日本人が本当は知らないお金の話 (Knock‐the‐knowing)

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著者 : 三橋貴明
  • ヒカルランド (2016年12月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784864714495

日本人が本当は知らないお金の話 (Knock‐the‐knowing)の感想・レビュー・書評

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  • 今年(2017)も順調に執筆・講演をされている、この本の著者である三橋氏は、中小企業診断士であることを積極的に表明して活躍されている、数少ない経済評論家です。実際に入手できる一次データをもとに数多くの図表とともに開設される内容はどのようなテーマのものであっても、理解しやすく説得力のあるものであると感じられます。

    さて、今回のテーマは私達が毎日使用している「お金」についてです。お金とは道具であると頭では理解しているつもりでも、生活するために必要な物品・サービスを得るために、「お金」を通して得ている私は、お金を貯め込む=貯金、することが大切であると頭の中に染みこんでいます。

    この考え方は、個人が生活を営む場合には良い様子ですが、国家予算を組むときも同様な考え方(予算をカットする)ことは、デフレ(経済縮小)に繋がり、日本がこの数十年間抜け出すことができない状況に至っている原因となっているようです。この本では、この辺りのことを十分に解説してくれています。

    お金の正体を理解した上で、今後も上手に「お金」を大切にしながら、お金の本来の機能を生かすような付き合いをしていきたいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・お金が価値を持つのは、お金でモノやサービスを買うことが可能、であったときのみ。逆に言えば、モノやサービスを買うことが不可能なお金には何の価値もない(p4)

    ・人間はどれだけ莫大なお金があったとしても、水や食料を口にできなければ死んでしまう(p12)

    ・私たちがこの地球上で生き抜いていくために重要なのは、お金ではなく需要(必要なモノ・サービス)を満たす供給、あるいは供給を可能とする能力です。能力とは、個人の話ではなく、社会全体が保有するシステムとしての機能(p16)

    ・経済とは、国民の需要を満たす、モノやサービスの供給能力の強さ(国民の生産能力)を意味している(p17、139)

    ・アメリカの対外純負債額は、2014年末で834兆円以上であるが、世界で最も富んでいない国ではなく、富とは単純にお金の量で測っていい概念ではない(p21)

    ・お金は、財産そのものではなく、実際には「債務と債権の記録」に過ぎない、読者がスーパーマーケットで1万円札で支払った時、「読者がスーパーマーケットに対して負っている1万円分の債務を、読者が日本銀行に持つ1万円分の債権(1万円札)で弁済した」ということになる(p41,47,54)


    ・リディア王国では当初、砂金の重さで価値を決めてお金として使っていたようだが、面倒であったので、金と銀の合金で鋳造して、重量を均一した硬貨が誕生した(p66)

    ・お金とは、1万円であれば、それでどれだけのモノやサービスの購入が可能なのか、で決定される。昭和28年(1953)の「かけそば」は20円であった、2006年には500円を上回るので、日本円の価値が、およそ半世紀かけて25分の1になったことになる(p69)

    ・裏書とは、小切手や約束手形を譲渡する際に、譲渡人が保証として証券の裏に自らの氏名を記入すること、約束手形は小切手と異なり支払期限が来るまで換金できない(p76、78)


    ・お金を「お金」として成立させるためには、1)債務と債権の記録、2)通貨単位が明確、3)譲渡性がある、の3条件に加えて、債務不履行になる可能性が低い、が加わる(p93)

    ・日本銀行の日本円発行の根拠となっているのは、日本国の法律である(p97)

    ・「保有する金貨、銀貨を代わりに保管する」というサービスの提供者が「銀行」であり、預かり証こそが「紙幣」の始まりである。時が経つにつれて、預かり証は交易の決済にも使われ始める(p103)

    ・硬貨の誕生は、硬貨を鋳造する政府に対して、低コストで債務にならない形でお金を創出する力を与えてしまった。この、お金を創る力こそ、人類のお金に対する認識を、大きくゆがめてしまう主因となった(p105)

    ・グレシャムの法則とは、貨幣(硬貨)の額面価値と実質価値にかい離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通する、という定説である。1万円の金貨を、1000円分の金と、1万円分の金で鋳造した場合、流通するのは1000円分の金貨のみ(p122)

    ・本来お金は硬貨の金属価値とは無関係で、単なる記録だったのが、貴金属で硬貨が発行されるようになって以降、お金の金属価値が重要と人々が考えるようになった。(p123、128)

    ・インフレーションや、あくまで国民がお金でモノやサービスを買おうとしたとき、つまり需要が存在したときに発生する。生産能力がそれを満たすには不足しているときに、価格が上がっていく(p145)

    ・貯蓄(借金返済も含む)は、所得から支出(消費+投資)に回らなかったお金を意味する。(p161)

    ・日本のデフレ元年はバブル崩壊後ではない、橋本政権が消費税を増税し、公共投資削減を始めた1997年の翌年の1998年である(p174)

    ・日本銀行は、「日銀当座預金の残高」というデジタルデータを増やすことで、お金を発行することができる(p181)

    ・日銀が量的緩和をし続けて、国内の日銀当座預金の残高を増やし続けているのは、銀行が一般企業や家計に貸し出しやすくするため(p187)

    ・国民はお金がないから貧しいのではなく、所得が不足しているからこそ、貧しい。豊かさを決定づけるのは、所得である(p195)

    2017年6月19日作成

  • 三橋貴明は元々作家ではないため、読ませるストーリー作りや記憶に残る表現はあまり得意ではないように思う。

    本書の主旨は
    「金より大事なものなんてねえよwww」
    「だったら金使えねえじゃねえか」
    のコピペと大差はないのだが、それに色をつけた感じである。

    ロックの経済観やそれによるイギリスの失敗などは初めて聞いたので、三橋氏にはオリジナルの創作より、貨幣から見た経済史か、ケインズの解説書を書いてほしい。

  • 本書を読むことによって、お金の正体について知ることができる。それは経済学を学ぶ前に知っておかなければならない類のものだと強く感じた。なぜならお金の本質を理解した時点で、現実の経済についての理解が私の中で大きく深まったからだ。本書で得られる知識は、今後、経済学に触れる際、現実に無関係の机上の空論がどれなのかを判別する大きな力になるはずである。

    <お金とは何か>

    経済力とは「国民の需要を満たす供給能力」のことである。発展途上国であろうと大量のお金を発行することは論理的に可能なのだが、大量のお金を発行しても経済大国にはなれない。なぜなら、発展途上国では国民の需要を満たす供給能力がなく、欲しい物やサービスをすぐに手に入れられないからである。

    お金の量イコール富ではない。2015年末時点での日本の対外純資産(日本が外国に持つ金融資産と外国に負う金融負債との差額)は、世界最大の340兆円である(資産949兆、負債609兆)。ではアメリカの場合はどうか。2014年末時点での対外純債務は834・3兆円である(現在はそれ以上)。お金の量が富と定義すると、アメリカは世界で最も富んでいない国になってしまう。

    アリストテレスやアダム・スミスはお金の誕生について、やや誤った認識を持っていた。まずアリストテレスの認識はこうだ。人類は共同体(家族や部族)が小さいうちは、財を共同で保有していた。共同体が分離していくにつれ、物々交換を始めた。やがて国というものが誕生すると、国家単位で輸出入が行われるようになり、物の代わりに貨幣を利用するようになった。貿易の都度、生活必需品を運ぶのは面倒であるから、特定の金属にどれだけの価値をおくのかを取り決めた。はじめは金属の大きさと重さをいちいち秤っていたが、面倒を省くために刻印を押すようになり、硬貨が誕生するに至った。

    一方アダム・スミスの考え方はこうだ。我々の住む社会は、ひとりで様々なサービスを生み出すことは不可能であることから、分業で労働を行うことによって成り立っている。スミスは、物々交換では、需要と供給が一致しない場合があり、問題が生じる(例えば水の独占的な生産者Aがおり、他の生産物を担当する人々がAに交換を持ちかけても、Aが彼らの生産物を欲していなければ交換は成立せず、彼らは水を得ることができない)ため、分業社会が成り立たない。このことから、まず、塩や砂糖のような保存が利き、量を量れるような物が交換に利用されるようになったとし、やがて、腐敗せず、分割や溶解、再結合の可能な金属が交換に使用されるようになった。量をいちいち量るのは面倒であったため、公的な機関が刻印を入れるようになり、硬貨が誕生した、というものである。

    アリストテレスの言うように、異なる部族や社会、国家間において物々交換が主流(物やサービスの主な手段)のときはあったが、社会の内部において物々交換が主流であった事実は確認されていない。つまり、アリストテレスもスミスも、過去の社会において物々交換が主流であったと認識しているが、それは必ずしも正しくないのである。

    お金とは「債務と債権の記録」である。我々は借用証書(債務と債権の記録)によって売買を行っている。日本銀行券(お札)は日本銀行の借用証書である。借用証書を発行した日本銀行が債務者であり、それを手にした我々が債権者となる。我々は物やサービス購入の際に負う債務を、日本銀行に持つ債権によって弁済しているのである。また銀行預金について、字義通りに「預けている」と認識するより、銀行に貸していると言うのがより正確な認識である。銀行側からすれば我々の預金は債務なのである。そして、我々が銀行振り込みによって何かを購入する際には、銀行に保有する債権によって弁済するという形になる。

    お金の起源はメソポタミア文明の「クレイ・トークン」にある。クレイ・トークンとは、生活必需品に対応するように粘土でさまざまな形で作られたトークン(しるし)のことで、数を勘定するために作られたとされる。メソポタミア文明に生きたシュメール人は、クレイ・トークンの形を粘土板に刻み、利用するようになった。単純にトークンの形を記述する段階から、物と数を分けて記述するよう進化、「楔形文字」が誕生した。粘土板からは「この板の所有者には○○ブッシェルの小麦を渡す」のような「債務と債権の記録」の記述が発見されている。これらのブッシェルの記述はあくまで物量を示しているのであり、不完全な形でのお金に過ぎなかった。なお、楔形文字はシュメール人が滅びたのちもバビロニア、ヒッタイト、アッシリア人などに受け継がれ、何千年も使われ続けた。また、当該文明においては、銀が主な代金支払いに使用されていた。銀の重さを量り、決済をしていたのである。「硬貨」は誕生しなかった。

    「硬貨」は紀元前610年頃にアナトリア(現在のトルコ)のリディア王国で誕生したと考えられている。ヘロドトスが著作にそう記述しているのと、リディア王国の首都であったサルディスの遺跡から金貨や装飾品を発掘されていることが根拠となっている。ヘロドトスはリディア王国について、砂金の産出を記述しており、豊富な砂金が硬貨の誕生に繋がったと考えられる。リディア王国の硬貨はエレクトラムといい、ギリシャ語のエレクトロン(琥珀の意)が起源である。当初は砂金の重さを計測し、お金として使っていたが、やがて金と銀の合金で鋳造し、硬貨を作るにいたった。メソポタミアの粘土板と違い、エレクトラムには通貨の単位があった。通貨の単位は、取引するものやサービスの価格の形成を行ううえでも、借用証書の額を明確にするためにも不可欠で、お金の要件としては不可欠なのである。

    代金の支払いや借金返済など、債務の弁済に利用でき、なおかつそれが他人の手に渡っていくことが成立する「譲渡性」もお金としての必須要件である。さまざまなサービスで提供されている「ポイント」は、各サービスの代金支払いに使用できることから、「債務と債権の記録」というお金の条件は満たす。しかし、そのポイントは特定のサービスのみでしか利用できず、譲渡性に欠ける。一方で、日本銀行券はあらゆる支払いや弁済に無制限で利用できるため、譲渡性があるといえる。

    これまでに挙げたお金の条件は「債務と債権の記録」「通貨単位が明確」「譲渡性がある」を満たすことであるが、個人もこの要素を満たす「お金」を発行できる。それは小切手と約束手形である。小切手は、保有している預金残高を超えない金額で、支払証書を振り出せるものである。小切手で支払いを受けた者は、それを銀行に持ち込み、換金か自らの口座に入金することができる。小切手は他人に譲渡することもできるが、記名式や指図式小切手の場合、譲渡する際、裏に自らの名前を記す(裏書)必要がある。振り出し人の当座預金残高が不足しているなど、不渡りになってしまった場合、裏書した者が責任を負うことになる。約束手形は、企業が預金残高の範囲内で発行できる支払証書である。約束手形の場合は支払期日が定められており、期日が来るまで換金することはできないが、期日前に銀行に持ち込むことで、額面から何割か引かれる(割り引くと言う)が、換金できる。また小切手と違い、裏書は必須である。銀行で換金する際にも裏書をする。

    <誤った貨幣論が蔓延する世界>

    最後のお金の条件は「債務不履行に陥る可能性が低い」である。国民がある特定のお金について、支払いや返済に使用できなくなるであろうと譲渡性に疑問を抱いた場合には、そのお金は社会で通用しなくなる。銀行の場合、資産・負債の規模が大きいために、我々は不安を抱かず預金を行っている。預金準備制度により定められている、最も小さな預金規模の区分は「500億円以上、5000億円以下」と非常に大きなものだ。銀行は預金という負債を増やし、金利を稼ぐ商売である。通常、預金(負債)の規模が大きければ、資産もほぼ同規模になる。巨大なバランスシートが銀行預金の担保なのである。

    日本銀行が発行する紙幣の担保は国債と法律である。一般的に日銀は、地中銀行から国債などの債権を買い取る代金として、日本銀行券と日銀当座預金という日本円を発行している。この場合、市中銀行から日本銀行の債権へ国債が移動し、発行した日銀預け金は債務となる。また、法律によって日本銀行券は法貨であると定められ、日本銀行は日本銀行券を発行できる権利を持つことから、日本銀行券の発行によって日本銀行券の負債を返済することができることから、債務不履行の可能性はない。

    紙幣の起源は銀行の預り証であった。硬貨は通常、価値ある金属で作られてきた。硬貨の保管に不安を抱く者の需要を満たす形で、硬貨の保管を行う「銀行」が生まれた。銀行は利用者に預り証を発行し、出金のための証とした。これが紙幣の起源である。預り証は次第に交易の決済などに利用されるようになる。銀行にある債権によって負債を弁済する形は現代の銀行振込と同様の形を取っている。中央銀行の発行したお金が負債になるのは当然なのである。

    お金の発行利益のことをシニョリッジ(通貨発行益)という。政府の発行する貨幣(硬貨)の流通額は一般会計においてほぼ歳入に組み入れられており、政府の負債ではないのである。封建時代のヨーロッパでは領主が貨幣(主に銀貨)を発行し、庶民に利用させていた。貨幣に金額は刻印されておらず、領主の命令によって価値が変動するものであった。領主が貨幣を改鋳し、更なるシニョリッジを稼ぐこともあった。なお、十円玉のシニョリッジは-32円である。硬貨の製造コストのうち金属の費用がほとんどであることから、違法に十円玉を溶かし、銅として売るようなことがあると利益が出てしまう。中世イギリスでは銀貨を溶かし、売るということが起こり、硬貨の鋳造が困難になってしまったことがあった。

    「貨幣の額面と実質の価値に乖離が起こると、より価値の高い貨幣が市場から駆逐され、価値の低い貨幣が流通する」これをグラシャムの法則という。価値の高い貨幣、例えば金貨は金として鋳造しなおされ、売り払われるか、手元に保管される。「債権と債務の記録」でしかなかったお金は、金属を利用した貨幣の歴史から、お金の裏づけに「金属価値」というものが必要かのように誤解されるようになってしまった。1944年には、ブレトンウッズ会議において、金1オンスの価値が35ドルと固定されることになる。ドルを世界の金の産出量で賄えるはずはなく、71年8月15日にニクソンが金とドルとの兌換を停止し、金本位制は終わりを告げた。

    お金の裏づけに金属が必要との誤解が広まると、国力を高めるためには金を多く集めなければならないとの考え方が生まれ、これを「重商主義」と呼ぶ。重商主義をとっていた政治哲学者のジョン・ロックも、お金の本質を金属価値と誤解し、銀の価値と毀損した銀貨の価値とに乖離があるとし、改鋳を行った。結果として、銀貨の数は半減。また、他国の基準では銀貨の銀の額面価値が上回ってしまったことから、銀が外国へと流出し、重商主義が前提のイギリス経済は長く低迷することとなった。

    <その他>

    日銀の量的緩和の狙いとプロセス。市中銀行から国債買い上げ→日銀当座預金残高を増やす(日銀のとっての負債、銀行にとっての資産)→日銀当座預金残高の増えた銀行は、預金と貸し出しの出来る金額が増える。準備預金制度により、銀行は「預金総額×預金準備率」分の日銀当座預金残高を保有しなければならない。日銀当座預金が増えるということは、保有できる預金総額が拡大するということである。そして、銀行の貸し出し限度額は「日銀の当座預金残高÷預金準備率」であり、貸し出しできる金額も増える。民間への貸し出しの拡大をひとつの狙いとして量的緩和行ったのである。

    国富とは「物」「人」「技術」である。金ではなく「物」「人」「技術」が国内の需要を満たすのに必要なのだ。

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