光市事件裁判を考える

  • 19人登録
  • 3.60評価
    • (2)
    • (3)
    • (4)
    • (1)
    • (0)
  • 5レビュー
制作 : 現代人文社編集部 
  • 現代人文社 (2008年1月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877983581

光市事件裁判を考えるの感想・レビュー・書評

  • 以前、被害者の旦那さんが書いた本を読んだ…と思いながら、弁護団の人他が書いた本を読んでみた。
    事件がとても痛ましいので何とも言えない気持ちになるのだけど、いろんな方向からの情報を取り入れるべきだと思う。

  • 問題となった被告少年の手紙は、拘置所で知り合いになった文通相手の少年Aの背後に検察がおり、挑発して書かせたものだ、という話は初めて聞いた。かなりインパクトのある主張だが、マスメディアはこれからも一切取り上げないだろう。
    なぜなら、マスコミ報道の出発点は本書で綿井が指摘しているように「遺族男性の感情」であるから。遺族感情として死刑を選択すべし、と訴え、それが現実の司法や世論を動かし、今や被告生命を奪う判決がほぼ確実なものとなった以上、被告を死刑に処すべき憎むべき人物として造形することは半ば義務のようにして男性の上にのしかかっているのではないかと推測する。死刑という形で人の命を奪うからには、被告のかわいそうな生い立ちなどは下した判断に疑念を生じさせる余計な要素でしかないのだから。
    彼の感情にフォーカスするマスコミもまた、同様の視点しか提示し得ない。当然その視点は主観であり、客観的な事実とは微妙に異なる。もしかして、というわずかな視点のずれさえ、「遺族感情を考えろ」の声の前にかき消される。
    国民総遺族ともいうべきこの状況は、弁護士の弁護活動にさえ「国民の理解」を強制することを疑問視しない態度を醸成する。
    本書の中で佐木隆三は「被告人は大弁護団に頼るのではなく、心の底からわいてくる言葉を明かすべきだった。そうして「生きて償いたい」と訴えれば、人々の魂に響いたかもしれ」ないと主張する。一見ヒューマニティ溢れる言葉のようだが、よくよく考えてみれば真実を追究する司法の場を時代劇のお白洲と同一視し、「人々」の中におそらく含まれるだろう佐木自身の観客としての好奇心を「魂」等と美化して、「命乞いをして感動させてくれ」とのたまう臆面もない主張である。この貧しさ、卑しさに気付かせてくれた点でこの唯一違和感を際立たせる一文をあえて挿入した編集者の意を買いたい。
    事件がおこるたびひたすら遺族感情をクローズアップし、視聴者が、国民がその感情と同一化するというこの流れは、いつの日か何か大きな過誤が顕になるまで、変わることはないだろう。
    それにしてもいつから日本人は感情を理性のはるか上におくことをよしとするようになったのだろうか。

  • 2012年の判決で、結審はついたものの、まだ弁護団も動いており、裁判としては歴史のターニング・ポイントになると思い読んでみた。

    2008年時点で、検察が被害者に肩入れしていること、橋下弁護士の懲戒請求の問題、弁護側が主張することが被害者感情を逆なですることとして、世論としては却下されている問題。報道が心情・感情中心であり、被告の生育歴等がねじ曲がっていたことを考えると、真実(ファクト)が何であるかが見えない事件だと思った。

    また、裁判と共に、日本人の「正義」とは何かが漠然としているようにも感じた。悪い人が罰せられるのが基本だが、悪いことを判定するのは意外に難しい。その難しい事実を認めることから、検証が始まるのではないかと思った。

  • 果たして事実は。

全5件中 1 - 5件を表示

光市事件裁判を考えるの作品紹介

「光市母子殺害事件」裁判は、裁判員裁判の実施前の大試練である。佐木隆三・毛利甚八・綿井健陽各氏らが、事件・裁判を読み解く。

光市事件裁判を考えるはこんな本です

ツイートする