1900年大阪・堺生まれ。吉兆や錦戸などの料亭、つるや、大観荘、西村屋などの旅館、朝香宮邸茶席などを手がけ、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者となる。また大工技術を生かした彫り物技術や製図技術に堪能で、その作品も数多く残している。「大阪手帖」に連載後、1961年に書籍化された本書は評判を呼び、映画化された(「大工太平記」東宝、1965)。作品集に『数寄屋造り 平田雅哉作品集』『数寄屋建築』『床の間図集』などがある。1980年没。
「2018年 『大工一代』 で使われていた紹介文から引用しています。」