現代社会はどこに向かうか《生きるリアリティの崩壊と再生》(FUKUOKA U ブックレット1) (FUKUOKA Uブックレット No. 1)

著者 :
  • 弦書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863290761

作品紹介・あらすじ

虚構の時代の果て、希望は見えたか―戦後の「理想の時代」、高度成長期の「夢の時代」、その後の「虚構の時代」……、そして今、「人類はひとつの生物種が一度だけ体験する、大きな曲がり角にいる」。現代社会はどこに向かうのか。未来に希望はあるのか。世代を超えた思想家、社会学者たちに絶大なる影響を与えてきた社会学の第一人者による待望の講演録。見田社会学のエッセンス、この一冊に。

感想・レビュー・書評

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  • 【由来】


    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】

  • 著者の見田宗介氏は、日本を代表する社会学者・思想家で、井上が
    最も尊敬する知識人の一人です。本書は、2010年の講演を記録した
    ブックレットで、著者の考えに触れるための、格好の入門書となっ
    ています。50頁余なので、さらっと読めてしまうのも嬉しいですね。

    さらっと読めてしまえますが、「生きるリアリティの崩壊と再生」
    をテーマにした講演の内容は、実に深く、示唆に富みます。現代社
    会はどこに向かっているのかを考察しながら、現代における生きが
    いを考えるという内容構成になっています。

    お話は、1968年の永山則夫による無差別殺人と、その40年後の2008
    年の加藤智大による秋葉原の無差別殺人とを比較することから始ま
    ります。二つの事件から見えてくる時代の変化。それを著者は「未
    来の喪失」と表現します。現代社会では、簡単に未来を夢見ること
    ができなくなってしまった。特に、戦後の日本人がよりどころにし
    てきた、経済成長という意味での未来はなくなってしまった。それ
    が今の日本の現実だ、ということです。


    でも、「未来の喪失」は、悪いことなのでしょうか?

    確かに、夢見れる未来があるほうが前向きに生きられます。でも、
    そもそも地球は有限ですから、成長には自ずと限界がある。グロー
    バルに市場を広げていっても、どこかで必ず成長は限界に来ます。
    つまり、有限性を前提にした場合、「成長」という意味での「未来」
    はどこかで断念せざるを得ない。戦後、日本人が共通して夢見てき
    た「未来」は、早晩、喪失せざるを得ない運命なのです。

    では、未来を喪失した状況下で、人は、どのように生きがいをもっ
    て生きていくことができるのか?

    そこで出てくるのが、「生きるリアリティ」というキーワードです。
    今の日本人が求めているのは、生きるリアリティを充実させること
    (=リア充)ではないか。しかし、生きるリアリティは、他者との
    リアルな接触なしに充実することはあり得ない。だから、比喩的に
    言えば、未来を抱くことなんかよりも、他者を抱くことにかけるべ
    きではないのか。そういう中で、次の時代も開けていくのではない
    か。そう著者は問いかけます。

    この講演の半年後、東北で震災が起き、多くの若者が被災地に向か
    いました。被災地を体験した若者の多くが異口同音に述べたのが、
    まさに「他者とのリアルな接触」の素晴らしさでした。そういう意
    味で、本書は、実に予言的な内容だと言えるでしょう。

    これからの社会のありようについて考えさせてくれる好著です。
    是非、読んでみて下さい。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    世界全体をみても、すでに70年をピークとして人口の増加率は急激
    に減っています。(…)
    70年代を境に、地球全体つまり人間という種族全体を見てみても、
    これは明らかに変曲点を経て曲がりつつある。

    グローバリゼーションというのは、(…)国内だけのマーケット、
    国内だけのシステムではうまくいかなくなって、つまり国内環境と
    いうものが限界になって、そこで足りなくなった資源、いらなくな
    った公害、いらなくなったマーケット、あるいは労働力、そういっ
    たものを全部域外に求めるわけです。そして全世界がひとつになっ
    てしまうグローバリゼーションが起こる。(…)つまり、グローバ
    リゼーションによっていったんはシステムの矛盾というものは解決
    されますが、世界中に広がることによって、最終的に回避できない
    ような有限性の限界にぶちあたってきます。

    ずっと行くと自分の所に一回りしてしまいます。無限でありながら、
    有限です。個々の人々、個々の会社、個々の多国籍企業、個々の国
    家から見ると、地球(グローブ)というのは無限です。どこまでも
    境がないけれども、全体として有限である。まさに球の特色を非常
    によく表しています。

    昆虫というのは動物界で一番種であるわけです。それから植物界で
    一番成功したのは顕花植物、花が咲く植物ですね。動物界でなぜ昆
    虫が一番栄えて、植物界でなぜ顕花植物が栄えたかというと、その
    昆虫と花というのはお互いに利用し合って、共存の体系にあるから
    です。

    近代的な、あるいは文明的な人間が自然に対して持つイメージは、
    自然の中のいわば弱肉強食の世界だけを見ていますが、実際は花と
    昆虫に見えるように自然界で一番うまくいく戦略は共存の戦略なの
    です。

    (ボランティアのように)自分が役に立つようなことならばやりた
    いと思っている青年と、リストカットをする、あるいは無差別殺人
    をする青年というのは同じものを求めているわけです。つまり、そ
    れは生きることのリアリティを求めている。(…)今の日本の若い
    人たちはいわば同じものを求めているわけですが、求め方が違って
    いるのです。日本の若い人たちが自分の体を傷つける、あるいは人
    を傷つける、あるいは人を殺そうとする、そういうものとは違った
    仕方で、生きるリアリティを求める方法を見つけ出すことができれ
    ば、そこでもう一つ新しい時代が開けてくる可能性があるだろうと、
    そういうふうに思うわけです。

    (有限性下で生きる時代は)いわば持続する安定平衡期ですので、
    そこでは人々が未来のために生きるとか、未来のために現在を犠牲
    にするとかではなくて、持続する現在を豊かに生きる、そのような
    時代であると思うわけです。

    つまり、今とは違った未来が来るということを必要としないほど現
    在が充実している、というのが一番いい状態です。

    彼(注:アメリカの心理学者エリクソン)の有名な言葉に「mature
    man need to be needed」というのがあります。つまり、成熟した
    人間は必要とされることを必要とする、ということを言っていて、
    それはたいへん僕は大事なことだと思う。人から必要とされること
    は人間にとって強い欲望であるし、根本的な欲望であると思うので
    す。そこから逆に解決の出口を見いだすことができるのではないか
    というふうに考えているわけです。

    仲間と完全に離して一匹だけで育てたサルというのはいつまでたっ
    ても、鏡を見ても自己認識できないことです。つまり自己認識する
    ということは、自分だと分かるためには、そういう他の群れとの接
    触が必要なわけです。(…)他のサルを見たことがあるサルでも、
    やっぱり触ったりとかなにか実体のコミュニケーションがないと社
    会性とか自己性は生まれてこないのです。

    何かの形でリアルな他者との接触があって、かつ人から必要とされ
    るということがどんなに素敵なことかということを体験するような
    チャンスがないとだめだと思います。

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    ●[2]編集後記

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    出張で二週間ほどオーストリアとドイツを訪ねていました。昨日、
    帰国したところなので、目下、絶賛時差ボケ中です。

    オーストリアを訪ねたのは実は初めてだったのですが、物凄く良い
    国だなあと感心しました。人口は840万人、東北6県よりも少し少
    ないくらい。国土の面積は北海道とほぼ一緒です。一番の都市のウ
    ィーンの人口が200万人。名古屋や札幌と同じくらいです。本当に
    小さい国です。森林以外の資源がないところは、日本と似ています。

    オーストリアにいる間に困ったのは、とにかく飲食店以外のお店が
    早くに閉まってしまうことでした。日中は仕事で駆けずり回ってい
    たので、買物できるのは夜だけなのですが、仕事が終わる頃には、
    どの店も閉まっています。しかも、日曜はほとんどのお店がお休み。
    家族へのお土産を選ぼうにも、選ぶ時間がない。

    聞けば、オーストリアでは、週40時間以上働いてはいけないそうで、
    このため、お店は、19時には全て閉まってしまうのです。観光が基
    幹産業なのに、お店をさっさと閉めてしまうという割り切りが凄い
    ですよね。

    でも、実は、そういうオーストリアの一人当たりGDPは日本より上
    なのです。必死に働いて、家族との時間も犠牲にしている日本人は、
    ゆったりと人間的な暮しをしているオーストリア人ほどに稼げてい
    ない。これは一体どうしたことでしょう?

  • 後期近代は「ロジスティック曲線」でいうところの第Ⅲ期に入りつつある社会だ、というテーゼを背骨とした講演。すごくおもしろい。( されど『社会学入門』第6章の繰り返しとも言える)
    いつも思うのは、なぜ見田は短い論考しか書かないのかということだ…、もっと展開してくれてもいいのに!

  • 見田先生の非常に短い社会学講演の本。成熟期に入らんとする社会のあり方について考察されている本。なかなか面白かった。

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著者プロフィール

1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。著書に『まなざしの地獄』『現代社会の理論』『自我の起原』『社会学入門』など。『定本 見田宗 介著作集』で2012年毎日出版文化賞受賞。東大の見田ゼミは常に見田信奉者で満席だった。

「2017年 『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学 THINKING「O」014号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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