桶狭間の戦い (歴史新書y)

著者 :
  • 洋泉社
3.08
  • (2)
  • (2)
  • (4)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 45
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862486400

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この本は、あの有名な「桶狭間の戦い」に関して様々な説が出ている(と私は思っていました)中での最終解答のようなものでした。結論から言えば、30年前に私が高校の日本史の授業で習った後でも、数々の歴史番組等で語られてきた内容とは異なり、織田信長が今川義元に勝ったのは、迂回攻撃でも雨の中の突撃でもなく、正面攻撃で雨が止んでから行ったということです。

    本の内容を引用すれば、信長が雨があがったところで前軍を攻撃し、撃破された前軍の混乱が後方の義元の本陣に波及、全軍総崩れとなった(p46)が解答のようですね。

    確かに、高校生の時にも、軍隊が昼食をとる場所を、谷間に誘導できたのだろうかと不思議に思っていましたが、実際には桶狭間「山」という高台に陣を構えていたようですね。少し拍子抜けのような気はしましたが、この本に書かれていることは、歴史界ではほぼ定説になっているようですね。

    この本にも書かれているように、桶狭間の戦いは、戦史上において、総大将が討ち取れた唯一の戦いと言われても良い、特別な戦いなので、さらなる研究結果が出てくれば楽しいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・長篠の戦において、武田軍の銃兵の射撃によって、織田・徳川軍の銃兵がバタバタ打倒される様子を描いた「長篠合戦図屏風」の異本がある(p10)

    ・信長が雨があがったところで前軍を攻撃し、撃破された前軍の混乱が後方の義元の本陣に波及、全軍総崩れとなったのが、「信長公記」の素直な読み方(p46)

    ・義元の旗本の奮戦ぶりは大したもの、大混乱の最中に300人もの人間が結集しただけでも称賛に値する(p54)

    ・主力決戦が午後に起きたケースは珍しい、信長の積極的な陣頭指揮と部下の勇戦奮闘により勝利が得られたのは幸運である(p57)

    ・近代国家の兵士は、軍律・社会的制裁・愛国心で縛られているから将軍は兵士に理不尽な戦闘を命じることができるが、戦国武士は、主人との間の契約関係で動いていたから限界がある(p60)

    ・桶狭間の戦いの後、後継者氏真が降伏したのは9年後、姉川の戦いで浅井・朝倉を破って目う防させたのは3年後、長篠の戦で勝頼を破って滅亡したのは7年後であり、決戦勝利が敵の滅亡に直結していない、これは秀吉・家康とは異なる(p65)

    ・桶狭間の戦いまでに、赤塚・萱津・村木砦・清州城・稲生・浮野・岩倉城攻略で、寡兵で大軍を破っていて、信長の実力は知られている(p172)

    2013年5月18日作成

  • もうちょいだね。
    漫画「センゴク」でも今、桶狭間軍記を読んでるけど
    確かに奇襲説は疑わしい。

    だけど小勢がどうやって今川に勝ったのか?の結果論でも
    少しは論理的な帰結が欲しいから今でもいろいろな説がでるんだよね。

    正面から布陣してどうかったののかなー。鉄砲の威力で
    今川が意外にもろく崩れたとか?

    でも鉄砲が威力発揮したとか書いてないしね。。。

    信長さん、教えてー。

藤本正行の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×