内村剛介ロングインタビュー

  • 恵雅堂出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (407ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784874300404

作品紹介・あらすじ

吉本隆明氏、激賞!「真正面からの問いと、深い共感が導き出した稀有な記録」
 ソ連が死ぬか、俺が死ぬか。かつてスターリン獄に幽閉されてあったとき、自分一個の実存と全ソ連の存在を等置した青年は、壁の中で一人レーニン全集に読み耽る。本書は、十一年後帰国した彼が、その後いかにして独立的な思想者、ロシア学者として生成したか、ロシアと日本への深い愛憎の核心を語る。
 少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡には、二十世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。

感想・レビュー・書評

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  • BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー「ブックサロン」で登場。
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/salon/salon39.php

    ゲスト五木寛之さんの人生を変えた一冊。

    「これが、内村さんがお書きになられた自分の思想を述べた一冊の本ではなくて、こういうインタビューに答えて語られた『語り』であるというところに僕はすごくこれを大事に感じるところがあるんです。」(五木寛之さん)


    原宿ブックカフェ公式サイト
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/

  •   内村剛介のロシア  -2009.04.03記     

    深い共感が導き出した稀有な記録、と吉本隆明に言わしめた、少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て、戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡。ここには20世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。

    「深い共感が導き出した稀有な記録」――吉本隆明
    この本は陶山幾朗がインタービュアとしてロシア文学者内村剛介に真正面から問いを発して、それにふさわしい真剣な答えを引き出すことに成功している稀有な書だ。周到な準備と確かなロシア学の知識.内村剛介への深い共感とが、おのずから彼の少年期からの自伝とロシア学者としての知識と見識の深い蓄積を導き出していて、私などのような戦中に青少年期を過した者には完璧なものと思えた。私のような戦中派の青少年にとって日本国のロシア文学者といえば二葉亭四迷から内村剛介までで象徴するのが常であった。そして実際のロシアに対する知識としてあるのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いと、太平洋戦争の敗北と同時にロシアと満洲国の国境線を突破してきた、ロシア軍の処行のうわさだった。中間にノモンハン事件と呼ばれるロシア軍と日本軍の衝突があったが、敗戦時のロシア軍の処行については、戦後になって木山捷平の作品『大陸の細道』が信ずるに足りるすぐれた実録を芸術化したものと思えた。あとは当時の新聞記事のほか何も伝えられなかったに等しい。
    太平洋戦争の敗戦とともにロシアの強制収容所について文学者が体験を語っているものは、内村剛介が時として記す文章から推量するほかなかった。わたしはおなじ詩のグループに属していた詩人石原吉郎の重苦しい詩篇をよんでそんなに苦しいのならロシアの強制収容所の実体をはっきり書いてうっぷんを晴らせばいいではないかと批判して、その後詩の集りに同席したことがあるが、お互いに一言も口をきかずに会を終えたことがあった。彼にはわたしの批判が浅薄に思えたのだろう。わたしは彼の晩年の二つの詩「北条」「足利」をよんだとき、はじめて石原の胸の内が少しく理解できるかもしれないと感じた。
    陶山幾朗という無類の、いわば呼吸の出しいれまで合わせてくれるようなインタービュアを得て、この本は出来上っている。少し誇張ととられるかも知れないが、わたしには親鸞と晩年の優れた弟子唯円の共著といっていい記録『歎異抄』を思い浮べた。わたしなどには内村剛介が十一年のロシア強制収容所生活中だけでなく、帰国のあと現在にいたるまでロシア学についての専門的な研鑽を怠っていないことが解って、たくさんの啓蒙をうけた。どうか健康であって貰いたいものだ。
    私がこの本につけ加えることは何もないに等しいが、この本がふれていないことと言えば、後藤新平満鉄総裁のもとで副総裁であった中村是公は夏目漱石の大学時代の心を許した悪童仲間で、是公から新聞を発行して助けてくれないかといって訪れている。漱石は胃病が思わしくないと断っている。それならただ見て歩くだけでいいから遊びにこいといわれて『満韓ところどころ』の気ままな旅を是公のおぜん立てでたのしんだ。公的な集りには一切かかわらなかったが、南満各地に散らばった悪童仲間に会い、二葉亭の故地も訪れていることがわかる。漱石のこの旅は『趣味の遺伝』に尾をひき、強いて言えば小説『こころ』につながっている。

  • 20090428 浦安中央図書館 【借入】

  • 未読

  • 1月30日に88歳で身罷った内村剛介から、いったい私は何を学んだのでしょうか?

    出会いは、高校生の時に読んだトロツキーの『文学と革命』(現代思潮社・1969年刊)でした。そう、最初に彼は翻訳者として私の前に現れたのでした。

    そんなことより、彼のシベリア体験です。敗戦後も拘束され、なんと1956年に至る25歳から36歳までの11年間を、人生の内で最も貴重な時間を、シベリアに抑留し続けられ、とてつもない地獄を味わった内村剛介。その間、調書のサインをいっさい拒否して、尋問と飢餓と孤独の中で、それこそ、ソ連が死ぬか・自分が死ぬか、と、断固として対決して、主義ではなく生き方を貫いた、類まれな男の中の男。

    その行動に値する、真の英雄としての評価を得て、羨望の眼差しで見られた輝かしい生涯だったのかどうか、リアルタイムでお追っかけたり伝記的な知識がないので存じませんが、どうもそうではないみたいなのです。

    その体験からほとばしる、日本での早期のソ連・スターリン批判は、貴重なものなのですが、どうかすると反左翼側に利用されたり祭り上げられたりしたきらいがないでもないと思います。

    残念ながら彼は詩や小説をあまりものせず、そして不幸にも、明確な論断より晦渋を好む日本の知識人層・読者層にとっては、中途半端な転向者の、曖昧な実存とか、いいかげんなヨーロッパ近代にいかれっ放しの、埴谷雄高などの方が受けがいいようなのです。

    ところで、卑近なことでは、同じような体験をした人物を、身近で何人か知っていますが、彼らは皆一様に、その反動のように、帰国後がむしゃらに働き詰めて、やがて社長とか会長とか言われる通俗の極致=奈落の底に落ちて、そしてその挙句【いえ、ひょっとして初めからの目的だったかもしれませんが】何人もの愛人を持ったり、タイやカンボジアで幼児買春に精を出したりしています。彼らは皆一見して善良そうにみえたり、中には人格者と見間違う者もいる有様ですが、本当はまったく違う人間の屑です。その親戚の伯父さまから幼少の頃以来お小遣いを頂いている私は恥知らずにちがいありません。

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