日本人が知っておくべき この国根幹の《重大な歴史》 新証言、新証拠が続出! 今この二人だからこそ明かせる《最高機密》

  • ヒカルランド
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784864712729

感想・レビュー・書評

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  • 対談なので、読みやすい。

    内容の真偽については、判断のしようもないのだが、一定の説得力は感じた。

    歴史のねつ造を行っているのは他国のみで、わが日本に限っては、清廉潔白の正史のみが伝わっている、という考えが揺らいだ。

    何より、本書で歴史というものに興味をもてたことが収穫だった。推理小説のような面白さがある。

  •  事実というものを現代に呼び起こすことがどれだけ難しい行為なのか、それをいともたやすく行うことができる人間がその時代の予言者となってしまうのだろう。

     これを歴史の真実だとせず、小説だとして学校の歴史の授業に取り入れることはできないのだろうか。やっぱできないんだろうな、がちがちの史実などないが陰謀という妄想もない、このちょうどよいバランス感覚を保てる人格を作り続けていかなければならない気がする。

  • どの国の法律でも、クーデターを起こすことは、最も罪の重いこととされていて日本でもその様になっています。しかし明治政府ができたのは、権力を握った方がその罪を犯したのは事実だと思います。

    従って、幕末維新の裏に様々な機密が隠されているのは当然と考えるのが自然でしょう。日本の歴史でも、第一次長州征伐までは、間違いなく長州は、征伐されるという位置づけですが、戊辰戦争のどこかの部分で位置づけが変わっています。

    私の場合、高校の日本史で近代史をやるのは、大学の入学試験(共通一次試験)の直前の頃であり、殆ど記憶にありません。近代史に関する知識が殆ど無い私にとって、この内容の本は衝撃的でしたが、否定する気持ちにもなれず、「そういう見方もあるのか」という気持ちで楽しく読むことができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・坂本龍馬は、平和革命ということで、勝海舟を通じて徳川慶喜や将軍家とつながっているので、幕府軍は坂本龍馬がいなくなるとズタズタ。旗本八万騎と言われていたのに、鳥羽伏見の戦いで戦った幕府軍は、たった3000人(p17)

    ・情報活動の要でもあった京都ロッジ内では、藩の垣根が一切取り払われた、下級藩士をスパイに仕立てて情報交換をしているうちに、敵の藩士同士でも仲良くなってしまった(p26)

    ・薩英戦争のとき、イギリスの艦隊が薩摩の街をあっという間に焼き払ったことが、虐殺ではないかと議会で問題になり、艦隊の司令官を召喚された。それを知った、パークスもアーネスト・サトウも、軍事力で応援するのではなく、日本人同士でやらせないといけないとした(p46)

    ・イギリスの力を借りて封建社会をぶっ潰し、今度はアメリカの力を借りて、イギリスを遠ざける。結果的にあれで良かったのではないか(p46)

    ・アメリカが征服劇を展開したように、日本列島でも起こり始めたのが2000年くらい前から。日本語がどの国の言語とも違うのは、大陸や半島からやってきた部族が地方に住み着いて、多くの原住民を飲み込み小さな国をつくる。子供の話す言葉は、母親の使う現地語である(p64)

    ・中国では、徳のある人物が「天命」をうけて皇帝となるが、日本では天命よりも血脈、血のつながりが大きい(p65)

    ・禁門の変では、長州兵が300人程度、御所奥まで突入した。他の貴族はみな逃げてしまった。表向きには尊王攘夷を叫んでいた長州の連中が、御所を攻めるということ自体おかしいのに、誰も疑問を持たない。長州は南朝こそは正統と思って、北朝は天皇ではないと思っているから(p100)

    ・昔の高貴な人はみんな、座葬で、副葬品があって着物も来ているが、和宮や、ほとんど裸で横向きに埋葬されている(p125)

    ・徳川家茂は病気で死んだことになっているが、21歳で馬に乗って江戸から大坂まで総大将としてやってきたのに、病気で死ぬのはありえない。攘夷をやれといって大阪城に入り、帰りは夷敵から買った船に乗って帰るのが武士道なのか(p137)

    ・睦仁親王(孝明天皇の皇子)と、明治天皇では体格があまりにも違う。睦仁親王は、本当にひ弱で女のようであった、明治天皇はすり替わっているだろう(p143)

    ・大室寅之助は、力士隊に所属していたという説もある、それなら相撲を明治天皇がとっていたという証言もあう。また裸馬を乗りこなしていた、天皇はみな牛車にのっていた。睦仁は右利きだが、明治天皇は左利きなのも不思議(p145)

    ・皇居のそばに楠木正成像(南朝の後醍醐天皇の守護)をつくったり、南朝の貴族や武将を祭神にした南朝神社をつくって、南朝こをは正統だと明治天皇が聖断を下した。これは北朝の天皇(明治天皇は125代目の北朝天皇ということになっている)ならあり得ない(p146)

    ・南朝が正統なので、後醍醐から後亀山の南朝1-4代を正統な天皇と認め、従来定めていた96-100代の北朝天皇を正統から外した(p148)

    ・1867年1月9日に睦仁親王が践祚(皇位継承)したが、1868年8月27日に明治天皇即位の礼が行われるのに、1年7か月の空白があった。そして9月8日に、1868年1月にさかのぼって明治へ改元した。孝明天皇は1867年12月25日に崩御している(p153)

    ・鳥羽伏見でj始まる戊辰戦争は、天皇親政なのに天皇の姿が見えない。有栖川宮が総大将である、武士が皇居の中に入り、今までの女官や側近を全部解任しているので、そのときに完全にすり替わっただろう(p161)

    ・明治維新というのは、下級武士および下級貴族による政権奪取、みなが知っている京都には「すり替え天皇」を置いておきたくなかった(p248)

    ・100兆円だかのアメリカのケネディ債をバックの二重底の下にいれて、イタリアから国境を越えようとして、スイスに入る寸前に二人の日本人がイタリアの秘密警察に捕まった(2009.6.3)が、その後の報道は無し(p252)

    ・天皇陛下在位60周年記念金貨(10万円金貨)は、1000万枚の大量発行、当時の素材価値が1g=1900円だったので、発行差益の5500億円が国庫に入る予定であったが、大量偽造金貨が出回り被害額は100億を超えた(p254)

    ・1853年2月2日に関東地方で大地震(小田原)発生、6月3日にペリー浦賀に到着、9日に久里浜上陸、1854年1月16日、ペリー到着、29日に阿蘇山噴火、3月3日、日米和親条約、5月25日はオランダ、ロシアと締結、8月23日にイギリスと締結(p268)

    ・1855年10月2日に江戸直下型地震(安政の大地震)、1857年8月25日に、広島・松山で大地震、1864年8月2日、第一次長州征伐、1866年6月8日、第二次長州征伐、1867年6月、東海近畿で「ええじゃないか踊り流行」、11月15日、坂本龍馬京都で襲撃され死亡、12月9日、王政復古の大号令、1868年1月3日、鳥羽伏見の戦い、1869年8月15日、蝦夷地を北海道と改称、1870年7月14日、廃藩置県(p277)

    2015年5月12日作成

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著者プロフィール

札幌市生まれ。米国で不動産投資事業に従事、帰国後、執筆活動に入る。 『龍馬の黒幕』 『幕末 維新の暗号』『幕末 戦慄の絆』『舞い降りた天皇』『龍馬を守った新撰組』(すべて祥伝社文庫)他、タブーを破る歴史ミステリーが読者の心を摑み、大ベストセラーに。近年はYouTube「Kajiチャンネル」でオリジナルな世界観、歴史観、幸福哲学の情報発信を続けている。近著に『軍師 千利休』(祥伝社四六判)がある。

「2023年 『第六天魔王信長 消されたキリシタン王国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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