チャー坊遺稿集 1950~1994

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著者 : 柴田和志
  • 飛鳥新社 (2002年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784870315266

チャー坊遺稿集 1950~1994の感想・レビュー・書評

  • 棚の奥からある詩集が出てきた。それは「チャー坊遺稿集」という。チャー坊とは、昔、「村八分」という放送禁止用語をバンド名に冠した日本のロック・バンドがあって、その村八分のヴォーカリストであった人で、本名を柴田和志という。村八分は1960年代にダイナマイツのギタリストであった山口冨士夫が、アメリカを旅しローリング・ストーンズのオルタモント駐車場でのフリー・コンサートを見て帰国したチャー坊を誘い、1971年に結成したバンドであった。村八分は1973年までにシンプルなブルース・ロックを演奏し、歌詞はチャー坊のオリジナル日本語詞で、その詞もヴォーカルも本当にオリジナルで素晴らしく、冨士夫のシンプルなギター・リフが音楽を滑空させていた。1973年に2枚組のライブ・アルバムを発表し、休止状態になる。山口冨士夫と柴田和志が協同して初めて作った曲が「くたびれて」という楽曲で、柴田和志は石川啄木やフランスの詩人、ランボーが好きだったらしく、こんな詞であった。

    「あるいても あるいても
    はてどなく はてどなく
    にぎりしめた手のひらは
    あせばかり あせばかり

    あるいては 立ちどまり
    目を閉じて ふりかえる
    心にしまった宝は
    さみしさばかり

    あるいては くたびれて
    ふりかえり くたびれて
    にぎりしめた手のひらは
    くたびれて くたびれて」

    チャー坊はバンドがなくなったあと、旅に出る。1973年から1975年ぐらいまで、世界中を旅し、あらゆるメディシン、ドラッグを経験したという。帰国後の1975年、薬物中毒と統合失調症(旧名:精神分裂病)を発症。度重なる入退院を繰り返す。1977年と1979年に山口冨士夫と村八分を再結成している。1979年のライブ音源がCDとなり公式にリリースされているのだけど、モータウンのスタンダードなども山口冨士夫のボーカルで演奏している。この1979年の再結成はあまり評判が良くなかったらしいのだけど、今、聴くとこの時のライブは本当に素晴らしい。この時に「Red Letter(思想犯の手紙)」という曲を英語の詞で新曲として披露しているのだけど、もともとの日本語の詩はこう。

    「帰りたい君の住む家へ
    なんて遠くまできちまったんだろう
    はやく はやくたどりつきたい

    君の住む家へ帰りたい
    あなたを愛してるから
    今 赤い手紙を書いている

    今から海を見にいくんだ
    流れ星を見たことあるかい
    何かいい事があるぜ

    思想犯の手紙 悲しい手紙だぜ
    ガンバレ赤軍 赤い星 人は殺すな
    東大闘争の人たち覚えているかい

    銀色の涙を流す老母よ 元気を出すんだ
    銀色の涙を流す老母よ 海は近い
    今 赤い手紙を書いている

    帰りたいあなたの住む家へ
    もう帰れないのだろうか
    はやく帰りたい」

    その後、再び、入退院の繰り返しとフラッシュ・バックとの戦い。1990年に山口冨士夫抜きで村八分を再始動。年に数本のライブをする。1994年に逝去。死の直前に書かれた題名の無い詩がある。

    「このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
    このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
    生や死 どうすればいいんだい 自殺しろというのかい
    おれはそんな勇気はもうないぜ 動機もないぜ
    そりゃー昔は自殺にあこがれたもんだぜ
    だけど今 おれには生きるよろこびが生まれてきたんだ
    ステージがあるぜ ずーっと闘病生活だった
    天に星 地に花 人に愛
    おれは生きるよろこびを認識していきたいぜ
    たしかなものにしたい 生きててよかった
    そう思いたい
    誰にも邪魔されたくない
    おれはひっしでみつけたんだ
    おれには音楽や美術があるってね
    わかってくれよ おれの事
    麻薬でだめになったおれの事を
    は... 続きを読む

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チャー坊遺稿集 1950~1994はこんな本です

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