人間・釈迦 1―偉大なる悟り (心と人間シリーズ)

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著者 : 高橋信次
  • 三宝出版 (1980年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879280046

人間・釈迦 1―偉大なる悟り (心と人間シリーズ)の感想・レビュー・書評

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  • シリーズ全4巻

  • これについてまともに書いたら、この本と同じくらいの分量になってしまいそうで、とてもじゃないけれど書けません。なので、いくつかのポイントのみ書こうと思います。

    まず、釈迦、あるいは仏陀として知られるゴータマ・シッダールタについては、イエスと同様、いろいろな本がある。漫画でも仏陀の一生みたいなものが出ている。

    イエスがたった数年しか歴史の表舞台には出てこないのに対し、ゴータマ(釈迦は釈迦族の名前だし、仏陀は「悟った人」という一般名詞なので、ここではゴータマとする)は、年代的にはイエスよりも数百年古いにもかかわらず、出生からその死まで、切れ切れとは言え記録が残っている。

    だから、その人生を書こうと思ったら「伝記」のような形で書けるとは思うのだが、この「人間釈迦」は伝記ではなく、どちらかと言うと吉川英二や司馬遼太郎が歴史上の人物を主人公に物語を書いているような形で、ゴータマを一人称で扱っている。

    イエスにしても、ゴータマにしても、こういった人を一人称で書く、というのは大それた、という以上に、考えてみるまでもなく、とんでもなく難しい。

    書物や伝聞として残っている以上に、その時々で実際に物事をどう捉え、どう感じ、どう考えたか、ということを、実際の私たちが感じ、考えるような形で書くのだから、仏教思想やキリスト教の神学を体系的に書くよりも、もっと難しい。

    下手をすると、こんなこと「あの」お釈迦様が言ったはずはない、感じたはずはない、こんな考え方をしたはずがない、というのが後から後から出てくること請け合いだから。

    そんな「大それた」ことを、この高橋信次氏はやられている。

    私が知っている限りでも、ゴータマの生き様、考え方を一人称で書いた本というのはこれだけではないか、と思う。(もし他に知っている方がおられたら教えてください)

    それも、この高橋信次氏は仏教者でもなく、キリスト教徒でもなく、電気工学を専攻し、コンピュータ関係の会社の経営者である!!

    しかし、世間一般には、その経営者としての顔よりも、GLAの創始者、宗教家としての方がよっぽど有名で、自分で予言したとおり、48歳で若くして亡くなった後も、その信望者の方は多いと聞いている。

    前置きが長くなってしまったが、これからが読書感になるわけだが、すでにブログとしては長くなってしまった。

    この日記をその(1)として、その(2)を続けて書こうと思うが、一点だけ、最大の印象を述べさせてもらえば、

    「よくここまで書けるな。ご自身が臨死体験やら体外離脱などの超常体験をされてことは聞いているが、その体験がここにかなり生きているはず。だとすると、そのご自身の体験というのは非常に、ここに出てくるゴータマの体験と相通じるものがあったはずだ」

    ということがひとつ。

    もうひとつは

    「しかし、ここで言われているゴータマの『悟り』にいたる修行と瞑想による神秘体験がいわんや事実だとしても、この程度の体験をした人は他に何人もいる。霊界の階層構造、魂の輪廻、縁起、因と果、カルマ、神の存在意義、人間の地球における役割・・・。こういったものは、私のもつ「世界観」とほとんど変わらず、新しいものはなにもなかった」

    「つまり、ゴータマの偉いところは、この「悟り」にいたる経験や思想ではなく、おそらく、それを『どう人々に対して広めて行ったか』という実践部分にあるのだろう」

    ということ。

    今、一巻をほぼ読み終わり、ゴータマが出家して悟りに至ったところまでは読んだ。

    この「悟り」の内容に関しては、知識としては私が今現在持っている世界観を一歩も出ていないが、おそらく、この後の2巻から4巻でのゴータマの布教活動(というか、人々を救う、という活動)にこそ、私が学ぶべきことがあるのだろう、と思う。

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    上の所感で書かなかった印象というか、感想をいくつか書きます。

    その一つは、この本は、読む人によっては、非常にとっつきにくい本だと言うことです。読んでいると突然、「実在界」とかいう言葉が出てきて、これを「来世」とか「霊の世界」ということを知っている場合はそのまますんなり行くのですが、そうでなければ、ここで「なんだ?」ということになってしまいます。

    あと、高橋信次氏は、やはり小説家ではないので、どうしても普通の小説のようには読めない。ゴータマの考えを記述している中で、突然、氏の考え方のようなものが入ってきて、ここはゴータマがこのように考えた、として書いているのか、それとも、氏が個人的な意見として書いているのか判然としないところがある。

    どちらにしても、書いているのは氏なので、すべて彼の考え方からしか出てこないわけだから、この際、書いてあることは全てゴータマが考えている、という形にしたら良いのに、と思ったりする。

    つまり、ゴータマが知っているはずのない、イエスのことやモーゼのことが出てくるので、ここは当然、氏自身の考え方なのだろうけれど、ゴータマが考えていること、という受け取り方をしながら読んでいて、突然、(その時から見たら)未来のことや、我々が生きる現代のことが出てくると、あれっ、と戸惑ってしまい、流れが途切れてしまう。

    まあ、それは横に置いておいて、ひとつ気になる事がある。

    こういった人(おそらく高橋氏自身もそうだったと思う)が、自分の霊性を認識し、実在界の存在と現象界(この世)の関係などを、その超常体験を通して理解し、それを元に現象界での人間の本来の生き方を悟りかつ人々にも知らしめて行く、というのが宗教者の常なのだが、そこでの「体験」の真実性をどうやって確認するのか、という点である。

    この本にも書いている通り、人間がこのような超常体験をする場合に、その人それぞれの霊的レベルによって、その体験が変わってくることはまず間違いないだろうと思う。

    そして、場合によっては、「魔」と言われるものが憑いたり、動物霊や人間の浮遊霊が憑くこともあると思われる。

    問題は、その場合でも、決して「魔」が憑いたり「邪霊」が憑いたりしたと、その人には認識させないで、さも高級霊として、その人に認識させるのが普通だ、ということだ。

    この「魔」とか「邪霊」の正体も分かっているが、その人にとっては、自分の体験に基づくものだから、なおさら、これが「偽りのない至高体験だ」と思ってしまう危険が常につきまとう。

    だからこそ、仏教などでは、座禅や瞑想の結果としての超常体験を非常に注意深く扱っており、その体験を以って間違っても「舞い上がったり」しないように、きちんとした指導のもとに行わないと危険だ、と言われている。

    そんな指導もなく、いたずらにこういった体験をした人が舞い上がって「私は神に会った」だの、「高級霊の指導を受けた」だのと言って、早速ほかの人に「この世の真実」を説き始める人が後を絶たない。

    今の日本でも、〇〇の科学とか、XX会とか、△△協会とか、そんな人が立ちあげた「新」宗教、「新々」宗教がたくさんある。〇〇の科学など、その指導者がこういった「霊言」集をいくつも出しているし・・・

    それもこれも、それぞれの人が、自分が自ら実際に体験したことだから、というだけの理由で、それを唯一絶対の「真理」だ、と誤解することに起因する。


    ではこれらの人と、このゴータマの経験はどこが違うのだろうか?

    自分の超常体験の中に現れる存在、それは神かもしれないし、高級霊かもしれないし、菩薩、如来、イエス、モーゼ、なんでもいいのだが、その存在の真実性をどうやって確認できるのだろうか?

    たぶん、それを確認する手段はないに違いない、と私は思っていて、それでも、その中のいくつかは、本当の真実を表しているに違いない、とも、同時に思っている。

    その判断基準は・・・・・

    私なりには持っているつもりである。(ここでは書かない)

    でも、それを持っていないで、こういった超常体験をする人が何人も現れ、雨後の竹の子のように、様々な考え、様々な教えを説く、いわゆる「教祖」というのが現れてくるのだろう。

    その「霊」が言った事と、他の人が同じような体験から聞いた内容が違っていても、そんなことは意に介さない。なんとなれば、その人は、自分の体験こそ「唯一の真実」だと思っているから・・・。

    では、このゴータマの場合はどうか? いや、高橋信次氏の描く、高橋信次氏の経験、体験を反映した「人間釈迦」はどうか?


    その「判断基準」を以って、この人間釈迦の第2巻以降を読んで行きたい。

  • お釈迦様の悟りを開くまでの人生が、物語形式でリアルにとてもイキイキと描かれています。

    この本の中のお釈迦様はとても優しい語り口調で、お釈迦様の言葉には何度も感動させられました。
    正しい生き方を心掛けないといけないな。とおもうのでした。

  • 素晴らしい。これまでブッタ(本の表記どおり)の人生についてちゃんと読んだことがなかったが、ブッタがどのように悟りを開き、どのように宇宙をとらえ、人々を導いていったのか、よくわかる。ブッタの教えはシンプルだ。決して難しいものではなかったし、押し付けがましさや厳しい戒律もなかった。著者はこの本を書くにあたり、プロットを立てたり、構想を練ったりということはせず、目の前に映し出される情景を書き取ったらしい。著者が亡くなったことにより未完であるのが残念だが、自らの予言どおりの死ということらしいので、これもまた、絶妙のタイミングなのかもしれない。2008.1.13

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