女が女になること

著者 :
  • 藤原書店
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865780376

作品紹介・あらすじ

月経、妊娠、出産、子育て……
女のからだの喜びが、いのちと社会を支える。
セクシャル・マイノリティの権利の主張は十分正しいが、一方で、マジョリティであるはずの男女は未婚とセックスレスが増加し、少子化の一途である。
“仕事と家事・育児の両立”が喧しいが、問題は両立でも経済でもなく、男に抱きとめられ、性と生殖を担う女のからだの喜びが見失われていることである。
見失われつつある女たちの家族への“祈り”と家での“働き”を、どうすれば今、肯定的に取り戻せるだろうか?


■「生の原基」とは (本文より)
 「母性」とは、時代によって転変する社会的制度からしか考えられないものだろうか? 目の前で育ってゆく赤ん坊の求めるものときちんと向き合い、応えてゆく力が、今、見失われている。
 「生の原基」(渡辺京二氏)というキーワードを軸に、いつの時代もかわらぬ、育ってゆく子どもという存在と、すべての人間にあらわれるはずの「母性」のありようを探る試みである。
「あらゆる文明は生の原基の上に、制度化し人工化した二次的構築物をたちあげる。しかし、二〇世紀末から二一世紀にかけてほど、この二次的構築物が人工性・規格性・幻想性を強化して、生の原基に敵対するようになったことはない。一切の問題がそこから生じている。」(渡辺京二)

感想・レビュー・書評

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  • 女が女になること

  • 読者途中。母乳育児などかかれている。女の人のからだのこと書かれているので、男の私が読むのは嫌な人には嫌かなと思ったりする。昔、高校生かそれ以上のころ、さくらももこの出産のエッセイを買って読んでたら、母親に男やのに、そんなの読んでいやらしいと言われたことがある。結構ショックであった。奥さんにもそのエピソードを話したことがある。
    この本は、武田鉄也のラジオで紹介されていた。田房永子の本と真っ向から対立するかなと思ったが、そうでもなさそうである。二人が対談すると女の人にとって住みやすい社会が見えるのではと思ったが、対談は難しいのかなと考えたりする。
    本の内容は、出産の当事者になれない男からすると、すばらしいと思った。母乳で育てる話は納得できる。
    男にすると、女の人が、産んだ子供をしっかり育ててくれたら、仕事に邁進できると考えることができるからだと思う。私もこの考えがないとは言えない。
    奥さんにすると旦那の稼ぎでは、到底やっとれんと思うから、働くのだという。その考えもあるかもしれないが、やはり、自分の稼いだお金を自由に使えるというのは、仕事の醍醐味の一つとおもう。奥さんはそれを知っているのだろう。私は、労働(苦役)の考えであるから辛いのかもしれない。
    家事であれば、私は仕事と思えるのではとふと思った。自分で使えるお金について、それほど執着ないのは、やはりお坊っちゃまだからだろう。
    奥さんは、家事は労働ととらえているかもしれない。実際、家事の主導権は、奥さんが握っている。私は専業主夫になりたいのだろうか?本音は、なりたいのだが、男に生まれたからには、違うと言わなければいけないとこの考えもやはり半分は持っている。これは、育てられかたもあるかもしれないが、もう変えられない本音の半分かもしれない。
    娘を、奥さんと二人試行錯誤しながら、育てている。正解はないかもしれない。今、娘は、不満があるかもしれないが、大丈夫そうである。0歳から保育園にいれていた。娘をかわいそうと思うこともあった。私以上に奥さんは思っていたかもしれない。そういえば、娘を生むとき、病院も保育園も奥さんが自分で見つけたのだと今認識する。大変だったろうなと思った。
    男が、母乳で育てて欲しいとか、三歳まで一緒に育てて欲しいとかは、言うべきことでないと思った。やはり母親の考えが一番優先されることだろうと考える。
    母親が、男に稼げと命じたら稼ぐし、育児しろと言われたら育児をしなアカンのかなと考えたりする。
    三歳時神話の話があった。神話というネーミングに影響されて、みんながそれに向かっている感があるが、三歳時まで母親と一緒にいるのは、人の経験として正しいとあった。うーんと唸る。娘にどれだけ負担があったのかは、今もわからない。これから思春期を迎えて何かあるかもしれない。
    娘が、2歳ぐらいのときに、病児保育へ連れて行ったことがある。保育士さんが居て、少し私が恥ずかしかったので、おちゃらけた感じで、娘に、「じゃバイバイ」と言って別れた。背中ごしに娘の泣き声が聞こえてきたが、振り向かずに会社へ向かったと思う。酷いことしてるかなと考えながら行った。そのときの娘の泣き声を思い出せる気がしていたが、今は思い出せない。この話は何回も奥さんに話したことがあるが、母親は、何回も同じ気持ちだと言われた。そんなんだと納得していた。今この文章を書いて思うのは、別れ際に、なんで娘をギュとだきしめなかったのかなと思った。保育士さんがいて恥ずかしかったからと思う。このエピソードは私も育児頑張りましたの思い出である。でもあまり誉められることでなかったなと今思った。後ろ髪引かれる自分の気持ちばかり、優先していたなと思った。
    昨晩、娘を1歳半と2歳半の頃に録画したビデオをみた。懐かしかった。娘はあまり面白くなさそうであった。やはりその頃の育児のことを思い出す。どんな仕事をしていたかまったく思い出せなかった。自分の時間がなくて大変だと思っていたように思う。今であれば、心に余裕を持ってすごせたのかなと考えたりした。娘が、三歳ぐらいに東京へ転勤になったなと改めて思い出した。
    自分が女であれば、三歳まで、子供と一緒にいて、仕事はしていなかったと想像できる。(意味はないが…)
    本のなかで、女の人の働く環境が、この15年ほどで変わってきたとあった。成果主義のようなものが入って、せちがらくなったのだろうか?肩の力を抜いて生きていけるのではと最近思うようになってきている。
    家事は女の人が見るべきで、業績を持ち込むべきでないとあった。私が女であれば賛成すると言ってもいいが、男の私が賛成を言うとだめなんだろうなと考える。
    おむつなし育児をすると子供がたくましく育つとあった。娘は3歳半までおむつをしていたようである。私は覚えていなかった。私たちもすれば良かったのではと考えた。現実は、無理だった。
    家事も育児も全て奥さんの主導である。だから家事のやり残しは厳しくしかられる。本のなかに業績を家庭に持ち込まないとあった。人の仕事を引き受けるとあった。納得できた。これを奥さんに実践してもらいたいは間違いなのだろう。私が受けなければいけないのだろう。嫌たなと感じたのは、PTAの仕事だろう。これについてはどうしようもない気分が沸き起こり、これだけは勘弁してくださいの気持ちになった。
    奥さんが、私に腹が立つのは、いいかげんな気持ちで仕事をまる投げすることかなと感じた。自分の中では、多くの仕方なかった感をもっているが説明もすることもなくやっている。仕事でもそうだった。

  • 2016/2/21図書館から借りた。

  • 女性が社会に適応しながらも無理なく女性性を肯定
    的にとらえる方法について考えながら読んだ。

    この本からの答えは、日常の生活の中で家族を思い祈ること、家事の中に人生の楽しみを見出すこと、そして生殖の責任を女性一人で負わないことにより、日々を心穏やかに過ごせ母性が自然と開花する、ということだろうか。

  • 助産院
    おむつなし育児
    母乳

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著者プロフィール

1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。作家、疫学者。津田塾大学多文化・国際協力学科教授。専門は疫学、母子保健。著書に、『オニババ化する女たち』(光文社新書)、『死にゆく人のかたわらで』(幻冬舎)、『女が女になること』(藤原書店)、『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)、『女に産土はいらない』(春秋社)、『セルタンとリトラル』(弦書房)、『ケアリング・ストーリー』(ミツイパブリッシング)など、きものについては『きものは、からだにとてもいい』(講談社+α文庫)がある。編著に『赤ちゃんにおむつはいらない』(勁草書房)、共著に『気はやさしくて力持ち』(内田樹、晶文社)、『ヒトはどこからきたのか』(伊谷原一、亜紀書房)、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)などがある。

「2024年 『六〇代は、きものに誘われて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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