満州移民―飯田下伊那からのメッセージ

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制作 : 飯田市歴史研究所 
  • 現代史料出版 (2009年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877852023

満州移民―飯田下伊那からのメッセージの感想・レビュー・書評

  •  体験者が語ることでしか知ることができない世界がある。この本に書かれている世界もそのひとつだろう。日本の国家戦略によって送り出された移民たちが、現地でどのような目にあり、帰国してどのような目にあったかという記録だ。
     そしてそのとき、送り出した側の人々はどのような戦後を送ったのかを気に止めておく必要もあるだろう。

     満州移民が最も多かったという飯田下伊那の郷土史として、満州移民が何によりもたらされ、何をもたらしたのかを、満州移民からの聞き取り調査をもとに検証している。
     養蚕で世界経済と密接に結びついていた飯田下伊那は、1930年代初期の大不況により困窮してしまう。折しも、満州に移民を送ることで農産増強とソ連との緩衝地帯化を検討していた人々は、村への補助金支給をエサに、移民を出すことを要求する。
     補助金に目がくらんだ地方指導者層は、渡りに船とばかりに移民の約束をするが、その後徐々に景気は回復し、移民の希望者はいなくなってしまう。国との約束を果たすために指導者が行ったのは、学校・教師を利用して理想を説き、少年を青少年義勇軍に仕立てあげたり、地主に小作人から土地を取り上げさせ移民せざるを得ないよう状況にしたり、とにかく無理やりに移民者を増やすことだった。そうすることで、満州と郷土での一人当たりの耕作面積を増やし、農業の効率化も目論んでいた。
     一部には開拓者の意気込みを持ち移民した者もいたが、与えられた土地は既に開墾されていた。中国人が耕作していた土地をただ同然で無理やり購入し、開拓地としていたのだ。五族協和という理想はそこになく、実際には地元民をいじめ、搾取する現実があった。

     それも長くは続かない。ソ連が参戦し、移民を守るべき関東軍は、家族を引き連れて遼東半島に逃げる。それは一年も前からの計画だった 残された移民は、綱紀が緩むソ連軍の暴虐と、恨みに燃える中国人の略奪に震えながら、死の逃避行を行う。
     本文中から体験者の語りを抜粋してみよう。一つ目は集団自殺の様子、二つ目は腸チフスの蔓延の様子だ:
    「(略)…紐を子供の首へかけて、…(略)…苦しくなって、ウワッとふんぞり返っちゃう。…(略)…そり返ったところをもうひとりがみぞおちを蹴ると、苦しがっとったのが、パッと奇妙におさまってしまうんな。そういう要領で、俺としては二十何人かは手をかけた。」
    「(略)…お母さんを看とったら、死ぬ二日ばか前にね、しらみが服の外へ出てくるの。しらみっつうのは、肌についとりゃあったかいもんで肌におるんだけど、外へ出てくるの。…(略)」
     しらみが服の外に出るという日常的に思える光景にまで、死のにおいが染み付いている。これを乗り越えて収容所までたどり着いても、食料はなく寒さをしのぐ防寒具もない。生き延びる可能性を少しでも上げるために、女・子供が中国人に売られていく:
    「中国人の夫婦が、暗くて寒い収容所に現れて、妹を預かりたいと言った。…(略)…彼女はやせ細った小さな体で精一杯抵抗して連れ去られるのを嫌いました。私は背を向けて体を丸めて、最後まで振り返ることなく彼女を送りました。…(略)」

     満州に行くときは万歳三唱で送り出されたにもかかわらず、ようやく帰国して報告に出向いた県庁では、乞食扱いをされる:
    「忘れもしません。通る人々のさげすむような眼が…(略)…県庁からの連絡で、洗いざらしの毛布一枚と、湯呑み一コが渡されました。こんな物を受け取りに来たんじゃないと、皆は怒り、そして叫びました。」
    「(略)…妻の実家についたがその子は帰り着いた内地の床のなかで、「ナイチイク、ナイチイク」(内地行く)と言って泣きつくのです。…(略)…どんな内地というものはいいものかと、幼心に想像していたのでしょう。…(略)…でも日に日にその声は小さく... 続きを読む

  • 「満州移民」と聞いて、今までの私が思い起こすものは大きく二つある。ひとつは「五族協和」、「皇帝溥儀」、「残留孤児」、「シベリア抑留」、「引き揚げ」…といった無機質で淡白な歴史用語たち。



    或いは「侵略の歴史」、「反日感情」、「靖国問題」…といったあるバイアスを持った感情的な単語たち。



    何れの言葉も現在の私からは遠く、隔絶している。そういう事実が「あった」という筐体の中へ収められては、時折歴史映画やドラマで埃がかったそれらが取り出される程度のものたち。



    もうひとつ。私の母方の祖父は満州からの引揚者だ。祖父は現在72歳であるから、終戦を満州で迎えた時には10歳だった。富農の息子として満州で生まれ、軍隊にいた父親の計らいもあり、終戦前に不自由なく帰国することができたという。しかし祖父はそれ以上のことは何も話さないし、私も聞きはしなかった。その話を祖父から私が聞いたと母に話すと、母も初めて聞く話だと驚いていた。そういう祖父の言外の態度からも、「満州」は、何とはなしにおいそれと尋ねるのは憚られる言葉だった。


    本書、『満州移民 飯田下伊那からのメッセージ』は私にとって、それら二つをつなぐ大きな手助けを、或いは、何となく触れてはならないという羈絆の手綱を解き放ってくれるようなきっかけを与えてくれる書だった。



    何故だろうか。



    ひとつは「知ること」による無知からの脱出である。



    もうひとつは、本書が移民供出の特に多かった「飯田下伊那」という一地域にクローズアップした調査、証言を数多く載筆していることに由る。



    また、国策の犠牲となった満州移民が、中国人にはどう映っていたのか、それが現代にどういう陰を落としているのか、或いは所謂「反日中国」に対していかようなる誤解が私たちにあるのか、満州移民の過去と現在をつないでいることにも由ろう。


    飯田市は特に養蚕の盛んな地域であり、それだけにアメリカの景気の余波を受けやすい地域であった。そのため世界恐慌時に日本を襲った金融恐慌、昭和恐慌の打撃を多く被った。「満州へ行けば豊饒な作物と土地が手に入る」、そこにはまだ見ぬ地への憧憬があった。



    また、昔から国学の浸透した地域でもあり、そのため指導者層が政府の意向を受ける素養もあった。政府の補助金は、それら両者の関係を結びつける役割を果たした。



    しかし繭価が恐慌前に戻った1940年代も顛狂した歯車は止まらない。



    町村会と移民家族、そして教育会と青少年義勇軍、がっちりと噛み合った組織は国策の円滑な遂行を容易ならしめた。満州へ行けば兵役を逃れられると信じた人もあった、満州へ行く事は名誉なことであると考えた人もあった、五族協和の国を作ろうと理想に燃えた人もあった。皆がそれぞれ純粋だった。



    飯田下伊那からの移民総数8354名、死亡者3829名、残留者265名、不明者92名。純粋であるが故、悲劇であった。


    第三章、「逃避行から引揚げへ」の記述はその悲劇を補って余りある気迫に満ち満ちている。



    開拓団を根こそぎ召集し、軍、満鉄関係者家族が早々に引き去ってしまったという怒号に、私は引揚げについて多くを語らない祖父の心中を一掬ばかり察した。



    ソ連軍や現地人に物質的に収奪を受け、母国には精神的に凌辱を受け、立つ瀬の無い汀に追い込まれ、絶望に集団で自決の途を選んだ人々の無念や如何。



    特に久保田諌氏による河野村の集団自決についての談話は、私に強い衝撃を与えた。とうもろこしの節で首を絞め、鳩尾を蹴り、小さな子供から若い女性を次々と手に掛けた彼の独白は、荘重な語り口ではなく実に淡々と語られている。... 続きを読む

  • 筆者(たち)はこの本で取り上げた飯田下伊那の満州移民の戦後史から
    満州国の問題の連続性、満州開拓民が被害者であり同時に加害者であるという重層性、そして「棄民」と国家の責任の3点を挙げている。

    正直第二章、三章は情報が整理されておらず、文体も大変読みにくかった。日本語のミスも全体を通して散見され、本としての完成度はあまり高くないのが残念だけど、長野の飯田下伊那という地域の視点で書いてくれたことで、満州問題への導入としては読みやすい本なのではないかと思う。

  • レポートのために購入。
    気持ちが暗くなりました。
    ソ連軍の悪事についてもっと書いてあったらよかったのですがこの本の趣旨とは離れるのでしかたないです。

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