殺人者たちの午後

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制作 : 沢木 耕太郎 
  • 飛鳥新社 (2009年10月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784870319592

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殺人者たちの午後の感想・レビュー・書評

  • 「殺人者たちの午後」は、イギリスの作家トニー・パーカー氏による殺人者たちのインタビュー集です。日本語訳は、沢木耕太郎氏。

    人は人を殺すとき、どんな状態で、どんな思いでいたのか。

    人を殺した後、どんなふうに生きていくのか。

    とても重いテーマと思うのですが、殺人者も「人」。

    人を殺す人と、殺さない人との間にある「何か」は、見えるようで、見えないと感じさせる本でした。

    個人的に興味深かったのは、沢木さんの「訳者あとがき」です。

    「すぐれたインタビュアーとはどういう存在なのか」。

    ということについて、沢木さんは次のように書かれています。

    「まず、何より好奇心を持っていること。」

    「次に、本質的なところで世界と人とに肯定性と謙虚さを持っていること」

    「そして、最も大事なものが、理解力と、想像力といってもよい洞察力を持っていることである」

    人に取材させていただく機会のある私にとって、頷かされるポイントずばりです。

    さらに、沢木さんは「インタビュー」という行為について、次のように書かれています。

    「それにしても、インタビューとは不思議な行為である。多くの場合、一面識もない相手と、インタビューという方法を媒介にして人間と人間との関係を構築していく。もちろん、そこには限界がある。理解したいという情熱と、理解されたいという願望がぶつかり合い、訊ね、答え、耳を澄ませて聴いてもなお、やはりどうしても到達できないところがある。それがインタビューという方法を媒介して切り結ぶ人間関係の限界でもあるのだ」

    「殺人者の午後」が出版されたとき、ある雑誌に沢木さんが紹介されていたトニー・パーカーの手紙の一節。この「あとがき」からのものでした。

    「書くことは才能や天性とはまったく関係がない。重要なのは、孤独に耐える力と決断力、勤勉さ、そして取材対象者との密接な結びつきである」

     インタビューを介して築く人間関係には、限界があります。その限界に、孤独を感じることもありますが、それでもなお相手と密接な関係をつくろうと、最大限ぎりぎりのところまで相手に迫っていく努力をできるかどうか――。

     人との距離感というのかなぁ…。

    インタビューに限らず、良い感じの距離感を保っていくことは大事ですよね。
    この人とは、この距離。
    あの人とは、このくらいの距離…。

    適切な距離を探ることは、人と向き合う仕事をしている人にとって、共通の課題かもしれません。

    トニー・パーカーの手紙の一節、実は、私、今年の手帳に写してありました。

    そろそろ2012年の手帳にしなくては!
    もう一回、写しておきたいと思います(*^_^*)。

  • 翻訳者は沢木耕太郎だが、沢木作品の面白さを期待して読むと期待外れになるので注意。
    外国の犯罪者の話のせいなのか、翻訳物特有の言語的なフィルタのせいなのか、リアル感があまりなかった。
    まあ、古本200円で買った程度には楽しめた。

  • 死刑制度のない国イギリスで終身刑になり、仮釈放され社会で暮らす受刑者。その後悔の念は強く、行き続けることの辛さすら見えるけれど、それ以前に感じるのは、人を殺めるに至った理由がみな稚拙すぎること。後悔してからではやはり遅すぎる罪だと、改めて感じる。

  • しみじみと心に沁みました。

  • 後悔はしているのだろうが…何かがおかしい。
    その微妙なズレの様なものが、怖い。

  • 「殺人」という切っ掛けは常にそこら中に転がっていて、自分がいつその被害者になるか、という現任はサイコロの出目だけなんだろうな。たぶん殺人者になるのも同じ。

  • 面白かった。
    当たり前だけど十人十色。淡々としているのだけど、時に暗闇が濃過ぎて焦燥感。かと思えば救われたり。

  • 死刑制度がないイギリスで、殺人罪により終身刑を宣告された受刑者たちの「その後」を書いたインタビュー集。
    インタビューといっても、インタビュアーである著者の言葉は書かれておらず、読んでいると受刑者の独白のようにも感じる。
    いままでに読んだこの手の本は、一度くらいは聞いたことがある「有名な」殺人者を扱っているものが多かったけれど、この本に出てくるのは(誤解を恐れずにいうなら)人々の記憶に大して残らない三面記事的な事件を起こした殺人者ばかり。
    そのぶん身近、というか、生々しい印象はあるものの、インタビューにこたえた10人の受刑者のうち、印象に残ったものと残らないものがあるのも正直なところだ。

    個人的にいちばん印象に残って、いちばん読むのが苦しかったのは、3話目に収録されていた「とんでもないことが起きてしまった」
    収録されている中でも1,2を争うほど残虐で、許せない事件であるはずなのに、同時に受刑者の痛み…というと少しずれてるかな、良い言葉が見つからないのだけど、「翳」のようなものが本当に悲しいし、辛い。

    それと違った意味で印象に残ったのは、2話目の「ノープロブレム!」。
    これは読んでて心底“胸糞が悪かった”。

    自らが起こした事件に対していろいろな向き合い方があって、いろいろな消化(あるいは未消化)の仕方があるのだなあ、とただぼんやりと思う。
    原題はライフアフターライフというそう。
    もとは12人の受刑者を取り扱っていたのに、訳者の沢木氏の都合なのか、編集の都合なのか、収録されているのは10人。…沢木氏が訳を引き受けてから10年以上放置してたってあとがきに書いていたから前者なのかな。

    最後に。
    評価を★4つにしようか、3つにしようか、本当に迷った。
    きっと、3話目がなかったら、迷わなかったと思う。

  • 人を殺すというのは
    もしかしたら
    全ての人達の日常生活に
    取り込まれている
    普通の事なのかも知れないと
    感じずにはいられないぐらいに
    この本に登場してくる
    殺人者達は一様に平凡な
    人々ばかりです。
    それが、尚更に恐い。
    どこで、何が狂ったんだ!?

  • まったく私事ながら、私自身は、猫の尻尾を踏んでも心を痛め、待ち合わせに5分遅れても申し訳なさで身も細る思いをし、買い物でおつりを100円余計にもらったことにあとで気づくとあのレジの子は怒られなかったかしら、と胸を痛める善人であることを、まずは高らかに宣言しておきたい。

    なのに。
    なのに、何故かつい読んでしまう。犯罪のノンフィクション。
    読めば気分がわるくなることはわかりきっているのに。
    なんで?なんで?と善人界の私が考えても極悪非道の理由などわかるはずもなく、とにかくやたら腹がたち、出口のないやるせない重たい気持ちをしばらくひきずる。それがわかっているのに。
    おそらくほとんどの人にとって、犯罪ノンフィクションとは、そのようなものなのではなかろうか。

    犯罪を犯したこの人たちの言い分は、はっきり言ってとても自分勝手である。
    いいわけや理由がものすごく自分本位で、とてもひとりよがりで、勝手。

    あっち側とこっち側の分岐点はどこにあるのか。どこで何をどう間違えたのか。その人と自分はどう違うのか。本当に違うのか。

    影があるから光の存在が意識されるように、悪の大きな振り幅で、善が試される、のかもしれない。

  • 人に歴史あり、歴史とともに思いあり。しかし思いとはうらはらになることも多々あって、ほんの一瞬の間違いは誰にでもあることなのかも知れないと感じた一冊でした

  • 犯罪研究の本場・英国発の殺人犯インタビュー。
    と聞いてどんな「有名人」のオンパレードかと思いきや、「ああ、あれか」とパッと浮かぶ事件は皆無。調べて実名が判りそうな者さえ、せいぜい1人か2人しかいない。大半は社会面の埋め草にしかならず、それもすぐニュースの洪水に押し流されていったであろう、あえて言うなら「ありふれた」事件の主人公たちだった。

    それも道理で、本書の主眼はかれらが引き起こした犯罪にはない。殺人を犯し、なおかつ逮捕された人間の「その後」を描き出すのが目的なのだ。「LIFE AFTER LIFE」 本書の原題に使われているこの名詞には、よく知られたものの他に「終身刑」の意味がある。
    そう、英国に死刑は存在しない。ゆえにこのような書物も成立しうるわけだが、我が国では「死刑に比べれば」とばかりに軽々に使われている感の否めない「終身刑」という単語について、その実態を知っておくことは必要不可欠であろう。その点本書は、二つとない教材である。

    さて一口に「殺人犯」と言っても、当然のことながら千差万別だ。典型的なloserあり、ぞっと心胆寒からしめる異常者あり、恋に救いを求める者あり、どう見てもの心神喪失者あり。
    これらに当たる著者の手法は独特で、録音テープをそのまま書き起こしたかのような語り手の一人称が徹底され、その間にインタビュアーが割り込む余地はない。これによって、統計や研究書では「ありふれた」上記殺人者たちを、肌身に迫るリアルな存在として描き出すことに成功している。
    ちなみに10編(原著では12編)の半生記のうち、個人的に最も印象に残ったのは第三話だった。その犯行はといえば、本書でも一二を争うほど胸の悪いものなのだが…なぜか、被害者ではなく彼のほうに感情移入して泣いてしまった。

    このように文句のつけようもない良書なのだが、星1つ減じたのはひとえに、訳者の姿勢に対してである。
    そもそも、20年越しの仕事という時点でどうなのかと言いたいが…原著から2編カットした判断の根拠といい、すばらしい原題にまるでそぐわぬタイトルといい、手前勝手さが目に余る。
    訳文自体は悪くないと思うが、これも原著を対照したわけではないので何とも言えない。

    2011/2/12〜2/14読了

  • 2009年11月28日読了。死刑のない国、イギリスで終身刑を宣告された殺人者たちの「その後」をインタビューした本。貧しさ、孤独、不条理。なにげない会話の中に人生のすべてがある。

  • 『で、実際、わたしは問題を起こさなかった。つまり、わたしは自分の中に潜んでいる「何か」に打ち勝つことができたというわけ。ようやく、どうすれば分別のある人間のように振る舞えるかがわかってきた。さっきも言ったように、そんな気がしただけなのかもしれないんだけれどね』-『神様と一緒に』

    確かにその場所では時間はたっぷりあるのだろう。インタビューに応じた人々が口々にそう語るのを読んだからというだけでなく、尋ねられたことに対する答えが、どれも長いこと胸の内に留まり反芻されてきたもののように響くのだ。それはきっと熟成という表現が最も適した何かが言葉の中にある、ということでもある。

    一つのことを考え続ける。そういうことができる状況にある現代人は、恐らくとても限られているだろうなと思う。本当は必要なことであっても、多くの人はそうしなくて済むようにどこかで無意識のうちに思考のスイッチを切ってしまう。あるいは、紋切り型の論理をなぞる、と言ってもよい。そんな風に拙速せずに思考を続けているのは、あるいは哲学者くらいかも知れない。そんな思いになぞらえる訳ではないけれど、このインタビューに答えている人々の言葉には、一般的な人のそれには無い、何かとても濃縮された思考の反射があちらこちらで光っていて、それが哲学的な響きにさえ聞こえてしまうような錯覚に陥る。

    重大な罪を犯してしまったことに対して、法が下す罰よりも明らかに大きな苦悩を抱え、そして抱え続けていかねばならないという逃れられない事実が、一人一人の答えの中に滲んでいる。印象的なのは、誰もが刑務所中で与えられる苦痛というものが、一般的に想像するような酷く耐え難いものであるとは感じていない、ということ。そのことからも、法が裁く刑罰というものが直接的には受刑者に反省という心理を植え付けない様子が垣間見える。まして償いという心理などは。

    しかし法は彼らを一つ所に閉じ込め無限とも思える時間を与える。それこそが真の罰であることがじわじわと了解される。時間がある、ということが、実は時間の多さではなく時間の無さを意味するのだと解ってくる。つまり時間はある一点から先へ進んでいかないのである。その無間地獄の中で受刑者たちは犯してしまった罪について否応もなく考え続けるしかない。その思考の繰り返しの中で、あたかも何かを悟ってゆくような過程が進行する。

    自分は決して信仰心の篤い人間ではないけれど、ふと、ひょっとすると神と呼ばれる存在はそのことに向き合わせる為に敢えて罪を犯させたのだろうか、という思いがわいてくるほどである。しかし冷静な読者であるためには、もう一つの視点も常に持ち合わせていなければならない。それは被害者の側の視点である。

    ともすると、インタビュアーであるトニー・パーカーの巧みな対話で引き出されたものによって読者は知らず知らずのうちに殺人を犯してしまった者たちへのシンパシーすら感じるようになってしまう。なおかつ、その言葉たちがあまりに深く響くものだから、そこに何か修行を収めたものに対するような感情を抱いてしまいそうになる。しかし、そこには命を奪われたものがあり、そのことに対する償いはあらゆる意味で不可能なのだという事実がある。苦悩を与えられたものにはそれなりの理由があり、それはどのインタビューの中にも滲んでいることだけれど、終わることは決してない苦悩なのだ。償うという言葉に裏腹に潜む「復讐」のような感情が、その終わりの無さ、をもしかすると支えてしまうのかもしれないと思う。

    こんな風に急いで自分の気持ちを引き締めなければならないと感じるほどに、殺人者たちの言葉は魅力的に響く。それはインタビュアーであるトニー・パーカーの立ち位置がかなり中立であるからこそ引き出された言葉たちなのだろう、と想像する。そしてそこに吸い寄せられるものが、確かに自分の中にもあることを感じて恐ろしくなる。

  • イギリスで殺人により終身刑を宣告された12人へのインタビュー。イギリスには死刑制度はなく、殺人を犯した者はすべて終身刑になる。服役態度にもよるが10年前後で仮釈放されるようだが、その後も保護観察の対象となり、何か問題を起こすとまた刑務所に逆戻り、それがまさに命尽きるまで続く。
    インタビュー自体は何ということもなかったが(共通点は自分を抑えられないこと程度)日本の死刑制度について考えさせられた。

  • 殺人を犯した人たちはその後の人生をどう過ごしているのか。興味はあってもなかなか知ることのなかった話である。日本とイギリスの刑法の違いもあるが、普通に市井に生きているのだなあと思った。

  • 新聞で三行ですまされる殺人事件が、トニー・パーカーを経て「物語」となる。それはどういう作用かはよく分からないけど、僕を含む少ない人の心に突き刺さって、その衝撃が忘れられない思い出として心に残る。どれだけ事実に沿っているかはわからないし、犯罪心理学や社会学の研究者からは黙殺される類の本だと思うのだけれど、それでも何か重いものを心に残していったことは事実で、ああこんな本を作りたいなあ、と本作りを考えるようになった一冊。

    *オーラルヒストリーの実践として読んでも面白いと思いますよ!!

  • 殺人者10人に対するインタビュー。訳が良い。

    あまりにあっけなく起こってしまう殺人と、そのあとの加害者の苦しみ。ごく普通の人に見える加害者もいる。けれど、人を殺してしまったのに普通に見える、ということが普通でないような感触もある。彼らが作者に言わなかったことは何だろうかと考えさせられる。加害者以外の関係者が語ったら、全然別物の話になったかもしれない。本当に、「ある一面」を切り取った本。

    出所後の仕事を探してくれたり、住む場所を確保してくれたり、イギリスの犯罪者に対する社会復帰支援は充実している印象。そして、登場人物がなにかというと紅茶を飲むのがとてもイギリス風。

  • インタビュー形式で語られるも、インタビューアの質問は文章中には一切挟まれない。ただ、祖父を殺した者、見知らぬ男を殺した者、子供を殺した者たちが、淡々と語る、まさしく「殺人者たちの午後」。
    殺人を犯す地点で頭がおかしい、だとか、大衆ゴシップがよくいう「事件の真相」なんかではなく、彼らが語る彼ら自身の犯した罪と、彼らそのものがとてもリアルで、まるで自分の目の前でぼそぼそと話しているようだ。
    殺人者たちは時に妙に前向きであったり卑屈であったり歪んでいたり、さまざまな表情を見せる。しかしインタビューアはそれを遮ったり問いただしたりするのではなく、ただただ彼らをそのままに写し取っている。まるで写真のようだ。

    沢木耕太郎の長年の宿題として持ち続けていたのもなんだかうなづける。
    この素晴らしきインタビューア、トニー・パーカーは亡くなってしまったということが非常に残念。

  • (2010/05/08購入&読了)

    今日のBS週刊ブックレビューで紹介された。

    死刑のない国、イギリス。
    殺人を犯した人々は、自分の罪を抱えながら長い人生を歩んでいかなければならない。

    この本は殺人者たちへのインタビューをまとめたもので、「殺したあと、人はどう生きるのか」という点に焦点をあてている。
    殺人を犯した過程や犯罪者の異常性を書き立てるのではなく、彼らがどのような思いを抱き余生を送っているのかを丁寧に取材している。
    いっそ死刑にしてくれれば楽になれるのにと嘆く者もいれば、殺人者だって希望を抱いて生きていくことができると言う者もいる。
    インタビューから見えて来るのは、殺人者たちの個性と殺人を犯した後の濃密な人生である。

    訳者があとがきで述べている通り、日本では裁判員制度が開始され、一般市民が犯罪者に対して死刑を求刑する立場になり得るようになった。
    裁判員に選ばれた人々が無責任に死刑を求刑するようなことがあるとは思いたくはないが、死刑を求刑する際、たとえ相手が犯罪者だとしても一人の人間の未来を潰えさせるのだという覚悟と責任が必要となるだろう。

    ●自分の息子を殺してしまった男性へのインタビュー
    ━━ 俺は許されるにはあまりにもひどいことをしてしまった。ひとりの無垢な子供が俺の手にかかって死んだ。それはどんなことがあっても消し去ることのできないものなんだ。
    (「第3話 とんでもないことが起きてしまった」87頁)
    何度も何度も考えた。もしまだ死刑制度があって、裁判官が死刑を宣告し、俺が絞首刑にいされていたら、それですべて終りになっていただろう。時には、そうなっていた方が、こうして良心の呵責に苛まれながら生きて行くよりずっといいと思ったりもする。
    (同上 88頁)

    ●祖父を殺してしまった青年へのインタビュー
    ━━ じいちゃんが死んだのは残念に思っています、好きでしたからね。でも、重要なのはじいちゃんはもう死んじゃってるということで、前に言ったように、ぼくはそれは事故のようなものだったと思ってるんです。あれは誰にでも起こり得たことだったんですよ。
    (「第2話 ノー・プロブレム!」49頁)
    いえ、将来については心配していません。心配しても意味がないですから。ぼくの人生はこれからだし、時間をかなり無駄にしているので、目の前に広がっている道をどんどん切り拓いて、未来を最上のものにしたいと思っているんです。
    (同上 66頁)

  • 殺人を犯して服役した人へのインタビュー。皆、罪の深さに後悔しているようだった。ただ、時折感じる感覚の「ズレ」が気になった。殺人者たちの言葉を文字通りに受け取っていいのか。

  • 人を手に掛けるという罪を犯した者は、その後、いかにして「生」と向き合って行くのか。死刑制度のないイギリスでの話だが、日本の死刑制度を考える上での参考にもなる。

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人はなぜ殺すのか?殺したあと、人はどう生きるのか?心ゆさぶられる殺人者たちの告白。沢木耕太郎翻訳、傑作ノンフィクション。

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