哲学の東北 (幻冬舎文庫)

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著者 : 中沢新一
  • 幻冬舎 (1998年8月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877286255

哲学の東北 (幻冬舎文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  私の勤め先は福祉関係であるため、研修旅行先はいつも真面目な場所ばかりだ。
     一年前の研修目的地は、岩手県の内陸、秋田との県境の豪雪地帯にある沢内村だった。碧祥寺住職太田祖電氏は、豪雪・貧困・多病だった村がいかにして全国初の乳幼児死亡率ゼロを達成したのか、その立役者である村長深沢晟雄のエピソードを聞かせてくれた。深沢はまずブルドーザーを購入し豪雪対策を行った。一年を通して通行可能な道路の確保ができると、村に産業の活性化がもたらされた。次に婦人達への教育の徹底や、乳児と高齢者への医療無料化の実施を行った。村の施策を国が後を追って真似る事態にまでなった。住職は御堂の天井にまで響く声で二時間話し続けた。
     帰りの花巻空港で、ふと思い出した。宮沢賢治のことだ。
     賢治は、「あなた方もぜひ変わってください」といった優しさを持っていた人である。つまり変化を強要してくるのだ。優しさは権力と似ている。「今回の災いで、私達は変わらなければならず、これを乗り越えれば、皆が幸福になれる世界が待っていることだろう」と権力は語りかけてくる。
     ところで、賢治も、権力も、言葉なしではありえない。自身に言葉を宿らせ、自身が言葉に宿り、私達の心を動かしている。そもそも、言葉はどこから始まるのだろうか。おそらく、ACのCMでおなじみ「こんにちは」という挨拶からだ。
     東北の人は、挨拶をよくするそうだ。けれど、お喋りというわけではない。あいさつする。心が開かれる。そしてそのままなのだ。開いた場所には、現実と想像の境界はなく、熊でも歴史でも霊魂でも入り込む。コミュ力やプレゼンといった安易な言葉では埋められない。だから、自然から、その開いた場所に手紙が届けられることもある。「あなたをいま殺しています」というラブレターだ。
     私は飯を食う。しかし、飯を喰らいつつ、老衰し、死んで腐敗をすることで自然に食われている。私達が自然を愛するように、自然が私達を愛しているというのはそういった食い合うことによるものである。自然だけは壊さないで、他は壊しても良い。それが暴力とされるなら、非暴力であるためには、自然を破壊し、制御し、時に利用し、それ以外のすべてを救ってみせることだろう。
     今回の自然による驚異からまだ日は浅いが、東北の漁師はすでに海へ出始めている。エコタウン構想、サンライズ計画など、権力は優しい言葉を濫造しているが、東北の人は、大切なものを失っても、また海に挨拶をして、命を奪った波に働きかけ、自然をかきわけて魚を捕り、進んで、食していくし、私達も食べている。日本中が東北に助けの手を差し伸べているが、気がつけば東北の後を日本が追いかけている。弱さでも強さでもない、東北で生きる人それぞれを見ることで、私達は、出かかった優しさをそっと胸にしまう。何事もなかったかのように、自然と、その地に生きた人々を、忘れないでいる。

     上の、わけのわからない文章は、震災から三か月後くらいに、とある広報誌に書いたものだ。何を書いているのかわからないと大ブーイングだった。実際、私もわからない。ただ、中沢新一の「哲学の東北」を使って震災を語ればこうなる。
     東北を「過ぎ越しする世界」として論じた本だ。東北に住む人々は、土地への定住者でありながら、人間ではないものや死の世界などへの越境者でもあった。過ぎ越しの東北には強固な土台がかけていて、いつも思考は何かをかき分けて進んでいく。狩猟や農業のなかから芸術が生まれ、芸術それ自体はないように、音楽が鳴っている間は、そこに建物があるけれど、終わってしまえば建造物は残っていない。それが東北の哲学だと述べていた。
     どんな嫌なことや恐ろしいことが起こっても、他人であれば忘れるのが人間であり、ただ前より少し何かがマシになるぐらいだけだった。震災以後、詩も文学も、震災に捧げるものであればどんな陳腐でも良質でも、否定してはいけないような感じだった。だから、必然的に、起きた後に書かれたものより、起きる前に書かれたもののほうの鋭さに惹かれていく。被災者はヒサイシャになり、彼らのコメントは天の声のようだったし、しばらく経ったらワガママだと言われ始めていた。震災と原発は混ぜられ、原発のせいで震災が起こったようになった。
     起きてから書いてももう遅い。でも予言者に成りたがる奴は偽物だ。
     本著は、ハイデガーの「言葉、母語には真実が宿る」的なナショナリズムと、プロレタリアのインターナショナリズムのあいだに、賢治はいたという。

  • 宮沢賢治や農業の踊り、山形の修験道を通じて、東北の哲学を学ぶという切り口がとても鮮やか。
    読み進むにつれ、グローバル化で貨幣が飛び交い、無時間化し、ヒトの存在が透明になっていく社会への警鐘が聞こえてくる。

  • タイトルと表紙が素晴らしいので読んでみた。

    宮沢賢治の話が多くて、個人的には思ってたのと違う内容だった。

  • 新しい?宮沢賢治本。従来の賢治解説は、心象風景だの幻想なんちゃらだの、挙句の果てには国粋主義的なことを言われていたが、そんなのよりも本当に近い読み解きをする存在がようやく出てきたことよ。
    賢治からさらに食い込んで「東北」についての読み解きに至る。賢治は「東北」の表出する一角に過ぎず、その根っこには「東北」の深くておそろしいくらい始原的な力が潜んでいる。そんなことを、仏教と山岳信仰と商業、農業、科学、工業など、あらゆる面のきらめきを切り取って並べている。それこそが、賢治文学の「散乱反射」。

  • 『國文学』や『ユリイカ』で掲載された宮澤賢治についての興味深い対談や「踊るみちのく」という捉え方で、東北の特徴を暴き出しています。

  • 中沢新一の『哲学の東北』を読んだ時衝撃を受けた。この本の大部分は、宮沢賢治と南方熊楠に関するものなのだが、この本では、宮沢賢治の作品はエロティックなものだと指摘されているのだ。僕は、宮沢賢治の作品を清く聖なるものだと思っていたから、にわかにはこの指摘は信じられないものだった。

     しかし中沢新一は、宮沢賢治が嫌いでそんな事を書いているわけではなく、むしろその文章からは宮沢賢治の作品への愛を感じる。

     中沢新一によると、「ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまはない」という究極の贈与の思想は、究極のエロスなのである。なぜなら自分の全てをささげると言っているのですから。

     僕はこの本を読んで、『銀河鉄道の夜』に僕が感じていた畏怖のような間隔は、このエロスから来るものだったのではないかと漠然と思うようになりました。そしてそう思うようになってからさらに宮沢賢治の作品が好きになりました。

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哲学の東北 (幻冬舎文庫)の作品紹介

何の見返りも求めない贈り物は魂と魂のあいだにエロティックな通路をつくりだす。宮沢賢治にとって「修羅」とは自然からの、さらに自然への、そうした贈与の豊穣だった。そして人と自然をいつくしみ、ほがらかな前衛性と純粋さの王国「東北」もまたエロスの大地なのだった。東北と賢治を再発見し、「東北的」なるものの可能性を拓いた魂の唯物論。

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