- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784873761053
感想・レビュー・書評
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昨年、井上荒野が『切羽へ』で直木賞を受賞してから、何故か彼女より父親の井上光晴のことが気になってしかたなくなってしまった私は、そういえばそれほど良い読者ではなかった自分を恥じて、彼を再読というより、いちから真っ向勝負して根こそぎ拾う気持ちになったりしています。
生きていれば陳舜臣や邱永漢や吉本隆明より一つ若い1925年生まれですから、今年84歳ですが残念ながら1992年に66歳で亡くなりました。
その晩年を、癌告知から5年間追いかけてドキュメンタリー映画に撮ったのが、この本の著者=原一男です。
彼は、私が5本の指に数えるフィルムだと賞賛する、1987年に発表された『ゆきゆきて、神軍』という、1969年1月2日の皇居バルコニーに立つ天皇に「ヤマザキ、天皇を撃て!」と言って、玉砕した戦友の名前を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を放った奥崎謙三のドキュメンタリーを撮った人です。
おそらく日本に、いや世界でも稀有な独特の視点を持った特異なドキュメンタリー作家です。その系譜をたどるとすると、終生水俣を追い続けた土本典昭や、体制を痛烈に皮肉り茶化すマイケル・ムーアとも異なり、どちらかというと『上海』(1938年)や『戦ふ兵隊』(1939年)を撮った亀井文夫に近い資質かもしれません。
井上光晴を何作も読んでいるうちに、彼の姿かたちや声を見聞きしたくなって、フィルム『全身小説家』を見て、そしてその足でこの本まで辿り着きました。
今いっとき、私の周りには熱く鋭く迫って来る井上光晴が確かに存在しています。『書かれざる一章』も『ガダルカナル戦詩集』も読みました。
そういえば、ドキュメンタリー映画『全身小説家』には、何故か彼が最もこだわったはずの天皇がスッポリ抜けているのはどうしたことでしょう。
それから、井上光晴に強く惹かれるもう一つの理由は、彼が生前に語っていた生い立ちや経歴の多くが虚構だったということです。
嘘で固めた小説を書く小説家の年譜が嘘まみれという何と徹底した本物の小説家だったのだろうと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ミツハル、滔滔数万言の文字としゃべくりにもかかわらず、おぬしが最後のことばを保留しつづけた気持ちをわかっている人間はそれほど多くはいない。二番手の札は惜しげもなく威勢よく切って見せて、とことん一義的な真実の札はかくす。肉親や恋人や親友にはいっそう深くかくす。それが井上光晴という人間の構造の急所、存在をぎいとあげる際の鍵穴の暗さだからな。おい、ミツハル。生死の谷をわたる窪地の演説で何をしゃべった。ここにいる人間たちのことをどういった。わかっているよ。一人の例外もなく全員に向かって赤い舌をぺろりだろう。だが最後の一頁をわざと白いままにしておいた作家は、ほんとうに作家なのだろうか。おもしろい問題だねぇ。」
谷川雁の弔辞より。 -
2008/12/30購入