蔵書一代: なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

著者 :
  • 松籟社
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879843579

作品紹介・あらすじ

蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。
やむをえない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。
自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ。
近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 3万冊もの蔵書をどのようにして捨てるに至ったのか。著者の読書遍歴と共に紹介される。間には日本人はどのように書籍と向き合ってきたのかが紹介され、深みを増している。拙著「本で床は抜けるのか」を参考資料にあげてくださっていて、ありがたい。この本と「蔵書の苦しみ」と拙著の三冊が朝日新聞に紹介されていたが、絶妙な取り合わせだったと呼んでみて実感した。

  • 紀田さんはぼくが敬愛する文筆家の一人であり、著作集も一部?持っている。ぼくがいろんな分野の本に興味を持つようになったのは紀田さんのおかげである。たとえば『北越雪譜』等というような本は、紀田さんの本の本を読まなければ知り得ようがなかった。その紀田さんが『蔵書一代』という本を出した。意味は蔵書は一代限りで終わるというものである。子どもがいてもそれを継承してくれるとは限らない。いや、むしろ引き継いでくれることを期待してはいけないということばである。ぼく自身も自分の趣味の広がりとともに、研究の分野が広り、新しいテーマが見つかるごとに多くの本を買い入れてきた。これまで研究室の引っ越しを2度経験しているので、書架20本くらいは処分したことになるが、まだ研究室に20本はある。家にも8本ぐらいはある。これをこのままにして死ねば、あとに残されたものは困る。負の遺産である。紀田さんは増え続けていく本を置くために1997年に岡山の吉備高原に書庫を核とした家を建て、3万冊のうち1万冊をそこへ移した。そこではじめて紀田さんは自分が読んできた本の背を眺めることができた。本棚はその人が読む読まないにかかわらずその人の歴史、人格を反映するものである。そして、紀田さんはそこで隣人にも恵まれ14年の夢のような生活を送った。その生活を破ったのは、横浜にいた奥さんが骨折したことである。その後の老老介護を考えると、とても岡山にいることができない。そう悟った紀田さんは横浜に舞い戻った。しかし、そこで紀田さんが直面したのはやがてやってくる自分の終焉に対し、これだけの本をどうするかという問題だった。こんなとき強いのはなんといっても妻の方である。妻の方が現実的なのだ。そこで紀田さんは最後に移動式の書架2本分の本を残し,他をすべて古書店に売ってしまう決意をした。本書はその蔵書との最後のわかれから始まる。以上は紀田さんの蔵書歴を簡単にスケッチしたものだが、紀田さんは日本人の蔵書志向、蔵書維持の困難さ、個人の蔵書がどうして公共機関の図書館に寄贈できないのかなど、蔵書をとりまく様々な問題、東西の蔵書家の悲哀を合わせて描いている。ぼくは紀田さんのほどの蔵書をもっているわけではないが、身につまされる思いをした。

  •  一個人が本を集めるということは、やがてその人が年老い、死んでいったあと、その多量の本をいったいどうするのか、という問題を抱え込むことでもある。著者は作家として多量の資料を収集しながら、住まいを変え、図書館も併用し、蔵書を他者にも閲覧可能にするようなシステムも考える。だが結局、八十歳のあるとき、膨大な蔵書を処分することを決断する。
     私も、身内から「図書館を使えばいいじゃん」「トランクルームとか使えばいいじゃん」と言われるけれども、それではできないことがある。というか生きている意味がない。常に身の回りに本がないと、生活がなりたたない。でも、自分が近い将来死ぬまでに、この本をなんとかしなければ、とも常に思っている。図書館に寄贈?いや、受け付けられないだろう。古書店に売却?買い手がいないだろう。じゃあこの多量の古紙をいったいどうすればいいのだろう。とはいえ、まだ、生きているうちは、私にとっては有益な古紙だ。とことん読んで、とことん楽しもう。

  • ふむ

  • 第39回アワヒニビブリオバトル「閉じる」で発表された本です。
    2018.06.05

  • 著者が、自分の蔵書の管理のために岡山に引っ越しながらそれがうまくいかなかったということを聞いたので、その顛末を知りたくで読み始めた。
    個人の知的活動を自身の蔵書に依存するというのはこの国でよく見られる現象。図書館の弱さとも関連はあるだろうけど、それだけでもないような気がする。

  • 著者は評論家であり怪奇小説の全集の編纂もしている人物で、今までその文章を読んだことがなかったのだけど(怪奇小説も興味ないし)、なんだかすごく読みやすくスルスルっと読み終えた。
    前半は著者が自宅の蔵書を処分するまでの経緯。後半は近現代の日本の蔵書家たちが、その膨大な蔵書をどのようにして保管し、次世代に引き継いだか(引き継げなかったか)を紐解く。
    個人蔵書を誰かにまとめて引き継ぐというのは難しい。基本的には引き継がれず、現在の現実的な方法としては一部だけを誰かに譲って、残りは古書店に引き渡して分散していく、というパターンが多いかな。蔵書を集めた本人にとってはその蔵書は価値あるもので、次世代に「1冊残らずそのままの形で」引き継がれてしかるべきと考えるのだろうけど、引き継ぐ側の趣味趣向が一致するとは限らず「欲しい本だけ欲しい」となる。蔵書家にとってその認識の違いは耐え難いものだろうけど、蔵書とはいわば個人の趣味の塊のようなものだから仕方ない。
    私はできるだけ蔵書を持たないようにしているけど、この本を読んでさらに断捨離しなければと痛感した。

  • 毎日新聞 書評 2017.7.23

  • 実はこの週末、実家に溜め込んだ本を整理していた。旧作・新作を
    問わずノンフィクションばかりを読んでいるので、リサイクル書店
    には売れないので、ネットで探し当てたノンフィクションに強い
    古書店に買い取りを依頼した。

    読み終わった本は手元に置いておきたいので、極力、図書館は利用
    せずに自分で購入するようにしている。だが、よくよく考えると
    私に万一のことがあった場合、わずかばかりではあるが溜め込んだ
    本を受け継ぐ者がいないのだ。

    なので、近年はある程度本棚から溢れそうになるとせっせと処分
    するようにしている。でも、やっぱり未練は残るのよね。

    ただの読書好きでもこの始末。それが研究者や著述家となったら、
    蔵書の処分は断腸の思いだろう。

    逃れられない老い。共に老いた妻とふたりの年齢に相応しい暮らしの
    為に3万冊の蔵書を600冊にまで減らさなければならなくなった著者
    の体験談と、蔵書に関する考察が本書である。

    切ないわぁ。あの紀田氏さえ長年愛蔵した蔵書の生前整理をしなくて
    はならないなんて。そりゃ、蔵書を積んだトラックを見送る際に足元
    がマシュマロのように柔らかくなり、路上に崩れ落ちちゃうわよ。

    戦前整理でなくとも研究者や著述家が亡くなると、残された家族に
    とっては大量の蔵書をどうするかの問題が持ち上がる。

    一括して引き受け、保存・閲覧に供してくれる施設があればいいのだ
    が、現在の日本では相当に難しいという話に「この国は文化衰退国
    だな」と感じた。

    本にしろ、DVDやCDにしろ、フィギュアなどにしろ、集めた本人
    以外には「ゴミ」でしかなんだよな。蔵書も含め、コレクションは
    すべて一代限りなのかもしれない。

  • 2017/09/24 初観測

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著者プロフィール

評論家・作家。書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がける。
主な著書に『紀田順一郎著作集』全八巻(三一書房)、『日記の虚実』(筑摩書房)、『古本屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)、『蔵書一代』(松籟社)など。荒俣宏と雑誌「幻想と怪奇」(三崎書房/歳月社)を創刊、のち叢書「世界幻想文学大系」(国書刊行会)を共同編纂した。

「2021年 『平井呈一 生涯とその作品』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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