- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864910057
作品紹介・あらすじ
この30枚の写真は、ぼくが切なく楽しい少年時代に帰る招待状だった。『狼たちの月』『黄色い雨』の天才作家が贈る、故郷の小さな鉱山町をめぐる大切な、宝石のような思い出たち。誰もがくぐり抜けてきた甘く切ない子ども時代の記憶を、磨き抜かれた絶品の文章で綴る短篇集。
感想・レビュー・書評
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①文体★★★★☆
②読後余韻★★★★☆ -
フリオリャマサーレス2冊目
例えるならセピア色の物語を描くのが、
得意な作家なのかもしれない。
写真と記憶。ノスタルジーの物語。
とある少年の物語ーーではなく、
とある街の12年間を綴っているという仕組みのせいか、この本を読んでいるとき、
登場人物自体にさほど愛着を持つ事がなかった。
私は、
この作品に登場する人物、街、出来事に対して、
気がつけば自分の記憶のナニカを連想してしまっていた。
そして自分の手持ちの記憶と写真を、より一層愛するようになった。 -
母が大切にしまっていた写真を見返しながら、著者の最初の十二年間住んだオリェーロスを描き出す作品。消えていく町を浮かび上がらせ、人の記憶を残していくような記述はとてもよかった。短編で好きなエピソードも多かった。
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筆者が過ごした濃密な記憶の中にある情景を「写真」と称し ジグソーのピースを合わせて作り上げたフィクション。筆者の想いは短編集とよばず、訳者が評する様に小説。読みつつ 私も「あれ!これ、知ってる」という感覚に揺れ出す・・地球の反対側の場所で筆者がこの空気を吸っていたんだという感慨は愉しい。オリェーロスは鉱山の町・・黒と白の2色・・粗暴と過酷。半分以上の章は「○○は野垂れ死んでいた」みたいなエンド。だが少年は生きる知恵を貰った。。ラスト フランコ政権についての語りは子供ながら骨がある・・して父の光が消えゆく
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問うべきは死後に人生があるかどうかではなく、死ぬ前に人生があるかどうかである。
母親が持っていた昔の写真を眺めているうちに、どこかで聞いたこの言葉が蘇ってきた。
ぼくは少年時代を小さな鉱山町のオリェーロスで過ごした。牧歌的で美しい風景を持つが、粗暴で過酷で、自分が生きる知恵を学んだ町。
鉱山が閉鎖になると知ったときに、自分の記憶にあるこの町の思い出を物語として再構築しようという目論見により描かれた小説。
町にあった映画館へ通っていたこと、若くして鉱山で働き身体を病んだ鉱夫たち、旧友たちとの思い出、道で死んだ物乞い、憧れていた伊達男、毎年来ていた芸人一座、独裁政権を敷いていたフランシス・フランコのこと、そして町を出るときが来た。
これらの思い出が、優しく落ち着いた情緒に満ちた語り口で語られてゆく。
序文では作者が、これは自伝のようでモデルとなった出来事や人物はあるけれどもあくまでもフィクションとして事実を再構築している、と書いている。
翻訳者の木村栄一さんを「友人」と呼び、また木村さんはあとがき解説でリャマサーレストの交流を語る。なんとも幸せな作者と翻訳者の関係。 -
2012-8-26
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「彼らが誰なのか思い出せないし、彼らが誰で、何をし、死んだのかどうかさえ分からないが、写真がある限り彼らは生き続けていくだろう。というのも、写真は星のようなもので、たとえ彼らが何世紀も前に死んだとしても、長い間輝き続けるからだ。」
記憶にかかる靄。時間という映写機の歪んだ焦点。過去の思い出に光が差し込み、遠く離れたところからぼくを呼ぶ声が、たった今聞こえているかのように耳の中でこだまする。深い淵の上にかかる橋。時間の深淵を越えるに際して覚えるめまい、同時に捕らわれるもの悲しさ。
――今では雪にいなっている母に――
作中の『ぼく』のもとに送られてきた1957年から1969年までの、かつて住んだ鉱山の町オリェーロスと、そこに生きた人たちの姿を映した30枚の写真。
そこから紡ぎ出される、回想でありながらフィクション。それは町の住民、鉱山労働者、外国人狼奏者、旅芸人や楽団員、写真屋が織りなす過ぎた時代の肖像。
虚実のはざまで揺れる短い物語集。 -
全編これ「喪失」の物語のさまざまな変奏である
写真 映画 記憶 死 生 …
周到に選ばれた、喪失を語るメディアのかずかず
それはとりも直さず、人生がいかに失うことに彩られているかということを語ることなのだ