- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784879842213
作品紹介・あらすじ
世界的内戦の真っただ中で、市場と法に全てを委ねる新自由主義やグローバリゼーションに抗して、コミュニズムの<後>を思考するナンシーの闘い。全訳・未刊3論文追加。
感想・レビュー・書評
-
ジャン=リュック・ナンシーは最近注目しているのだが、この本は少々微妙だった。
表題の論文「共出現」で、ナンシーはソ連崩壊、東西冷戦の消滅によりマルクス主義が急速に「過去のもの」として片付けられつつある状況に「怒り」を表明している。フランス現代思想は大半の思想家が実はマルクス主義だったり、あるいはそれに接触をもっていたりするのだが、やはりナンシーもそっち系だったか。
ナンシーが繰り返す「コミュニズム」は直訳すれば「共産主義」に他ならないが、彼の場合、「共-に-存在すること」という「共有」のテーマを意味している側面が強く、ただちにマルクス主義と切り捨てることはできない。
マルクス主義には距離をもって接してきたわれわれから見ると、ソ連などの社会主義国家は結局「官僚制」にコントロールを委ねることによって、そこに非=民主主義的な権力構造が生まれ、どんどん腐敗せざるを得なかったように思われる。
そもそもマルクスは「労働者たちよ、立ち上がれ」と呼びかけたのであり、かれの言うコミューンとは、「階級の連帯」にほかならなかった。これは、日本民俗学や人類学が描写してきた庶民的・古代的な「共同体」とはおのずと大きく異なるものだ。
「階級」をモナドの単位として構成することに固執するかぎり、それは決して「人間=存在」を包摂することはできなかったのではないか?
これがマルクス主義について私が思うところだが、ナンシーの考えでは、存在論的な「共-存在」はどうやら共産主義的な「連帯」とまだ結びついているようなのだ。
だからこそ、ナンシーは「分有」という概念を持ってくるのだ、と今回やっと気づいた。
それと、本書はちょっと翻訳もあまりよくないかもしれない。
それでもまあ、ナンシーの思考に面白みがないわけではなく、それなりに楽しんで読んだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示