写らなかった戦後 ヒロシマの嘘

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著者 : 福島菊次郎
  • 現代人文社 (2003年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877981662

写らなかった戦後 ヒロシマの嘘の感想・レビュー・書評

  •  
    ── 福島 菊次郎《写らなかった戦後 ヒロシマの嘘 200307‥ 現代人文社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4877981667
     
     福島 菊次郎 写真 19210315 山口 20150924 94 /
    http://www.bitters.co.jp/nipponnouso/
     『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』公式サイト
     
    ── 《フェイス 20160617 19:30-20:00 NHK》
    「しあわせのうた ~ 反骨の写真家 未公開ネガに迫る ~ 」
     
    …… 昨年9月に亡くなった報道写真家、福島 菊次郎さんが遺した20
    万枚のネガのデジタル化作業が進んでいる。未公開ネガの解析から
    “闘う写真家”と呼ばれた男の原点に迫る。
     
     戦後の日本を記録し続け、権力に対峙する反骨の写真家と呼ばれた
    福島さん。しかし、初期の未公開ネガの解析からは、闘うイメージとは
    ほど遠い写真が撮られていた事がわかってきた。中でも「しあわせのうた」
    と題された自身の家族を写した複数の写真は、関係者を驚かせている。
     闘う写真家の原点に迫っていく。語り;時任 三郎,中野 純一。
     
    http://booklog.jp/search?keyword=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E8%8F%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E&service_id=1&index=Books
     
    (20160617)
     

  • 菊次郎さんの静かな強い怒りが伝わってきた。

    メモ::

    長崎の「岡まさはる平和資料館」へ行ってみたい。p192

    医師:誠意には感謝するが、千羽鶴は埃がたまって病室の衛生管理に困っている。捨てるわけにもいかない・・ p208

    広島の被爆者が自分の不運をあきらめて生きているのに比べ、キリスト教の伝統を守って生きている長崎の被爆者は前向きに生きていた。p215

    基町に対する住民差別は執拗で、広島市は住民がいくら陳情してもついに上水道も下水道もつくらなかった。p223

    基町住民を差別し続けた平和都市(広島)。ただひとつ爽やかな思い出は、原爆スラムの日本人たちが、行き場のない朝鮮人のために、新しくできたアパートに入居できるよう最後まで行政に交渉し続けてから引っ越したことだった。p225

    日本人は広島をいまも「平和都市」と呼ぶ。だが「過ちは繰り返しませぬから」と誓った民族の悲願を反古にしたうえ、被曝後半世紀過ぎても不治のままの放射能障害から一人の被爆者の死も救えず、米軍(ABCC)にモルモットとして被爆者を提供し続けている街がどうして平和の象徴なのだろうか。鳩が飛び、プラスチックで固形した負の残骸である原爆ドームがある「平和公園」があるから平和都市なのか。平和大橋があり、平和大通りがあり、街中に「平和」が氾濫しているから平和都市なのか。そうでなければ、平和の所在を示す確かな証しは広島のどこにあるのか。p391

  • 友人に勧められて読んだ本です☆

    これは被爆者とその家族の取材をライフワークとし、学生運動、安保闘争、三里塚闘争、公害問題、自衛隊と軍需産業の関係などを追い続けた不屈の報道写真家福島菊次郎のルポルタージュです。彼が報道写真家となるきっかけとなった広島被爆者の中村杉松さんとその家族との出会いや、戦争中に広島西部十○部隊に所属し、爆弾の装着された服を着て米軍の戦車の下に飛び込む特攻訓練を九州でしていたなど、自身の戦争体験などが書かれています。現在(2013年)で92歳になります。特に彼がカメラマンになるきっかけとなった出来事で、原爆手帳が適用されず、被曝後から1960年の「原爆医療法」の成立までの間、苦痛な生活を強いられた中村さん家族の話には色々と考えさせられるものがありました。特に漁師という仕事を失い、心身共に荒んでいく中村さん本人はもちろん、結婚を反対させられたことを理由に家でした二女、中学卒業と同時に行方をくらました三女など、経済上の理由から家族自体もが崩壊していく実態には読んでいて辛かったです。他の戦争犠牲者もそうですが、被害にあった時だけじゃなく、家族も含め、その後もずっと続いている。そのこと自体が戦争被害なのだと改めて感じた事例でした。その他、ブラジル移民の広島被爆者、沖縄出身で広島原爆と米軍占領の二重の苦しみを受けた被爆者とその家族、小頭症の被曝二世なども書かれていたことも興味深かったです。
    この本の章の中に「虚構の平和都市誕生」というに名称のものがあるよう、無法地帯となっていく現実や中村さんたちのように制度からこぼれ落ちた存在がいるということを改めて感じました。また、彼自身が被爆し、ケロイドを負った女性との取材の中で思わず、「写真を撮らせて」と言い、逆に怒られ、「ことばが人と殺す」といい、自分の行為がやり過ぎだったと後悔している部分が印象的でした。良いか悪いかは別にしろ、ぎりぎりの中で実行した撮影行為に対して彼自身が自問自答し、または報道の加害性や責任について語っていたことはとても勉強になりました。
    最後に彼の写真・取材はもちろんですが、取材の途中に精神病院に入院し、プロのカメラマンになるため、急遽離婚し、子どもたちと東京で住むことになるなど、彼が送ってきた人生そのものにもすごいなと感じます。オススメの一冊です☆

  • まずは、1巻からと思い購入。

  • P.4
    原子力の安全性についての責務を負う原子力安全委員会の専門家たちは何の責任を取ることもなく、その職に止まり続けた。

    P.254
     再度言う。この問題は、全員撤退問題ではない。原発放棄事件だ。
     東電は原発のコントロールを諦め、放棄しようとしていた――。これが取材を通じて浮かび上がる真実だ。重ねて言う。この原発放棄事件はこれからの原発の稼働を東電が任う資格があるのかどうかを問う、極めて重要な論点だ。

    『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』(福島菊次郎)
    P.70
     『ピカドン』も、一九七八年に出版した『原爆と人間の記録』も、原爆資料館には展示されていない。理由は、中村さんの写真だけでなく、広島市に批判的な内容だからである。マスコミでどんなに高い評価を受けようが、〈聖地ヒロシマ〉を批判し、その尊厳を冒涜するような写真は資料ではないのである。その程度の平和資料館なのである。

    P.187
     一九七一年といえば学生運動の弾圧を企図した治安当局が、「秩序か破壊か」という巧妙な過激派キャンペーンを始めた頃だ。学生運動が機動隊の武力鎮圧で退潮し始め、岸信介が学生運動潰しのために韓国から導入し東大に運動拠点を置いて資金援助をした「原理研究会」や「勝共連合」の青年たちが街頭に進出して〈恵まれない子どもたちのために〉と花を売ってカンパ活動をして集めた金を運動資金にし、北方領土返還や被爆者救援運動にまで介入した時期だった。

    P.206
    《過ちは/繰返しませぬから》と刻んだ慰霊碑の言葉には主語がない、と批判する活動家や文化人も現れたが、ヒロシマ自体が主語を持たない虚構の平和都市だったのである。「あんなものは壊して瀬戸内海に沈めてしまえ」と放言した市長や、一九八〇年代には、平和公園前の一〇〇メートル道路を行進する自衛隊を閲兵した市長まで現れた。平和公園のなかにある「千羽鶴の塔」に捧げられた、全国から送られる千羽鶴の束に放火する事件もたびたび起きている。緑に包まれた平和公園に鳩が飛んでも、その実態は虚構の平和国家そのものである。汚辱に満ちた国が捏造した「聖地ヒロシマ」が、日本の前途を過らせた。

    P.259
    「上官の命令は朕が命令と心得よ」と軍人勅諭にあるように、軍隊では命令は絶対で
    「突撃」と命令されれば突撃して死に、「殺せ」と命令されれば仮借なく殺さなければ、反逆罪で処刑されるのである。軍隊教育とは、暴力によって個人の思想や意思をすべて奪い、上官の命令に絶対服従させる殺人装置で、すべては天皇の名において強制された。

    P.301
    昭和店の王は、自分が神権君主であり、日本国歌のかけがえのない中枢と信じていたため、破局が訪れても退位しなかった。日本が国外で行ったことに対して、どんな個人的な責任も自覚せず、一三年一一カ月にわたって多くの人命を奪った侵略戦争の罪を一度として認めなかった。彼は皇室の祖先に対する義務感から、自らがその崩壊に大きく関与した帝国の債権を決意した。

    P.305
    憲法はあらゆる法に優先し、「自衛隊法」を許容するものではない。「自衛隊は既に存在しているから九条は改正すべき」とする改憲派の主張は強盗の説法と同類で、「殺人が増えて罰するのは非現実的だから殺人罪を撤廃せよ」と言うのと同列である。

    P.309
     国家は国民を収奪し殺しても、絶対に国民を守ってはくれないことを、いま多くの国民が悟っているはずである。またぞろ愛国心が強制され始めたが、政治が行き詰まり、社会が荒廃すると、お定まりの偏狭なナショナリズムが横行し始める。

    P.342
     原発推進の理由の筆頭に、石炭や化石燃料の発電に比べコストが安いことと、環境に及ぼす影響が少ないことがPRされてきたが、老朽原発二十数基の廃炉の後始末は原発のコストには計上されておらず、すべて血税で尻拭いされ、国... 続きを読む

  • 「独立不羈」という言葉がある。一切の束縛なく、自らの信念に従って行動することの意だが、そんな人物はめったにいない。だがこの人こそは数少ないそのひとりだ。福島菊次郎90歳。大正生まれで戦時中は生粋の愛国青年。だが、戦後は一転して反権力の闘士に。きっかけは広島で出会った被爆者の漁師と10年にわたる葛藤に満ちた撮影行だったという。この人にとってカメラは安易な自己表現の手段ではなく、社会の悪と対峙し、対決するための武器なのだ。戦後から今日に至るまで、さまざまな社会的理不尽を追求し、90歳を越えた今でもその探究心と正義感は衰えを知らず、今現在、「反原発デモ」の写真を撮る。主要メディアのジャーナリスト達は彼の爪の垢を煎じて飲むべきだ。

  • 半世紀、25万枚の写真に映された戦後は、わずか1200秒。映像化できなかった原爆の無間地獄、広島の愚行、右傾化する日本の正体を追及する。日本に絶望し、カメラを捨て、62歳にして瀬戸内の無人島に入植し、ひとり生きた著者が、この国の行く末を案じ、初めてペンを執った。82歳、満身創痍の書下ろし。戦争を忘れたすべての人たちに捧げる。

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写らなかった戦後 ヒロシマの嘘の作品紹介

半世紀、25万枚の写真に映された戦後は、わずか1200秒。映像化できなかった原爆の無間地獄、広島の愚行、右傾化する日本の正体を追及する。日本に絶望し、カメラを捨て、62歳にして瀬戸内の無人島に入植し一人生きた著者が、この国の行く末を案じ、初めてペンを執った。82歳、満身創痍の書下ろし。戦争を忘れたすべての人たちに捧げる。

写らなかった戦後 ヒロシマの嘘はこんな本です

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