池袋・母子餓死日記: 覚え書き(全文)

制作 : 公人の友社 
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784875552451

作品紹介・あらすじ

巨大都市東京のド真ん中、豊島区・池袋のアパートで、77才の母親が41才の息子と共に餓死するという事件が起きました。死亡した母子は4月27日に発見されましたが、死後20日以上経過していたということです。母親は今年3月11日までA6判のノート10冊に綴った日記を残していました。豊島区は6月14日「餓死した背景を明らかにする社会的意義がある」ということで「豊島区情報公開条例」に基づきこの日記を一般公開しました。

感想・レビュー・書評

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  • 読んでいる間中、ずっと暗い気持ちから抜け出せなかった。
    こうした一次資料を、事件から四半世紀が経とうとしている今、あえて読み直す必要を強く感じる。
    中高年の引きこもりを、高齢の親たちが支えるといった現実が、けっして他人ごとではない今。
    分析して、真相が知りたいと思うのだけれど、個人情報などの観点から、いろいろと難しいのだろうなぁ。

  • ノンフィクションやルポルタージュを買うときは、小説と違い、事前にアレコレ調べることにしている。
    なぜなら、特に事件や事故のそれは、ともすれば人の命を奪った加害者が莫大な富を得る手段になることもあるからで、だから、

    『今年、東京都豊島区・池袋のアパートで77才の母親が41才の息子と共に餓死するという事件が起きた。その母が残した日記の全文を公刊し、正確な内容を提供する。』(MARCデータベースより)

    という本書の内容を知ったときもすぐに、「これは誰が利益を得る本なのだろう?」という疑問を抱いたのだが、故人の遺品である日記をどういう経緯で"公人の友社"なる出版社が公開するに至ったかは、いくら調べても全く判らなかった。
    豊島区が公開した日記を、故人に身寄りがないのがこれ幸いと出版社が勝手に本にしてはいないか?
    母子の窮状を知っていながら一切の援助をしなかった親族が、出版社に、日記もしくは出版の権利を金で売ってはいないか?
    そんな疑問は、残念ながらいくら調べても払拭できなかったので、まずは図書館で借りて読んでみた。


    病弱な夫に先立たれた後、寝たきりの息子を抱え、わずかな貯えと老齢年金とで暮らしていた大正8年生まれの老婆。
    生活保護の申請もせず、10年以上ほぼ寝たきりの息子は身障者手帳の交付を受けておらず、唯一の収入は老齢年金だが、その支給額が1ヶ月あたり約43,000円であるのに対し、家賃は1ヶ月85,000円。
    支給される年金で賄えない分、つまり、家賃の約半分と光熱費、電話料金、新聞代、そして食費は、貯蓄を切り崩して捻出していたことになる。

    老婆の両手は酷いひょう疽で、洗髪ができない。
    同じ理由で、どうやら煮炊きもできない。
    テレビもないし、毎月の電気料金から推量するに、おそらく冷蔵庫もない。
    社会の様子を知る術は新聞だけだが、かといって、窮状を知った行政がわざわざ尋ねてきても、「助けてもらえないだろう」という思い込みから接触を試みない。
    普通の暮らしがしたいだけなのに何故…と憂い、少し先のことを考えて不安になり、「早く死なせてください」と絶望を綴ったこの日記は、貯えが尽き、食べる物が尽きたところで終わっている。

    本書に収録されている日記は1993年12月から始まっているが、その時点ですでに老婆は、人とのコミュニケーションを極度に畏れているように思える。
    今なら、身寄りのない高齢者の暮らしを助ける団体がいくつもあるが、でも仮に、母子が亡くなった1996年当時にそれがあったとしても老婆がその存在を知る術はなかっただろうし、知ったところで何かの理由をつけて頑なに拒んだであろうことは想像に難くない。

    「食べ物を買うお金がなかったら餓死するしかない」というのは生活の本質なのだろうし、死者に鞭打つ気などさらさらないが、でも、高齢化が進むこの国で生きている限り、いつか来るその日に向けてすべきことは、憂うことでも嘆くことでも祈ることでも怒ることでもなく、社会の仕組みを知る努力をすることだと思う。

  • 1996年4月27日、池袋のアパートで77歳の母親が41歳の息子とともに死体で発見された。死因は餓死。その母親が書いていた日記を豊島区が公開した。

    日々の買い物の内容、金額のほか、全編にわたって身体の不調とお金がなくなることへの不安が綴られていて、読んでいて苦しくなる。
    父親は病気の末、三年前に亡くなり、自らも体調が優れない母親は、病気の息子の面倒を見るだけで収入源がない。

    しかも、生まれつきの因縁のようなものを信じていて(日記では「邪魔」と書いている)、夢や霊感、数字合わせなどは、つねに悪い予感として捉える。なにをするにも神様(?)に感謝し、謝り、二人の死を願う様子には背筋が寒くなる。(「邪魔」が原因で相手にされないだろうと生活保護も受けようとしない。)

    「私共は、今後、どんな生活をするのだろうか、毎日、毎日、不安でその事ばかりを、心配しているが、来年はもうお金がないので、ここにはおられない、どこに行き、どうしたらよいのか、だれか相談出来る人もいないし、今年いっぱいで、その後は、どうしたらよいのだろうか、子供は、病んで、相手にならないし、私一人で、よい考えも、うかばない、二人共(フロウ者の生活)をするのだろうか、どうしたらよいのだろうか、お願いしても、きかれないだろうし、不安で、不安で、たまらない。」(p.51)

    「今年は又、特別、何倍もの邪魔がひどくて、特に、この頃は、あらゆる面で、ハラ、ハラ、心配と、不安と、恐ろしさと、苦しみと、次、つぎと、日増に、ひどく成って、何かすると、かえって、悪くなり、心配が増えるし、仕無ければ仕無いで、不安がひろがるし、どうも、こうも、どうしたら、良いのやら、一つ何かすると、一つ又、心配が増えるし、たのみ事しても、結果が悪いし、」(p.96)

    「何十年と、ただ苦しむ人で先が分かるとか、最後の最後まで、分からぬ様にしてあるなど言われていたのを信じてきたが、七六年間、苦しむために、生まれて来た様で、ギモンが、わいてきた。」(p.115)

    「第一、私は、何者でせうか、いろ、いろと、教えられた事は、七十七才の今日まで、今の所、何一つ分かりもしませんし、現実に現われて、おりません。」(p.192)

    「何か、一つでも、二つでも、分からせて頂くと、安心出来ますけれども、最後の最後とは、何時に、なるのでせうか、心配と、不安の毎日で、たまりません、一日も早く、何とかして下さい、お願いいたします。」(p.193)

    「昨年十二月二十九日(金)、夜、フトンにやすんでしばらくして、最後は、必ず降参するという文句を感じていたのを、実行される時がついに、とうとう来たのだろうか、私しの受けた感じが、間違いなければ、喜ばしい事だけど、あまりにも、何十年と、苦しみが、ひどかった丈に、形に、現われて、私も、子供も、身体がすっきりとして、外の不安も取れていかなければ、ただ安易に当にたより、たのみ、漠然(とりとめのないさま、不明なさま)としたままでは、これから先が本当に、心配で、生きて行けない。早く、死なせて下さい、毎日が苦しみ通しで、つらくて、たまりません。」(p.207)

    「なぜ、私共は、こんなにひどい苦しみを、何十年と、しなければ出来ないのでせうか、小さい時から、いろ、いろと教えられ、又、人の口を、借られて色んな事を、聞かさせて、来ましたのは、皆、邪魔の、しわざだったのでせうか、」(p.233)

    「私は、今朝、夢の中で(歯が、全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に死人がある知らせと、聞いているので、子供が、先に、死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい、後に残った者が、不幸だから。」(p.235)

  • 構成が上手い

    別出版よりも ね

  • 私も☆マークでの評価は控えます。いくらでも逃げ道はあっただろうに…でもあえてその選択をしなかった、したくなかったのか。哀切きわまりない。

  • 星マークで評価はできない。

    「夕方、窓を開けて、外の草花をながめていた所。(只、一筋の心在るのみ)と、言う、文句がうかんで来た。」という一文が、章の冒頭ごとにリフレインされる。

    病気が治らず苦しい。髪を洗えないのでタールのような垢が真っ黒にこびりついている。新聞が届くのが遅いとクレームを入れた。お供物にオレンジとお菓子、あり合わせのものでお許しください。なんとか家賃を払わせていただいて有難うございました。一日も早く死にたい。今月もなんとか過ごさせていただき有難うございました。。。

    いつ死ぬともわからず、文字通りその日その日を生きている老婆の日記は、愚痴ったり嘆いたり感謝したりと支離滅裂のようにも見える。しかしあらゆるものを剥ぎ取られた人間の裸の心とはこういうものかと納得するところもある。将来への展望があって初めて、一貫性というものは成立するに違いない。人生の希望を全て失ってしまった人間の「只、一筋の心」、それだけの記録。

    こういう感想が正しいのか分からない(...給食を粗末にしなかったからといって、アフリカの貧しい村の子供が救われるわけではないように。)が、自分が不自由無く生きていることにこれほど感謝した事はない。慎ましくありたい。

  • (特別編~ 新聞コラムは休載のため)

     1996年4月、東京豊島区池袋のアパートで、母親(77歳)と息子(41歳)が「餓死」状態で発見。
     その母の、3年間の日記です。
     夫は死亡、母は腰痛、息子も病にあったようです。
    年金生活で、家賃や電気代などの心配を書き綴りつつ、
    亡くなる年まで「新聞」だけは購読していました。

     札幌で、姉妹が同じような状態で没後発見された
    ニュースを、私たちは数年前に目にしています。

     ”飽食の時代”であり、行政には相談窓口もあります。
    にもかかわらず、胃袋に何もなく、亡くなる人々がいます。

     年末の話題にふさわしくないでしょうが、ここ数年、
    授業で学生たちとこの本の一部を読んでいます。
     公務員志望も多い学生たちが、何かを考えてくれるといいのですが――。

     みなさま、良いお年をお迎えください。
     

     

  • 1996年、池袋で餓死した77歳の女性が遺した日記。
    5年前に主人が病死、41歳の息子が居たようだが「子供は、うまれた時から邪魔を受け、二十年以上の病人生活で」とあるとおり、働くことはおろか、外出さえままならなかったらしい。
    二人の暮らしていたアパートの家賃は約八万程度、もらっていた国民年金は二ヶ月で八万五千円、明らかに支出が収入を上回っている。
    それにも関わらず、女性は引越や生活保護に頼る、といったことは考えなかったようだ。
    これは、調べる手立てが無かった、とか、生活保護に頼るには誇りが許さなかったというより、本日記を読めば分かるが、この女性は精神に何らかの病を抱えていたのだろうと推測される。
    だとすれば「役所に助けを求めたにも関わらず、生活保護の支給を拒否された」という問題とは別に、こうした精神的な疾患を抱える方への支援という問題を考えねばならない。
    本書は1996年の出版であるが、これは高齢化、孤独化の進む現在において、未だに解決されていない問題として、我々に残された課題であるように思う。

  • 平成6年に池袋で起こった餓死事件の当事者の日記。

    病身の息子と母の世帯で、母が綴った日記。全編貧しくて明日のご飯の心配をしているさまが綴られている。

    緩急も何もないが、客観的にみてちょっと工夫が出来たのではないかなと思わせるところもある。新聞…食べ物に困っても取るべきものなのでしょうか?
    最後の日付は食べ物がなくなったという記述で終わっている。衝撃的。


    あと池袋に西口にゆかり深い人はでてくる場所がおぼろげにわかるのではないでしょうか。

  • 死んだ人の日記なぞ読むものではない。自分の老後が心配になり、不安になれる本であった。

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