ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)

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制作 : 早稲田 みか  簗瀬 さやか 
  • 松籟社 (2016年4月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879843425

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ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)の感想・レビュー・書評

  • 「ある一族の終わり」というタイトルとおおまかな粗筋から、マンの「ブッテンブローク」やマルケスの「百年の孤独」と対比したくなる。マンは解説の早稲田氏からも指摘有り。あ、あと、ナーダシュ・ペーテルの小説はこれが始めてだけど、実は知らずに前から知っているのかも。彼は写真家としても有名で、ECMのアルバムジャケット(モノクロ)を結構手がけているようだ。微細なものを陰影だけで拡大して見せる彼の写真。そういえばたぶん・・・
    (2016 07/10)

    ある一族の物語の終わり
    ナーダシュ・ペーテルの「ある一族の物語の終わり」を昨夜から読み始めています。子供の語りと祖父の語りという構造は、最近読んだ中では「グラモフォン」(あっちは曾祖父だっけ?)に近いかな。地域も近いし。ただ作家自体は親子(以上?)の差があるのだけれど。
    とにかく作中にいろいろな話が語られるのだけど、個人的にはブーツの話ともう一つ(なんだっけ?)が気になる。
    (2016 08/25)

    祖父の教え?
    「ある一族の物語の終わり」から。
    なるほど、だがいつだって、中を探せば外に、外を探せば中にいるんだ。
    (p45)
    祖父が語り手というか漂い手というかの少年に語る、神についての言葉。続けて祖父のかたりからもう一つ。
    ほらな、真の問いにたどり着いて、さあいよいよ頭を働かせようって段になると、思考する能力を持ちあわせていない脳みそってやつは、ちょいとした逸話でもって一服しようとするものなんだ。
    (p46)
    なかなか含蓄のある祖父なんだけど、父親(この祖父から見ると息子)との間に複雑事情があるみたい。その一端がこの後の街での短い再会の場面で垣間見られる。

    「ある一族の物語の終わり」についてちょっと付け足し
    1、前半を簗瀬氏が、後半を早稲田氏が訳し、その後二人でまとめたということらしい。
    2、ちょい前に読んだ「東欧の想像力」シリーズの「墓地の書」とも比べてみよう。語り手が道化的立場で社会批判をするというのはどっちも同じ構図。「墓地の書」が体制に入り込んでいるのに対し、「ある一族」の方は距離感がある感じかな。今のところ。また読み進めたら「グラモフォン」とも合わせてやってみよう。
    3、解説に「かなり難解」とかなり脅かされたけど、にやにやできるところあって、結構愉しい。その割に進んでないのはお約束(笑)
    (2016 08/28)

    息止めステージ
    第何章だかわからないからp57からの章では、犬が死んだり生きたり(笑)。心の中に起きるイメージを脈略なく書き記した、そんな感じ。もちろんこれは大人のナーダシュ・ペーテルが書いたもので、実際の子供がこんなふうなのかは定かではないけど、実感として近いと思わせるものは確かにある。微細に微細に入り込んでいくエクリチュール。始めの思い込みと違って意外に好みかもしれない。この作家。
     それで僕は、必死に息を止めて、新しい空気を吸わないようにして、死んだようにじっと動かずにいた。体の中に押し込められた空気が広がって、体が熱くなり、はち切れた。ゆっくりと息をする。僕が、自分の犬みたいに、ここで死にかけていても誰にもわかりっこないんだ。
    (p60)
    そういえば、子供の頃って何故か息を止める遊び?するよね(男の子だけ?)。時間の前後関係の無視、顕微鏡的な外界の描き方。
     僕が目にしているもの、それを見ているのは僕じゃないんだ、そして何もかもが消えて、さっき見たものが何なのかが全然わからないのは、次の瞬間にはそれが僕にはもう見えないからなんだ。
    (p62)
    でも確かに、今見ているものとさっき見たものを結びつけているのは見ている人間の何らかの思い込み(脈略と言い換えてもいい)なんだよね。そういう思い込みが不意に消え去る時が、大人でもある。
    (2016 08/30)

    語り手の二重性
    というかなんというか、「ある一族の物語の終わり」の語り手は確かに少年(6歳?)なんだけど、語りそのものではなく内面を表現したといっても、まだ子供ではなく大人の作家の思考が残っている。これは消し忘れではなく故意ではないか。子供だった頃の内面を今の作家がなぞっていますよ、みたいな道づけ。
    も少し読み進めたら、また考えてみたいところ。
    (2016 08/31)

    じいさんのじいさんは…
    みなじいさんだ…
    「ある一族の物語の終わり」の中盤。祖母との買い物(共産党政権時代の日常生活が垣間見られる)から帰ってきて、屋根裏部屋で祖父の一族話が、章をまたいで展開するところ。この祖父は子供時代にまたその祖父からこの話を聞かされたみたいで、またその祖父も…とぐるぐる遡る構図になっている。話されている内容は古代ユダヤのシメオンの物語なのだけど…
    でも「終わり」とタイトルについているということは、これからどうなるのか…
    (2016 09/01)

    別バージョン?
    「ある一族の物語の終わり」は祖父から伝わった先祖話を孫に伝え…ていると思っていたら、祖父から聞いていたのは実は別のバージョンだった…とか。一筋縄ではいきません。まだ何かあるかも。

    クラクフのピアノの夢
    「ある一族の物語の終わり」から。いろいろあったと思うけど、今回はここを…
    僕はここに座っている、そうじゃなければあそこに寝ている、これはぜんぶ何かのまちがいで、僕は知らなかっただけなんだ、知らないうちに、僕には息子や孫が生まれていて、僕は年とって死んじゃって、今、その僕を男の子が見ていて、その男の子は僕なんだ。
    (p123)
    お前6歳だろっ、と突っ込みたくなるけれど、こういうどこにでも入り込めるような感性は、この年齢独特?それともやはり大人の作家のエクリチュール?とにかくこういう全てを包み込むような視点がこの作品の特徴。だから余計に「終わり」が気になる…
    この文章部分が昨夜読みの最終近く。そして今日読みのところでは、祖父と友人?フリジェシュおじさんとの対話、そして祖父と父親との対話、というか、対決。そんな中で印象的だったのは、祖父が語る戦争直後のクラクフの廃墟の家でのピアノコンサート?
    ドアとともに消える…
    (2016 09/02)

    七つの円環
    「ある一族の物語の終わり」から祖父の語る一族の或いはユダヤ人の物語…多くは迫害と放浪。
    その後、ここからも姿を消した。跡形もなく、いずれ芽の出る種子だけを残してな。この種子が数か月後に芽を出す、そうすると、わしらは二つ目の円環に入ることになる。この話には七つの円環があるんじゃ。じいさんがわしに話してくれたのは六つ、七つ目はわしらのものだからな。
    (p144~145)
    七つの円環は美、理知などから、苦難とかへと下っていく。迫害とか外の要因もあるけど、傲慢とか堕落とか内の要因も大きい…今思ったのだけど、七つ目の円環はいつの語りでも今からの、訪れることのない円環ではないだろうか。
    そう、次々に開いていく門の背後には行き止まりの壁があること、そして円環にはほどけ目などどこにもなく、つねに元に戻ってきてしまうということをな。
    (p145)
    これは祖父の祖父には知り得なかった、祖父だけの知恵、らしい。でも、祖父の祖父もそう言っていたかも…
    後50ページくらい…
    (2016 09/04)

    語りの後には沈黙
    「ある一族の物語の終わり」を昨夜読み終わらせました。ほんとはも一日かけた方がよかった。
    偽装裁判とかそれに伴って祖父、祖母、父親が相次いで亡くなったりしたことで、彼はそういう政治犯の子供専用施設に預けられる。そこではとにかく喋ることが禁止させられる。沈黙してその「罪」を考えよ、ということだが。
    こういった施設にはなんだかいつも同性愛的雰囲気が入り込み、「テルレス」っぽくなるのかなという流れが始まりそうになる時、突然枕投げが始まり語り手は二段ベッドから落ちてしまう…語りはここで終わっている。全く違うけど、死とかそれに近い気を失うとかいう時の描写はなんとなく似るのかな、ル・グィンの最後に読んだ「革命前夜」を思い出してしまった。
    作者本人ではないけど、弟がこうした(政治犯かどうかは不明)施設に入れられたそうな。
    (2016 09/06)

    補足?
    「グラモフォン」「墓地の書」「テルレス」と「ある一族の物語の終わり」との比較やってみよう、と書きっぱなしになっていたので、少しだけ。
    「グラモフォン」は大人になってからの子供時代の回想を出来るだけ子供目線で、「墓地の書」は大人になったけどなりきれてない男の視点、「テルレス」は大人になってからの回想(という記述が作中一カ所現れる)を大人作家?の目線で、「ある一族」は子供の視点を大人作家が意識をなぞる感じの視点。と言ったらいいのかな。
    (2016 09/12)

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ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)の作品紹介

祖父から孫へ、そしてその孫へと、語り継がれた一族の/家族の物語(ファミリー・ストーリー)。その「終わり」に立ちあったのは、幼いひとりの男の子だった――
現代ハンガリー文学を牽引する作家ナーダシュ・ペーテルが、自らの出自であるユダヤというモチーフにとりくんだ中編小説。幼い子どもの視点からの、ウェルメイドとはとても言えないその語りは、共産主義体制下で物語を語りうるかという課題も想起させながら、記憶や伝説、そして物語を行きつ戻りつし、たゆたう。

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