書林探訪―古書から読む現代

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著者 : 紀田順一郎
  • 松籟社 (2005年6月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879842343

書林探訪―古書から読む現代の感想・レビュー・書評

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  • 古書と古書店を巡る随筆。何よりも著者の資料に対する熱い思いがあつてのことで、それぞれの書店あれこれの珍書の話が続く。当然のことながらこの世界にも、戦前戦後の歴史の移り変わりがあり、風俗史としての一面も見られる。一刻の閑談としてもなかなか上等なもの。(16/3)
    ▼松籟社より
    一口にいえば、古書はほかの媒体に比して遙かに奥深いものを備えている。
    他メディアが平面的で一過性なものであるのに比べると、
    古書店や展覧会に並んだ本にはいわば時間という付加価値がプラスされ、
    立体的、縦断的な情報となるため、
    新刊書とは異なる知的刺激を受けるように思えるのは、私だけではあるまい。
                       (著者まえがき)

    この本の内容――編集者より


    「トリビアの泉」という楽しいテレビ番組で、「国会内で泥酔して女性議員のアゴに噛みつき、クビになった大蔵大臣がいる」というムダ知識が紹介されたことがありました。

    「昔、こんなアホなことがあった」というたぐいのトリビアは、古書、とくに「雑本」と呼ばれる古雑誌やパンフレットなどをめくっていくと、つぎつぎと見つかるもの。数多くの古書をとりあげている本書『書林探訪』にも、トリビアとまではいわないまでも比較的トリビアルな情報を探すことはできます。

    ただ、本書は『へぇ~の本』ではありませんので、ムダ知識を愛するのとは別の、古書の楽しみかたを提示してもらえないかとおもいました。そのとき軸になった概念は、古書は記憶装置である、というものです。
     古書を丹念にめくっていくと、「昔こんなことがあった」という記録とともに、そのことを「昔の人たちはどんなふうに思ったか」ということもある程度わかります。それに付随して、当時の経済感覚や倫理基準も大まかに推定することができます。これを(紋切り型なのは承知の上で)、時代の雰囲気がわかる、としておきましょうか。さて、当時の価値観などなどをひっくるめて「昔はこうだった」と知ることは、ほとんど必然的に、じゃあそれと比較して今はどうなのかしら、という疑問につながります。

    『書林探訪』は、そういった疑問を導き、それがきっかけとなって思索を生み出すような本になったかと思います(このような考えのもと、いささかあからさまではありますが、サブタイトルは「古書から読む現代」とつけられました)。

    ところで、現状に対して「昔はよかったけど今はどうしたもんだ」「最近の若いもんは…」とけなし、気持ちよくなってる方々がいます。この人たちがいう「昔」は、自分のまわりだけの狭い体験にもとづく印象にすぎないということは、かの『反社会学講座』でも揶揄されていることですが、すくなくとも、『書林探訪』における紀田さんの過去に対する姿勢は(と同時に、現代に対する姿勢も)、この人たちとは違って謙虚で誠実だと思います。
    ▼紀田 順一郎。1935年4月16日生まれ。日本の評論家、翻訳家、小説家。本名は佐藤 俊。神奈川県横浜市中区生まれ。横浜国立大学神奈川師範学校横浜中学校から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒。 ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。
    ▼主な著作の一つ「日本語大博物館」(筑摩書房のHPより)
     明治の幕開けは、欧米の言葉にくらべて複雑で難解な日本語を、簡潔な言語・文字にし、効率的に表記しようとする「近代化」への挑戦のはじまりでもあった。日本語活字誕生秘話、活字文化の大衆化を支えた人々、苦闘の末に大事典をつくりあげた諸橋轍次と大槻文彦の偉業、漢字廃止・カナ文字運動の理想と現実、ガリ版文化の開花と衰退、写植の創造に半生を傾けた男、そしてワープロの誕生…。埋もれた厖大な資料を掘り起こし、この100年の日本語「近代化」に注がれた全情報の軌跡を追う、渾身の日本語探求図鑑。カラー図版多数。
    この本の目次
    第1章 幕末活字顛末期―活字に憑かれた人々
    第2章 活字との密約―“壮厳なる森”に魅せられた人々
    第3章 起死回生の夢―昭和活字文化の七〇年
    第4章 ことばの海に漂う―諸橋轍次と大槻文彦
    第5章 カナに生き、カナに死す―カナ文字運動の理想と現実
    第6章 ローマ字国字論の目ざしたもの―田中館愛橘、田丸卓郎と日本のローマ字社
    第7章 日本語改造法案―人工文字に賭けた人々
    第8章 漢字廃止論VS.漢字万歳論―国語表記論争の過去と現在

  • 古書を訪ね、古書に尋ねる。古書は、記憶装置である。封じ込められた“過去”をほりおこし、それを“現代”に照らし返すと、驚くほど立体的な知識や情報を得ることができる。本の町・神保町に足を踏み入れて50余年、古書探しの達人であり、古書読みの名人である著者による、実践的・古書の愉しみ方入門。(2005年刊)
    ・まえがき
    ・古本屋探偵、神田に現る
    ・書窓漫録
    ・書林探訪
    ・あとがき

    著者の紀田順一郎は、書物論、情報論、近代史などを専門として評論活動を行うほか、小説など創作も手がけている。(松籟社ホームページより)
    古本屋探偵ものの古書ミステリーなどで馴染みが深い。
    「古本屋探偵、神田に現る」にはニヤリとさせられる。
    「書窓漫録」と「書林探訪」は、古書にまつわるエッセイである。著者の知識の広さ(関心の幅の広さ)には脱帽であるが、興味の対象が偏る身としては、いささか読むのに骨が折れた。

    以下、特に興味深かったもの

    「秋葉原の記録魔」
    藤岡屋日記の話。江戸府内絵本風俗往来の中に藤岡屋由藏のスケッチがあるという。、

    「ああ、忍ぶべし忍ぶべし」
    幕末の米総領事ハリスと下田奉行 中村時万との交渉のエピソード。激高したハリスは青銅の火入れを日本側に投げつけ、一行がいっせいにさやを払おうとするのを、奉行が抜くな抜くなと必死に手まねで制したので、危うく事なきを得た。あとで休憩室に下がった奉行は、「さぞかし弱い士だと思ったろうな」と話しかけ、ひとりごとのように「嗚呼忍ぶべし忍ぶべし」と嘆声を発したという下岡蓮杖の回顧。

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