読んで思うのは、この人の思考の根源をもう少し知るために、

     この人の読んだ本に興味を示し始めてる自分がいるということ。


     この人を超えることなどただの私には到底できないだろうけれども、もう少し掘り下げて向き合いたいと思い始めたのはとても意味のあることに思う。



     あれだなぁ。いいのか悪いのか分からんが、うがった見方をすれば、
     筆者はマイノリティ的精神を持って、マジョリティにうまく溶け込むすべを得ていて、その架け橋になるべく、言葉の足りない私(もしくは私に似た思考の人間)に思考の明確化を促してくれているように勝手に思っているんですけど、

     架け橋としての役目が更なる均質化へ向かうのではないかという危惧があって、でも私が人に理解してもらいたいと願い外部に向かう行為は、全てまたその均質化に向かうんだよなぁ、とか思う。

     私の思考は、うまく整備されてない。優先順位が付けられない。規則正しくできないことが、思考にも及んでいて、それが自分を「頭の悪い人間」だと思うんだけれど、どうにかならんもんか・・・。

     『あなたはバカじゃない。』と何人かの人に言われたことがある。
     それを聴いて、喜ばないでいられるだけの思慮深さくらいはあるみたいで、
     それはバカじゃないけど、頭の良い人間ではない、ということで、
     私が苦しんでいるのはそこで、
     その裏をかくことができるくらいの思考なんて、正直無駄だよ。


     中途半端さなんかいらない。バカならば、気持ちのよいくらいのバカになりたかった。そうじゃなければ、悩まないで済むだけの思考力がほしい。
     体系だった思考のモデルが良く分からなくて、そんなのあるのかわかんないけど自分のがとり分けわかんなくて、


     この本を読んで決めた。
     しばらくこの人を、ロールモデルに決めてみる。

     なんのこっちゃ、このレビュー。

     

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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