文学としてのドラゴンクエスト 日本とドラクエの30年史 (コア新書)
- コアマガジン (2016年12月2日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864369466
感想・レビュー・書評
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イマイチ。文学の何たるかを知らない立場での印象ですが、文系のこじつけを感じました。
1995年に起きた阪神淡路大震災と、同じく1995年に発売されたドラクエ6が、大地だとか混沌とした時期だったとか、無理やり符号させようとする論調は、幽霊を信じる心理とよく似ていると思います。
ドラクエ7や8が3D化したことについて、従来のシンプルさがあったから物語に集中できたのだとすると、演出が豊かになったために物語そのものはさほど凝らなくても構わなくなるかもしれない、などと簡単に破綻する文章を読ませる。実際、その後に、自分で否定する。稚拙なマッチポンプ。
「ゲームの冒頭が島から始まる」ことは堀井雄二が淡路島出身だという出自を彷彿とさせる、というようばことを書いているが、いやいや、ドラクエ1は島という発想はなかったと思いますが…。ストーリーの規模を大きくするに当たっては、島からスタートして世界を広げるというのは、島育ちでないと思いつかないものか? こじつけでしょ。
p.190で、批評家の大塚英志という人が、「ミッキーマウス的な非リアリズムで描かれたキャラクターに、リアルに傷つき、死にゆく身体を与えた」のが日本的なキャラクター表現で(正直よく分からないが)、これがドラクエにも当てはまると言う。一方、p.216では、堀井雄二が「死んだとしてもGAMEOVERになるだけ」と言ったことを受けて、これが大塚英志が言った「リアルに傷つき、死にゆく身体」がないということに近いと言う。死にゆく身体を「与えた」ことに当てはまり、死にゆく身体が「ない」ことに近い?? どうしても一貫した記述になっているとは到底思えません。
オンラインゲームとなったドラクエ10を「堀井の理想が叶った」としても、最初期からやり込んだプレイヤーには、ドラクエはオンラインではない方が良い!という意見を持つ人もいるはずです。故淡路恵子さんは、オンラインとなったドラクエ10を酷評していましたし、結果、続編のドラクエ11はオフラインに戻りました。ドラクエ10が失敗作だとは思いませんが、ドラクエらしさがないのはドラクエ10であって、筆者が言うドラクエ9ではないのだと思います。
結局最後まで読みましたが、こじつけに継ぐこじつけばかりに感じられ、こんなに論理的に通底するものがないのに、それでいてドラクエに通底するものを描こうとするのだから、無理筋だと思いました。借りて正解だった。 -
この本の中で少なくとも『文学としてのドラゴンクエスト』は語られていない。
最初と終章だけにやたらと“文学”という言葉が乱発されているだけ。
“だそうです。”、“でしょう。”、“と思います。”の言い切れない文書が多く、言い切っているところは、既に公になっている事実のみ。(ドラクエファンなら誰でも知ってるレベル)
単なる個人的な自由研究の成果発表だな、こりゃ。
とても残念。 -
とりあえず別のテーマにかこつけて村上春樹を語るのはちょっと勘弁してほしい。そういうのはタイトルで宣言してくれないと。なんか、語りたくなる作家なんだろうなということは理解できるんだけど、村上春樹について前提のない人には色々厳しい。