神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたら

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制作 : 小塚一宏  三木俊哉 
  • 英治出版 (2016年6月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862762146

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神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたらの感想・レビュー・書評

  • 運転中に携帯電話でメールをやり取りすることの危険性を主題とし、2006年、Utahで実際に起きた事故を中心に、実験データから法整備の問題まで、広く描かれる。
    事故を起こした人物が、当初のメール否認から、裁判での研究者の証言から自分のしたことの意味を理解し、行為の危険性を周知するため伝道の如く活動するようになる変化が劇的。

    携帯電話による通話の事故率が酩酊 (血中アルコール濃度 0.08%) と同程度、メールの場合はその1.5倍というデータがあった (2008法廷証言)。
    通話に限ったとして、ハンズフリーにより事故率は下がらない。本質は通話であって、操作ではない。
    さらに、Siriのような音声指示が通話以上に危険というデータが2013に得られている。

    一方、米運輸省は2003に運転中のマルチタスクが危険だという研究結果と、携帯電話使用による事故数と死者数の推計値を得ていながら隠蔽した事実もある。
    Utahでは、上記の事故の加害者の心情吐露の効果もあって運転中のメールを禁止する法が成立した。禁止法を持つ州は増えているが、抜け道のあるものが多いし、法執行の難しさという問題もある。
    課題が投げかけられている。

  • 2016年43冊目。

    個人的に、読み通すのがとても辛かった本。
    遺族の感情、加害者の葛藤、色んなものを受け止め過ぎた。

    2006年に、アメリカ合衆国・ユタ州で起きた交通事故で、二人の優秀な技師が死亡する。
    運転手のレジー・ショーには「携帯しながら運転」の容疑がかかるが、レジーはそれを「覚えていない」。

    このノンフィクションを読んで欲しい理由は2つある。

    一つ目は、「ながら携帯」「ながらスマホ」に対して、人間の脳がどれだけ「ついていけていないか」を知って欲しいこと。
    人間を助けるために発展してきたテクノロジーだが、もはや万能だと思われていた人間の脳の方がテクノロジーに支配されている。
    98%の人が「メールをしながらの運転は危険」だと認識しながらも、43%の人が運転中にメールを読み、30%の人がメールを送信している。
    なぜ危険だとわかっていながら、やめられないのか?
    SNSなどの双方向性メディアが発達し、ビジネスを始めとした物事のスピードが上がってきた現代では、常に情報へのアクセス・人とのつながりがなければいけないという、テクノロジー中毒にも近い状況がある。
    だとしても、以下の事実は知っていて欲しい。

    ・飲酒運転(法定基準以上の血中アルコール濃度)の衝突リスクは通常の運転の4倍(「通話しながら運転」も同様)だが、「メールしながら運転」の衝突リスクは6倍。
    ・メールを終えてから運転に集中が戻るまで、約15秒かかる。時速50kmで走っていれば、集中が戻らないまま200m以上進んでいることになる。
    ・時速50kmの運転の中で1秒間携帯に目を落としていれば、約14m前を見ないで運転していることになる。

    二つ目は、被害者の遺族・加害者・加害者の家族・警察官・判事・神経学者...多くの立場の人たちが、この悲惨な(そして当時としては判例になかった)事故をそれぞれの視点でどう捉えているのかを感じて欲しいこと。
    特に、遺族の感情と、加害者の葛藤を知って欲しい。
    単に科学情報だけでこの問題を説いた本だったら伝わらないそれぞれの「ストーリー」がこの本にはある。
    それは、読者がこの問題を「自分ごと」として捉える大きな力になっていると思う。

    悲しい出来事が起きてしまう前に、とにかくまずは知って欲しい。
    運転中のスマホはもちろん、歩きスマホ、人との食事中のスマホ...様々な「ながらスマホ」をしてしまっていると自覚している全ての人に。

    最後に、自分が起こしてしまった事故と向き合い、身を切り裂きながら当時のことを語り伝え続ける伝道師・レジーに敬意を。
    本当の意味で被害者や遺族に許される、そして自分が自分を許してあげられる日がやってくるのかは分からないけれど、同じ悲しみを一つでも減らすために、ぜひ頑張って続けて欲しいと思う。

    (自社本です。ステマ防止のため、念のため)

  • 科学ノンフィクションとあるけれど、構成は社会派サスペンス小説や映画のような感じ。後半に入ると一気に物語が収斂していくので前半はガマン。

  • 500ページ超えのぶ厚いこの本は、ぶ厚さ以上の読み応えがあった。
    運転中に携帯でメールを送っていたことで死亡事故を引き起こしたことから始まるこの本は、脳科学やテクノロジーにまつわるノンフィクションであり、様々な人々の人間ドラマが織りなす小説でもある。
    この本を読み始めた時に、自分自身でも注意力や集中力のことが気になっていたので、すごく興味深く読めました。

    運転中は、電話もスマホの操作も絶対にやめましょう。

  • SFと思うようなタイトルが気になって読んだノンフィクション。運転中に携帯メール操作をして起きた死亡事故。携帯依存、マルチタスク、規制の法案化など専門家の話も交え、巻末には日本での歩きスマホの実験についても書かれていた。

  • なかなか読みにくく進まなかった。どうやらノンフィクションを小説風に書く形式が苦手みたいなんだな。内容は自動車運転中に携帯でメールを送っていて事故を起こしたアメリカ人男性の話。誰でもやってしまいそうだからこそ怖い。マルチタスキングは駄目だと最近言われてるけど、これを読んだらそう思わざるを得ない。気が散りすてで結局はなんにも集中できないんだよね。「二兎追うものは一兎も得ず」昔から言われてたんだよね。

  • 米ユタ州で起きた携帯メールのながら運転での死亡事故について物語風にドキュメンタリー。
    事故を起こしたレジーは、初めは自分が事故のときに携帯を触っていたことを否定する。彼の言葉によると審理の途中で自らが携帯電話に触れていて、危険な運転をし、二人の命を奪い、その家族からかけがえのない人を奪ったことを理解した、という。ある意味、本当に彼は運転に集中をしていたと思っていたのかもしれない。そこからのレジ―の危険運転防止への献身的な取り組みがこの本のひとつの主題である。

    レジ―がユタ州のモルモン教徒であり、伝導活動に掛ける想いについて実感が湧かないかもしれないが、日本人であれば例えば受験であるとか就職であるとか社会人としてのキャリアなどに置き換えて考えるとその切実感を理解することができいるかもしれない。レジ―が敬虔なモルモン教徒であることは、彼が抱く罪の意識とも関係をしているのかもしれない。彼の心の動きと言動と、遺族や検察官、弁護士の感情の動きが詳しく描かれている。

    「神経ハイジャック」ー 人間の注意がマルチタスクに決して向いていないというが、そのことは日々実感できる。自分も家では、TVを付けて、個人PCを見ながら、仕事のPCでタスクをこなしていることが普通だ。もちろん、すべてを同時にやれているわけではなく、注意を頻繁に切り替えている状態にある。すぐそばで付けているテレビの内容がまったく頭に残っていないということはよくあることだ。マルチタスクをしていると効率的なように感じるが、逆に非効率であるということは重要な指摘でもある。原題は”A Deadly Wandering: A Tale of Tragedy and Redemption in the Age of Attention”なので、ハイジャックというニュアンスはないが、注意がいかに奪われるかという主題を日本語でうまく表しているのではないだろうか。そして、継続的にマルチタスクを行い、注意を切り替えていることが脳に与える影響に関しても気になるところである。

    現代はスマホを身に付けて、常に外部につながることができる環境を持っている時代である。スマホを見ることが脳の報酬系に働くというのはおよそ実感するところでもある。それを薬物やギャンブルなどの依存症になぞらえているが、一面では間違ってはいないのだろう。何でもないのについスマホを取り出して触ってしまう自分がいることにあらためて気が付く。そして、やめられないことも実感する。自分はやらないが、たばこと同じなのかもしれない。

    しかし、人物描写がとにかく長い。もちろんきちんとした取材と関係者に配慮した描写が売りでもあるのだろうが、自分にとってはここまで詳しい描写が必要だったのだろうか。一気に読むわけではないので、登場人物がどういう人であったか忘れてしまったりするとかなりつらい。注意力がなくなっているのかなあとも思うのだが。

    本書は議会、携帯電話会社、自動車会社、などロビー活動などを通して法制化に反対する勢力に対して、ながら運転を危険運転として法的に防止するに至ったこの事故の社会的意義に注目する。一方、脳の注意、ワーキングメモリ、意識の成り立ちなどに関する科学的な見地についても言及されている。スマホ世代において、人間の注意力はどのようになっていくのかについても興味がある、注意力に関してはそれぞれに差異があろうし、訓練によりマルチタスクの能力は変化していくであろう。こちらの方に注意が向くのである。運転しないペーパードライバーなので。

    まあ、ちょっと長いですかね。

  •  2006年にアメリカで実際に起きた交通事故をもとに書かれたルポルタージュ。
     運転中の携帯でのメッセージのやりとりの最中に事故を起こしたことをきっかけに、アメリカで運転中の携帯操作を禁止しようという流れを生んだ。
     まるで、ドラマのように完成された事実だ。
     特に事故を起こした彼の心の移り変わりは、胸が痛くなる。どのように移り変わるかは、ぜひ読んでほしい。
     日本でも運転中の通話およびメールは禁止されている。
     そして歩きスマホの危険性を訴え始めている。
     どれほど危険なのだろうか? ほんの少しの間、画面に視線を落とすだけじゃないか、私もそう思っていた。
     けれども、この本は示す。
     画面の向こう側の世界に私たちの心がどれだけ連れて行かれているかを。
     メールや通話を行うとき、まるでファンタジーのように、画面の向こうの相手に心を奪われる。異世界に連れて行かれている。そこから現実に、いまいるところに戻るまでにタイムラグがあるとしても、それは仕方のないことだろうな、と感じさせる。
     人はそんなにたくさんのことを一度にはできない。
     当り前のことに気づかされる一冊。
     映画化されないのかなぁ。

  • 訳者あとがきにあるように、小説みたいな雰囲気なので、ミステリとしてガンガン読める。

  • 神経ハイジャック マット・リヒテル著 情報端末の脳への刺激を調査
    2016/8/7付日本経済新聞 朝刊

     人の注意力は無限ではない。携帯電話の操作と自動車の運転は同時にはできない。常識で考えればわかることだ。







     だが、運転中の情報端末操作による事故はなくならない。なぜか。端末操作が人間にとって強烈な報酬となっているからだ。当人が自覚している以上に。


     本書は、米ユタ州で1人の若者が運転中に起こした交通事故を縦軸としている。巻き添えになって2人が亡くなった死亡事故だ。後にこの事件が1つのきっかけとなり、運転中の携帯メールが違法になった。横軸では、通信ツールやネットワーク技術が人間にとってどんな意味を持つものなのかを考察している。


     扱われている事件は1つだけだ。事件を引き起こした若者の内心の描写は抑えられている。彼はおよそ2年、事故のときにメールしていたことを話していなかった。著者は、彼はその自覚がなかったからとしているが、どうだろう。


     彼はいま、事故当時のことを振り返り、危険性について講演してまわっているという。だが亡くなった人は生き返らないし、遺族の人生が元へ戻るわけでもない。後悔しても遅いのだ。


     本書の事件発生は2006年。当事者の若者が使っていたのはスマートフォンではない。


     スマートフォンはもっと強力に人の注意システムに働きかける。家族や恋人、友人たちと社会的つながりを維持し続けていたいという欲求は原初的本能で、あらがいがたい。


     しかも大切な人からのメールは誰でもすぐに返事したくなる。本書で紹介されている神経経済学の実験によれば、若者にとって情報の価値は金銭の価値を上回っており、短時間で返信しないと価値を失ってしまうという。脳のなかで、そのように価値付けられているのだ。


     やる気や快感をつかさどる脳内の報酬系は、自分の考えを他人に公開することにも刺激される。情報を共有すること自体が脳にとっては報酬なのだ。若者がSNSを頻繁にチェックしている理由がここにある。


     情報端末をさわっているとき、スクリーンをタッチし、文字や写真がひらめくたびに、人の頭のなかでは報酬系が刺激されているのだ。それが知人とのやりとりなら、なおさらだ。これを著者は「神経ハイジャック」と呼んでいる。


     ツールによって人は「ハイパーソーシャル」になれる。だが、メリットだけでなく犠牲もあることを忘れてはならない。節度と嗜(たしな)みが必要なのだ。技術と付き合うにはそれしかない。




    原題=A DEADLY WANDERING


    (三木俊哉訳、英治出版・2400円)


    ▼著者は米ニューヨーク・タイムズ紙記者。2010年にピュリツァー賞。小説も執筆。




    《評》サイエンスライター


    森山 和道

  • 2006/9/22、ある普通の青年が交通事故、死亡事故を起こす。それは裁判となる。原因は何だったのか?青年は何も原因となることを覚えていないと言う。
    これは、携帯メールのながら運転の危険性が、裁判、法整備へ向かった記録である。メールしながらの運転は危険だと誰もが感じながら、やってしまう、そのメカニズムを神経学者・心理学者の解説と歴史的背景を挙げると同時に、事故当事者の苦悩を描いた実録です。個人的には各人の成育歴など、詳細すぎてる点と、注意の科学の歴史的背景は、詳細すぎて、むしろだれてくる感じがありました。科学的知見の蓄積より、個人的体験者の叫びが、社会や政治を動かすのだなと感じました。

  • 請求記号 007.3/R 35

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