- Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877981662
作品紹介・あらすじ
半世紀、25万枚の写真に映された戦後は、わずか1200秒。映像化できなかった原爆の無間地獄、広島の愚行、右傾化する日本の正体を追及する。日本に絶望し、カメラを捨て、62歳にして瀬戸内の無人島に入植し一人生きた著者が、この国の行く末を案じ、初めてペンを執った。82歳、満身創痍の書下ろし。戦争を忘れたすべての人たちに捧げる。
感想・レビュー・書評
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まずは、1巻からと思い購入。
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P.4
原子力の安全性についての責務を負う原子力安全委員会の専門家たちは何の責任を取ることもなく、その職に止まり続けた。
P.254
再度言う。この問題は、全員撤退問題ではない。原発放棄事件だ。
東電は原発のコントロールを諦め、放棄しようとしていた――。これが取材を通じて浮かび上がる真実だ。重ねて言う。この原発放棄事件はこれからの原発の稼働を東電が任う資格があるのかどうかを問う、極めて重要な論点だ。
『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』(福島菊次郎)
P.70
『ピカドン』も、一九七八年に出版した『原爆と人間の記録』も、原爆資料館には展示されていない。理由は、中村さんの写真だけでなく、広島市に批判的な内容だからである。マスコミでどんなに高い評価を受けようが、〈聖地ヒロシマ〉を批判し、その尊厳を冒涜するような写真は資料ではないのである。その程度の平和資料館なのである。
P.187
一九七一年といえば学生運動の弾圧を企図した治安当局が、「秩序か破壊か」という巧妙な過激派キャンペーンを始めた頃だ。学生運動が機動隊の武力鎮圧で退潮し始め、岸信介が学生運動潰しのために韓国から導入し東大に運動拠点を置いて資金援助をした「原理研究会」や「勝共連合」の青年たちが街頭に進出して〈恵まれない子どもたちのために〉と花を売ってカンパ活動をして集めた金を運動資金にし、北方領土返還や被爆者救援運動にまで介入した時期だった。
P.206
《過ちは/繰返しませぬから》と刻んだ慰霊碑の言葉には主語がない、と批判する活動家や文化人も現れたが、ヒロシマ自体が主語を持たない虚構の平和都市だったのである。「あんなものは壊して瀬戸内海に沈めてしまえ」と放言した市長や、一九八〇年代には、平和公園前の一〇〇メートル道路を行進する自衛隊を閲兵した市長まで現れた。平和公園のなかにある「千羽鶴の塔」に捧げられた、全国から送られる千羽鶴の束に放火する事件もたびたび起きている。緑に包まれた平和公園に鳩が飛んでも、その実態は虚構の平和国家そのものである。汚辱に満ちた国が捏造した「聖地ヒロシマ」が、日本の前途を過らせた。
P.259
「上官の命令は朕が命令と心得よ」と軍人勅諭にあるように、軍隊では命令は絶対で
「突撃」と命令されれば突撃して死に、「殺せ」と命令されれば仮借なく殺さなければ、反逆罪で処刑されるのである。軍隊教育とは、暴力によって個人の思想や意思をすべて奪い、上官の命令に絶対服従させる殺人装置で、すべては天皇の名において強制された。
P.301
昭和店の王は、自分が神権君主であり、日本国歌のかけがえのない中枢と信じていたため、破局が訪れても退位しなかった。日本が国外で行ったことに対して、どんな個人的な責任も自覚せず、一三年一一カ月にわたって多くの人命を奪った侵略戦争の罪を一度として認めなかった。彼は皇室の祖先に対する義務感から、自らがその崩壊に大きく関与した帝国の債権を決意した。
P.305
憲法はあらゆる法に優先し、「自衛隊法」を許容するものではない。「自衛隊は既に存在しているから九条は改正すべき」とする改憲派の主張は強盗の説法と同類で、「殺人が増えて罰するのは非現実的だから殺人罪を撤廃せよ」と言うのと同列である。
P.309
国家は国民を収奪し殺しても、絶対に国民を守ってはくれないことを、いま多くの国民が悟っているはずである。またぞろ愛国心が強制され始めたが、政治が行き詰まり、社会が荒廃すると、お定まりの偏狭なナショナリズムが横行し始める。
P.342
原発推進の理由の筆頭に、石炭や化石燃料の発電に比べコストが安いことと、環境に及ぼす影響が少ないことがPRされてきたが、老朽原発二十数基の廃炉の後始末は原発のコストには計上されておらず、すべて血税で尻拭いされ、国民に大きな負担と生命の危険を背負わせているのである。子ども騙しの安全神話に惑わされず、原発の際限もない嘘と原発同様の危険性を思い知るべきである。原発は一日運転すると広島型原爆二~五発分の分裂生成物、死の灰を炉内につくり出している。原子炉技術の困難さはすべてこの死の灰の発生と処理の困難さにある。 -
「独立不羈」という言葉がある。一切の束縛なく、自らの信念に従って行動することの意だが、そんな人物はめったにいない。だがこの人こそは数少ないそのひとりだ。福島菊次郎90歳。大正生まれで戦時中は生粋の愛国青年。だが、戦後は一転して反権力の闘士に。きっかけは広島で出会った被爆者の漁師と10年にわたる葛藤に満ちた撮影行だったという。この人にとってカメラは安易な自己表現の手段ではなく、社会の悪と対峙し、対決するための武器なのだ。戦後から今日に至るまで、さまざまな社会的理不尽を追求し、90歳を越えた今でもその探究心と正義感は衰えを知らず、今現在、「反原発デモ」の写真を撮る。主要メディアのジャーナリスト達は彼の爪の垢を煎じて飲むべきだ。