- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862485472
感想・レビュー・書評
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30年ほど前に高校の日本史で”長篠の戦い”を学んだときから、武田勝頼はなぜあのような戦い方(何度も騎馬隊が柵に受かって突進した)をしたのかを不思議に思っていました。しかし、この本には実際にどのような戦い方をしたかが説明されており、興味深く読むことができました。
最近は、桶狭間の戦いや本能寺の変等、本当はどのような戦いをしていたのを解明して、それらを発表することができるようになってきたので良い傾向だと思います。実際のところは、記録されているような”華々しい”ものばかりでは無かったといことが明らかになっていくと思いますが、事実を知ることが”飾られた歴史”を読むよりも、実際には役立つのではないかと思います。
以下は気になったポイントです。
・織田軍の各部隊にはそれぞれ銃兵がいて少なくとも500人はいた、信長はそれらを抜き出して臨時に編成する力を持っていたこと、臨時に任された奉行が付けられていた(p35)
・有名な鉄甲船も、それが信長の新発明であったならば太田牛一は信長公記に記録したはずであるが、一言も触れられていない(p40)
・火縄銃の発射準備が長いことを問題にしてきたが、発射準備が人により銃により一定しないという肝心なことが忘れれてきた(p61)
・外国人から見た日本騎馬武者の特徴、1、2)日本の馬は劣っていて、暴れる、3)蹄鉄の代わりに藁沓、4)外国では馬上で闘うが、日本は馬から下りて闘う(p68)
・織田徳川軍の銃兵の有効射程に入るのは、騎馬武者よりも銃兵が先である(p71)
・別働隊は鳶の巣山砦を落とし、長篠城を確保した上に、武田の包囲軍を一掃してしまったので、勝頼は前後を敵に挟まれることになった(p117)
・前後を挟まれた武田軍は、午前11時頃には総攻撃を開始して、午後2時には総崩れになった(p124)
・長篠の戦いにおける死者は雑兵ふくめて2000人であったが、多くは追撃の際に打たれた、一番痛かったのは、信玄以来の上級、中級武将の多くが討死したこと(p129)
・長篠の戦いは戦術革命ではなく、それまでの戦術の流れを集大成したものであり、後世にも引き継がれているもの(p194)
・武田勝頼の気持ちとしては、敵が別働隊に兵力を割いたことは、主力の人数がそれだけ減ったことであり、いずれは挟撃されるのが予想されるので、現在無傷の自軍の主力で敵の主力を叩こうとした(p226)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これも同じでもつと足りないところがあっても
結論をいってほしいね。。