子育てのパラドックスーー「親になること」は人生をどう変えるのか

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制作 : 高山真由美 
  • 英治出版 (2015年12月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862762092

子育てのパラドックスーー「親になること」は人生をどう変えるのかの感想・レビュー・書評

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  • ***途中***【子育て・教育】子育てのパラドックス/ジェニファー・シニア/20160512(62/488)<387/41868>
    ◆きっかけ
    ・日経広告

    ◆感想
    ・著書は米国の中流階級の子育てについて、全米多数の親にインタビューして、主として親側の視点から描いたルポ。綿密な取材にづく抱負な適切な実例を挙げており、各家庭の状態、困ったこと、それに対してどう判断したか、その時の葛藤や気持ち、後日談等々、子供が親に与える影響について丁寧に描写している。最終章では、幸せや喜びについて、特に子育てにおけるこれらのものをどう考えたらよいかについて述べられており、読者が上手く気持ちを整理できるような構成になっている。
    ・結構な文量だったのに加えて、(図)の返却期限が数日後だったが、著書に引き込まれ、途中第5章をスキップしたが、一気に読み終えた。読んでいる途中、はたと自分自身の子育てに照らし合わせて考えさせられ、不安になったり、辛かったりした、と同時に、ルポの特有の淡々とした描写が手伝って、自分の置かれている現状を客観視することが出来たことによって、子育てのストレスが癒された感を持てた点、子育てをどう捉え、幸せをどう解釈したらいいのかヒントを得られた点で、良書だと思う。
    ・独身時代はピンとこないだろうし、逆に結婚へのためらいが増すだけかもしれないが、これから親になる夫婦の頃には読んでおきたかった。
    ・考えさせられた点は、「現代の父親はいままでのどの世代よりも育児に熱心ではあるが、やはり海図のない航路での試行錯誤を強いられている」との指摘から自分達の子育てについて、適切な方向に向かっているのか?そうでないならどうしたらいいのか、等々。このあたりから、一家庭のインタビューが終わっては本を閉じ、立ち止まり考え、再び本を開くの繰り返しになった。
    ・著者が繰り返し警鐘のように述べている、「今日の親はいままでのどの世代の親よりも多くの資本を子供に注いでいる。しかし、子育てというこの新しい仕事においてすべきことはなんなのか、正確なところはわかっていない。子育ては唯一無二の活動になったが、ゴールが明確であるとはとても思えない。子供はもはや経済的資産ではなく、収支のつじつま合わせをしようとするなら、未来の資産であると思うしかない。しかも恐ろしいほどの投資を必要とする。信念もいる。さらに、現代の親は子供の心の幸福にも責任を負っている。これは称賛すべきゴールかもしれないが、曖昧で必ずしも現実的なわけではない。子供に自信を持たせるのは、読み書きを教えたり、タイヤ交換の仕方を教えたりするのとは違うから。」と。だから、課外活動、習い事のスケジュールをびっちり埋めて、機会損失を防ごうと親たちは皆躍起になってしまう、「軍拡競争にも似た、問題のある心理、辞められるものなら喜んで辞めたいと思っている。しかし、やめるのは遅れをとることと同義なのだ」また、「過干渉な子育ては将来についての新たな不安や戸惑いを反映している。現在の中流階級は、将来うまくやっていけるように子供を完璧に教育しなければならないという信念に支配されている。しかし、そのための努力は支離滅裂で、矛盾をはらむごちゃ混ぜの状態。子供の教育という重要な問題において必要とされているのは何か、自分達の具体的な役割は何かがわからず、私たちは途方に暮れているのだ。」、「学校にあがった子供の予定を親がびっちり埋めるのもこの不確かさのせいである。人生を豊かにし、将来への準備になるような活動をさせたいのだ。親に出来るのは、子供が自力で将来を切り開いていくべく準備をしてやるだけである。これは酷く具体性の欠ける話だ。なんとなく役立ちそうだからやららせている。」と著者は淡々と客観的に指摘している。自分の今の子育てにおいて、子供達が結構多忙に過ごしているのを見て、今の生活が本当にこれでいいのか、と薄々自問していたところに、強烈なスポットライトを浴びせられた感じだ。「(習い事、行事で多忙な子供の時間管理について親が言い放った)あるいはクローンでもつくってもらうしかないかな」はなんとも皮肉なジョークだ。うちも2,3体欲しいw。
    ・確かに、こうした多忙な子育ての弊害はあると感じた。著者も「(多忙であることで)子供が心配性になり、ゆったりとした時間の中で豊かに発想したり自由に遊んだりすることができなくなってしまう」また、「学校にあがった子供の予定を親がびっちり埋めるのもこの不確かさのせいである。人生を豊かにし、将来への準備になるような活動をさせたいのだ。親に出来るのは、子供が自力で将来を切り開いていくべく準備をしてやるだけである。これは酷く具体性の欠ける話だ。なんとなく役立ちそうだからやららせている」と述べている。大きくなるにつれて、ますます忙しくなるのに、今から忙しくてどうするんだ、今くらいのんびりすれば、今くらいしかのんびりできない、という発想に行きつく。が、繰り返し、この軍拡競争を結局自分が先頭に立って辞めようとは思えないのだ。
    ・そしてその結果の弊害も指摘している、「集団活動型育児は、忙しい親に大きな負担を強い、子供を疲弊させ、個人主義の発展を促進する。ときに家族の概念の育成を犠牲にすることも。」例えば、一流のバイオリニストに育て上げるべく、その為の厳しい子育てをしてた結果、実現すればそれはサクセスストーリーとして見做され、本にもなるだろう。しかし、その成功例の後ろには、余多の失敗例があるハズであり、その点においては一向に表面化されない(今後もされるわけないと思うが)。また、「集団活動によって、子供が自力でやることを見つける経験が非常に少なくなっている。子供が受け身になっている。自由な時間に何をするか自分の責任で探すことが重荷になってしまう」と指摘している。これは自分自身にも当てはまる話。スケジュール帳をびっちり真黒にして悦に入っているのは危ないし、予定変更になったり、予定が埋まらなかったら不安になることも過去あった。今はそうではないが。
    ・他方、自分の幼少時代振り返るに、糸の切れたタコのように好き勝手させてもらってきた。まして勉強しなさいと言われたことがないし、小学校高学年になって、自分で勉強の楽しさに気付いたのをきっかけにマトモに勉強しだしたと記憶。本当はそれくらいがいいのではないか、しかし機会損失の心配が頭をよぎる、の繰り返しの思考状態から抜け出せずにいる。結局はバランスか、との言葉に安易に落ち着いてしまっている。。。それは今の状態を正当化させるだけではないか。
    ・そもそも著者は、様々な家庭へのインタビューを通じて、「人生において何もかもうまく行けば、子供は幸せと考えるのは非現実的。そもそも幸せはなれといってなれるものではない。子供は幸せになれという親からのプレッシャーに苦しんでいる」と警鐘している。自分達の子育てがそうあってはならないが、そうではないかと心配にもなる。しかし、著者は警鐘しているだけで、ではどうすればいいのかについてはこれと言って述べていない気がする。ヒントになるのが、「特別な目的をもって、躾を行わない限り、幸福、適応、成功といった一般的な目標に頼ってしまう。かなり漠然としている。どう達成したらよいかもわからない。幸福の問題点は、直接求めることができないからだ。幸福とは価値ある活動の副産物でしかないからだ。」という点。つまり、曖昧な子育て方針のまま、将来になんとなく役立ちそうという安易な発想だけで、あれもこれもは危ないということか。では、先述のように一流のバイオリニストを目指すという目標がいいのかはわからない。目指してもらいたいとも思わない。サッカーだってそう。サッカーは心身鍛えるのにはいいが、Jリーガーまではちょっと・・・というのが子供には言えない正直な自分の気持ちではないか。目指すならテッペンNO.1は聞こえはいいが、リスクを伴う。そうリスクなのだ。著者は子育てを「ハイコスト・ハイリターン」というが、前半は「ハイリスク」ではないか。まあ、そもそもリスクとみなす時点で、それが子育てに反映され凡庸な成人にしかならなくなるのでは、と思う一方、「凡庸が一番」とも思う自分がいる。繰り返しになるが、まず親が明確な子育て方針を持つべきなのだ。読み、考えながら、そういう考えに行きついた。そう、曖昧な方針でなく、より具体的なものとはなにか?、自分達に課された継続的なテーマだと思う。
    ・他方で、子供がいるからこそ、「時間にワームホールを作りだし、親が忘れていた子供の頃の気持ちや感覚を思い出させること。大人には暗い秘密がある。それは日々の単調さだ。決まり切った仕事や習慣や規範に飽かずに固執することだ。小さな子供がいるとさらにまた新しいルーティーンが生じ、硬直した繰り返しばかりだと思う気持ちは強まるかもしれない。だが、子供は親を轍から解放することもある。」と抽象的ではなるが、自分達の子育てに納得感のある励みになる、そしてこれからに勇気の持てるフレーズがあった。確かに、子供達がいるからこそ、得ることができる体験やそこから生じる思いは、かけがいのないものであり、子供達への感謝はやまない。
    ・そして、最終章では、子育てにまつわる幸せについて、「親が思い起こすものであり、集めて記憶するものであり、人生の物語を作り上げる材料である」、と説いている。また、「幸福は目的ではなく、副産物であるべきという考え方。幸福を手に入れるには、自分の強みと潜在能力を有効に使うしかない。幸せになるには、ただ感じるだけではなく、行動しなければならない」、と言う点は、その辺の幸福本を読むよりも子育て中心の現在の生活には納得感のあるフレーズ。
    ・結局のところ、著者の言う、子育てのパラドックスとは、つまり「喪失は最初から組み込まれている。親が愛情を注ぐのは、子供を強く育て、いつか親離れできるようにするため。もののあわれ。喜びと喪失は与える愛の抱える矛盾。与える愛はいずれ身を引くことを考えなければならない。」というフレーズに要約されている。要すれば、子離れ、親離れがいずれやってくるし、それが必要ということか。親離れした頃に、幼かった子供達の今日までの成長を振り返って、幸福感を「副産物的に」噛みしめるときがやってくるのだろう。つい、今日のこと、明日のこと、今週末のこと等々ばかりに目が行くが、ちょっと引いてみて、子育てを一瞬でも俯瞰した感じを持つことができたと思う。まだまだ、道程は遠いし、アップダウンが今後ますます激しそうだが、それでもなおお、子育てを通じた幸せと喜びは尽きることなく、繰り返しになるが、励みと勇気が与えられた。
    ・なお、ジャーナリストの著者は米国内の家庭を取材して著者を作り上げ、日本にも当てはまる部分は多々あるが、是非日本も題材にしたものがあるとどうなるか興味深い。子育ての最前線は時事刻々と変化しており、日本や一部対照的な話として取り上げられたフランス等も含めて、続編が出、本著が多くの子育て奮闘中の親に読まれ、考えさせられ、行動が変わって行くことを切に願う。

    ◆引用
    ・あらゆる育児書を買い、友人や親せきを観察し、自分自身の子供のころを思い出したりすることはできる。だが、そうした仮の体験と現実の子育てとの間には、何光年もの隔たりがある。これから親になろうとする人々に、自分がどんな子供の親になるかは全く分からない。(中略)どんな気分かは事前にはいっさい分からない。親になるというのは、大人の生活においてまさに青天の霹靂なのだ。
    ・子育てはハイコスト、ハイリターン活動。
    ・こんにちでは、大勢の人々が全身全霊をもって打ち込める活動を自ら熱心に求めており、その中で子供の果たす役割に強い期待を頂いている。つまり、子供をなんの変哲もない人生の一部ではなく、自分の存在意義に通じる満足の源と見做している。そこに働いているのは希少性の原則である。(中略)現代の入念な家族計画のせいで、5,6人子供がいた時代よりも、子供一人が過大な意味を持ってしまう事態は避けられない。
    ・現代の父親はいままでのどの世代よりも育児に熱心ではあるが、やはり海図のない航路での試行錯誤を強いられている。
    ・家族の経済は、親が住む場所と食事を与え、その見返りに子が家計の一部を支えるという相互依存のシステムの上に成り立つわけではなくなった。親子の関係は非対象になった。子供は働くのをやめ、親は倍以上働くようになった。子供は従業員からボスになった。
    ・今日の親はいままでのどの世代の親よりも多くの資本を子供に注いでいる。しかし、子育てというこの新しい仕事においてすべきことはなんなのか、正確なところはわかっていない。子育ては唯一無二の活動になったが、ゴールが明確であるとはとても思えない。子供はもはや経済的資産ではなく、収支のつじつま合わせをしようとするなら、未来の資産であると思うしかない。しかも恐ろしいほどの投資を必要とする。信念もいる。さらに、現代の親は子供の心の幸福にも責任を負っている。これは称賛すべきゴールかもしれないが、曖昧で必ずしも現実的なわけではない。子供に自信を持たせるのは、読み書きを教えたり、タイヤ交換の仕方を教えたりするのとは違うから。
    ・あるときまでは、自分の好きなように行動できる、自己決定のお手本のような生活をしていたのに、親になったとたんいろいろと装備を背負わされ、ふつうの大人としての生活リズムから完全に逸脱する。
    ・BOOK:WILLPOWER(意志力の科学)では、自制心は有限の資源と説いている。意志力を使う程、その次に生じた誘惑に屈してしまう傾向がある。
    ・本当の危険は子供が親の正気を失わせる点にある。子供の途方もない望みやエネルギーは親が過ごそうとしている秩序ある生活にとっては脅威。現代の子育て書の大半は、いかに子供が正気を失うのを防ぐか、如何に子供のせいで、親が正気を失うのを防ぐか。
    ・大人の意識=ランタン(360℃光を投げかける)VS子供の意識=スポットライト(一点のみ照らす)子供は現代だけを生きている。だから大人のかじ取りが必要、しかし論理的な話あいには大人に対するのと同じ効果はない。
    ・親は一人の人間の成長の道筋を正さなければならない。何しろ相手は必ずしも文明社会で生きて行く準備が整っているわけではない。
    ・親の口論は子供の目の前だと激しさを増す。単に争っているだけではなく、未来をめぐる自分たちがどういうロールモデルであるべきか、どういう人間になりたいか、子供にどう育ってほしいかについての喧嘩なのである。
    ・多くの人々が超越した関係(スーパーリレイションシップ)の期待のもとに結婚生活を始めるなら、子供の誕生にとって混乱が生じても不思議はない。
    ・誰が何をするかという争いで問題になるのは公平さだけではなく、感謝の気持ちのやりとり。
    ・BOOK:フランスの子どもは夜泣きをしない。
    ・子供がいるからこそできること:時間にワームホールを作りだし、親が忘れていた子供の頃の気持ちや感覚を思い出させること。大人には暗い秘密がある。それは日々の単調さだ。決まり切った仕事や習慣や規範に飽かずに固執することだ。小さな子供がいるとさらにまた新しいルーティーンが生じ、硬直した繰り返しばかりだと思う気持ちは強まるかもしれない。だが、子供は親を轍から解放することもある。
    ・子育て:良い意味で正気を失っている状態。
    ・手仕事の能力による喜びが失われてしまった。手仕事は元気や幸福に不可欠で、そうした体験が日常生活から消えてしまうと何かが起こる。もの(例、楽器)を扱うには練習が必要、道具(例、ステレオ)は消費を招く。
    ・(習い事、行事で多忙な子供の時間管理について親が言ったジョーク)あるいはクローンでもつくってもらうしかないかな
    ・多忙であることで、子供が心配性になり、ゆったりとした時間の中で豊かに発想したり自由に遊んだりすることができなくなってしまうという批判。
    ・集団活動型育児は、忙しい親に大きな負担を強い、子供を疲弊させ、個人主義の発展を促進する。ときに家族の概念の育成を犠牲にすることも。
    ・過干渉な子育ては将来についての新たな不安や戸惑いを反映している。現在の中流階級は、将来うまくやっていけるように子供を完璧に教育しなければならないという信念に支配されている。しかし、そのための努力は支離滅裂で、矛盾をはらむごちゃ混ぜの状態。子供の教育という重要な問題において必要とされているのは何か、自分達の具体的な役割は何かがわからず、私たちは途方に暮れているのだ。
    ・子供が小さかった時の疑問は、離乳食のタイミングはこれで正しいかどうか?だった。いまはそれが、子供のための自分の選択はこれで正しいかどうか?になっている。
    ・大人が子供を貴重な存在と思い始めたのは19世紀になってから。ハイチェアが出来たのもこの頃。同じころ初めて育児書がだされた。産業革命で労働力としての子供が貴重だった。1920年代になって児童労働を禁じるようになったが、農業だけは例外。子供の人格形成の場とみなされていた。。
    ・19世紀には労働力として役に立った子供が、教育事業によって役に立たない子供につくりかえられた。子供たちのやるべきことは、Actual workからHomeworkになった。家計をささえるのに必要な実生活の技術とほとんど無関係のものが、子供達の専門分野になった(スポーツ、学問)。子供は経済的に無価値でも気持ちの上ではプライスレスな存在にあった。
    ・親に残された唯一の仕事は生活を維持し、子供の身の安全を守ること。
    ・BOOK:タイガー・マザー
    ・学校にあがった子供の予定を親がびっちり埋めるのもこの不確かさのせいである。人生を豊かにし、将来への準備になるような活動をさせたいのだ。親に出来るのは、子供が自力で将来を切り開いていくべく準備をしてやるだけである。これは酷く具体性の欠ける話だ。なんとなく役立ちそうだからやららせている。
    ・子供に課外活動に参加させないことによる機会損失は大きすぎると思っている。軍拡競争にも似た、問題のある心理だ。参加者たちは辞められるものなら喜んで辞めたいと思っている。しかし、やめるのは遅れをとることと同義なのだ。
    ・やりたいことがあるなら、私たちはサポートする、時間やお金のや労力をかけるのはかまわない。あなたはただベストを尽くしなさい。
    ・親であることの何が一番大変か=やりたいことすべてをやる時間を見つけること
    ・21世紀よりも前の玩具は本質的に人との関わりを必要とするものが多かった(縄跳び、ビー玉、凧、ボール)、一方現在製造されている玩具は暗黙のうちに一人遊びを前提としている(クレヨン、レゴ)。そういう孤独は21世紀前には子供にはなかった。こんなふうに孤立することで、親たちにますます余分な仕事が生じる。子供は親を遊び相手として徴用する。親にとっては義務に近い。子供が寂しい思いをするのではないかと心配だからだ。これもまた、親が子供に沢山の習い事をさせる理由の一つだ。子供を何か集団活動に参加させないと、放課後や夏休みに遊び相手がいなくなってしまう。⇔昔:親に頼らずして自分で何かを見つけるようになった。
    ・集団活動によって、子供が自力でやることを見つける経験が非常に少なくなっている。子供が受け身になっている。自由な時間に何をするか自分の責任で探すことが重荷になってしまう。
    ・どこか本能的な部分で、いまだに体を使ってする物事が現実に役立つスキルに結び付くと考えている。しかし、子供にしてみれば、ゲームはフローを体験する大きなチャンス。子供は異様な緊張感の中にある、高等教育への道を進めるための協調、良い仕事を得るための競争は激化し続けている。だから、子供は失われた自由を求めてオンライン空間に向かう。他方、親は能率を重視し、オンライン空間での活動を時間の無駄使いと見ます。外での自由時間が増えれば、子供達が室内娯楽に没頭する時間は減るかも疑問。
    ・子供時代が神聖化される前には、親の心が子供の感情の揺れに反応する地震計の役割を期待されることはなかった。
    ・人生において何もかもうまく行けば、子供は幸せと考えるのは非現実的。そもそも幸せはなれといってなれるものではない。子供は幸せになれという親からのプレッシャーに苦しんでいる。
    ・特別な目的をもって、躾を行わない限り、幸福、適応、成功といった一般的な目標に頼ってしまう。かなり漠然としている。どう達成したらよいかもわからない。幸福の問題点は、直接求めることができないからだ。幸福とは価値ある活動の副産物でしかないからだ。
    ・幸せか成功かを選ぶなら幸せを選ぶ(タイガーマザー著者)
    ・夫婦の時間は盗みようにしてつくるもの、隙間時間から、或いはほかの目的に乗じてかすめとるものになった。
    ・公に自分の価値観を示すことのできる場はいまではほぼ残されていない。しかし、子供をどう育てるかによってそれを示すことができる。
    ・やはり現代の家族の団らんは夕食であるべき。

    <<<第5章思春期はスキップ>>>

    ・私たちは努力して幸福になることが最重要課題とされる時代に生きている。しかし幸福の定義はあいまい。
    ・幸福と喜びは異なる。喜びは温かいものであって、あついものではない。興奮、性的快楽、幸福等はすべて、心臓の鼓動を早める。喜びと、寄り添う抱擁は鼓動を落ち着かせる(BOOK:「精神の進化」バイラント)
    ・子育てのパラドックスとして、喪失は最初から組み込まれている。親が愛情を注ぐのは、子供を強く育て、いつか親離れできるようにするため。もののあわれ。喜びと喪失は与える愛の抱える矛盾。与える愛はいずれ身を引くことを考えなければならない。
    ・喜びの陰の胸騒ぎ=無上の幸せを感じてもいいはずなのに、何かよくないことが起きることを思い描いてしまう。
    ・個人的な期待をいろいろ持ち過ぎない方が、実際の子育ての態度としては健全かもしれない。
    ・重要なのは、人は自尊心や自負心を求める、つまり、幸福に見合う自分を求めることである。幸福は目的ではなく、副産物であるべきという考え方。幸福を手に入れるには、自分の強みと潜在能力を有効に使うしかない。幸せになるには、ただ感じるだけではなく、行動しなければならない。
    ・アノミー(疎外感、無規制)な社会では、人は何でも好きなことができるが、明確な基準がなければ人はしたいことを見つけることが困難になる。
    ・経験する自己(日常生活をコントロールする自分)VS記憶する自己(実施には人生に与える影響ははるかに大きいが、ミスを犯しやすい。バイアスもある。ある経験の最後に感じたことをその経験全体の感想と思う傾向がある。例)子供と一緒にいるときにフロー状態にあることは少ないが、最高にフロー状態だったことを質問されると、本の読み聞かせとか子育て中という回答が多い。
    ・子育てにまつわる幸せは、親が思い起こすものであり、集めて記憶するものであり、人生の物語を作り上げる材料。
    ・最も生産的な大人たち=意識して若い世代に自分の話を聞かせる。自分の経験を例えとして、そこから何かを学べるように。ロールモデルであることを認識している。
    ・孫:ノンカロリーのチョコレート。100%の喜びだけの存在で、欲しいだけ楽しさをくれる。その責任を負う必要はない。
    ・親たちが無力、長年の習慣を道しるべとすることができず、どう子育てしたらいいか分からず混乱している。流行に影響されやすく、自分の直感を信じられず、自分の母親の子育てに関する知識はどれも時代遅れに違いないと思っている。

  • 妊娠、出産、初めての育児のスタート、と怒涛のように過ぎていったここ1年、今、少し立ち止まって、子どもがいる今の生活を見つめ直そうと思って手に取った本。ただ何となく子どもを産み、ただ何となく育て、何となくともに生きていく、そういう「ただ何となく」という状態は避けたい。流されるように子育てをするのではなく、子どもがいるからこその大きな体験ができていることを噛みしめて生きていこう、と思った。

    ・現代人はつきつめればどこまでも自由に生きることができる。どこでどんな仕事をするか、結婚をするかしないか、子どもをつくるかつくらないか、どこに住むか。そんな中で子どもは唯一、人生に制約を与える。制約のない人生が幸せとは限らない。自由だから幸せ、というわけでもない。むしろ、制約があるから、ある種の熱意をもって生きられるのかもしれない。
    ・母親は世間からの「良い母親像」というプレッシャーにさらされている。一方、父親はそういうプレッシャーから自由である。母親は「ママとしてこうでなければならない」という「べき」に縛られ続けて疲れてしまう傾向にある。
    ・自分のことをこれほどまでに無条件に愛し、必要とするのは子どもをおいてほかにいない。他の誰にもこれほどまでに愛されることはない。この愛を経験できるのは親であるからこそ。
    ・同時に愛を与えられるかどうかも試されている。反抗し世話をかけられ、裏切られるかもしれない相手をそれでも愛することができるか。もはや聖者の領域だが、子どもは親が人間として最良になれるチャンスを与える。
    ・先のことを考えない子どもの、独特な自由に流れる時間にともに身をまかせてみることは、子どもがいないとできないことである。
    ・「空はなぜ青いの?」というような問いかけに何度も遭遇する。大人にとってあたりまえのことが、子どもにとってはあたりまえではない。そういう問いかけを通して常識を疑う機会を与えられる。子どもが発した質問は全て書き留めておきたいほどに。
    ・親の自分たちが置かれている経済的社会的地位から子どもを落としたくない、何としてでも今の水準をキープするかそれよりも上を目指すために、スポーツや音楽などの習い事で子どものスケジュールを埋める。子どもが将来苦労しないように、現代の親はそういう強迫観念に縛られている。
    ・懸命に子どもを育てても、いずれ子どもは巣立ち、親離れをしていく。それが子育てのパラドックス。では子育てをすることに意義はあるのか?子育ての最中は苦しくて大変だけど、振り返ったとき、あんなこともあったこんなこともあったと思い出に浸る。昨日、できなかったことが今日できるようになるという子どもの成長、想像以上に子どもが親を超えるところを見ること、それが子育ての喜びなのかもしれない。

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「母」と「父」の意識はなぜすれちがうのか?育児は親にどんな影響を与えるのか?子供を持つと、幸福度は低くなる?最新科科が明らかにする新事実!

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