その時歴史が動いた〈8〉

  • 12人登録
  • 2.67評価
    • (0)
    • (0)
    • (2)
    • (1)
    • (0)
  • 2レビュー
制作 : NHK取材班 
  • KTC中央出版 (2001年8月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877581947

その時歴史が動いた〈8〉の感想・レビュー・書評

  • 秀吉・家康、たった一度の直接対決/天下取りの知恵くらべ

    ・家康は秀吉が信長の所領をほとんど受け継ぐ大勢力となっていくの横目で見ながらできたことは、信玄の領国(信濃、甲斐)を攻略し、その家臣を召抱えることであった(p29)
    ・小牧・長久手の戦いは、秀吉側でも大規模な砦を建設していた事実が見つかり、徳川側も長宗我部、紀伊(根来、雑賀)にも声をかけており、かなり大規模な戦いであった(p34)
    ・同格の池田恒興の提案を、秀吉は却下することはできず、別働隊2万は壊滅することになった(p41)

    秀吉の妻・ねね、関ヶ原を動かす/西軍戦勝祈願の時

    ・おねの甥(実兄、木下家定の息子)は、秀吉の養子として迎えられた後に、小早川家(毛利元就の息子、隆景の分家)の養子に出されて「小早川秀秋」と名乗った(p73)
    ・おねは、関白夫人の称号である「北政所」で呼ばれている、秀吉が太閤(関白後の称号)と呼ばれるのと同じ(p76)
    ・1595年、後継者として育てていた養子(秀次)は、秀頼誕生後、謀反を理由に自害を命ぜられた(p83)
    ・京都東山にある豊国社(明治に再建された現存社と比較して100倍以上)は、1599年に完成して、豊国大明神の新号と正一位を与えられ、秀吉の命日(8月18日)には豊国祭が催された(p90)
    ・ねねは、祥月命日には、自宅から1時間半ほどかかる神社にある秀吉の墓に通っていた(p91)

    検証・桜田門外の変/井伊直弼暗殺・幕末大転換の時

    ・井伊直弼は前藩主の14男であり、部屋住みで終わるはずであったが、藩主である兄(直亮)が32歳で急死し、他の兄弟は他家の養子になっていたので、唯一残っていた直弼が跡継ぎに抜擢された(p124)
    ・藩主になったことにより、300俵の部屋住みから、35万石の名門藩主(従4位下、玄番頭)になった(p125)
    ・彦根藩は、江戸警護の先頭にたつことになり、江戸湾入り口となる三浦半島の海岸線の警備を命ぜられていた(p126)
    ・直弼の暗殺成功により、左遷されていた勢力が返り咲き、弾圧に対する復讐(暗殺)が始まった、また江戸250年の泰平の終りが告げられた(p149)

    ロシア皇太子襲撃事件/近代日本をつくった裁判

    ・当時の条文には、「天皇、三后(太皇太后、皇太后、皇后)、皇太子に危害を与えたものは死刑」とあった、天皇は日本独特の表現であるので、当初存在した「日本ノ」という表現を削除した、それを無視して、当時の政府は皇室罪をロシア皇太子へ適用しようとした(p171)
    ・大津事件では、法律が不動のものである(政府により干渉をうけない)ことを世界に示すことができた(p194)
    ・大津事件から3年後(1894年)に、日本政府はイギリスとの間で、日英通商航海条約を締結し、念願の条約改正に成功した(p196)

    6000人の命を救った外交官/杉原千畝、ビザ大量発給の時

  • NHKの番組の単行本化。杉原千畝がユダヤ難民にビザを発給したその時が含まれています。

全2件中 1 - 2件を表示

その時歴史が動いた〈8〉はこんな本です

ツイートする