その時歴史が動いた〈10〉

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制作 : NHK取材班 
  • KTC中央出版 (2001年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877582180

その時歴史が動いた〈10〉の感想・レビュー・書評

  • 今回のシリーズもどれも興味の持てる内容でしたが、享保の改革で有名な徳川吉宗が和歌山藩では成功した財政再建のやり方が、なぜ政府の政策としてやった場合には上手くいかなかったのかが触れられていた点が印象に残りました。

    以下は気になったポイントです。

    徳川吉宗、執念の財政再建/米将軍・最後の決断

    ・新田を開発して米の増産をすることで収入が増えて財政危機は解消するはずが、米の在庫が増えて米の値段が下がり武士の暮らしは打撃を受けた(p28)
    ・徳川御三家の一つの和歌山の江戸時代の人口は5.5万人で、京、大坂、奈良につぐ賑わいを見せていた(p30)
    ・紀州藩の江戸藩邸は1686~1703年の間に4度も消失、日照り・干ばつの災害が相次いで、紀州藩は幕府から10万両(現在価値で100億円)の借金をしていた(p33)
    ・吉宗は紀州藩主となって12年間で、藩の借金を返済した上で、14万両の金と、11.6万石の米を蓄えて財政再建を成功させた(p36)
    ・吉宗は物価上昇を解決するために、金銀貨幣の量を減らす、実際には1718年に古い貨幣を回収する(通貨量を3分の2)緊縮政策をした(p41)
    ・紀州藩で成功した財政再建が政府の政策として成功しなかったのは、米が余ってきて米と他の物価バランスが崩れてしまったから(p46)
    ・政治が成功するのは、どんな場合でも、その政治を握っている政権にたいする民衆の信頼がないとダメ(p59)

    土方歳三、北の大地に散る/箱館戦争、最後の激戦

    ・1867年(慶応3年)12月9日、朝廷が王政復古の大号令を発して、江戸幕府の廃止を決定、徳川将軍に領地の返納を命じることを決定、それに反発した幕府勢力は慶応4年1月に京都郊外(鳥羽・伏見)で先頭を始めた(p74)
    ・幕府陸軍以外の諸藩兵や新選組は、刀槍を武器とした旧式武士軍隊だったので、薩長の3倍の兵力でありながら敗れた(p75)
    ・1868年(明治元年)10月、榎本・土方が率いる2800の軍勢は、箱館五稜郭に本拠を構えた(p89)
    ・榎本をはじめ、箱館で官軍に降伏した箱館政府軍の幹部たちの多くは、やがて明治政府に仕えて完了として活躍する(p102)
    ・土方歳三は、箱館政府の閣僚の中のただ一人の戦死者であった(p102)

    天心の恋/東洋の美を追い続けた男

    ・明治17年(1884)岡倉天心が恩師フェノロサとともに京都・奈良の寺や神社の調査をしていたころは、仏教排斥(廃仏毀釈)運動の真っ最中で、貴重な仏像や仏画が傷つけられたり、海外に売られていた(p119)

    戦艦大和沈没/大鑑巨砲主義の悲劇

    ・1905年5月、ロシア軍は戦艦8隻を主力とするバルチック艦隊を日本海へ派遣、迎え撃つ日本海軍連合艦隊は戦艦4隻、戦艦同士の戦いで日本は勝利した(p164)
    ・当時のアメリカ戦艦は40.6センチ砲よりも大きいものは搭載できなかった、パナマ運河を通過できないため、大和の46センチ砲は射程距離が3キロ以上のびて有利(p166)
    ・アメリカは真珠湾攻撃後に戦艦から空母の増産に乗り出した、エセックス級の大型空母:13隻、インディペンデンス級:9隻、カサブランカ級小型空母:50隻を、1年間で製造、日本の造船能力はアメリカの10分の1(p173、176)
    ・ミッドウェー海戦では、日本側兵力(空母4隻、戦艦2隻)対、アメリカ(空母3隻、戦艦0)であったが、暗号が解読されていて負けた、戦艦大和は後方550キロにあって活躍できず(p175)
    ・マリアナ沖海戦での日本兵力(空母9、戦艦5、艦載機439)対、アメリカ(空母15、戦艦7、艦載機896)であり、さらにはアメリカには新式レーダー、対空砲火装備であり質・... 続きを読む

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