マチュピチュの頂

  • 書肆山田
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  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879956248

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  • 檸檬の花の指をした風が
    眠れる者すべての上を吹き渡った
    先年の風 幾月 幾週の風
    緑の風となり 黒鉄の山脈から吹いてきた風が
    それは過ぎ行く優しい嵐のごとく
    荒涼たる石の境内を浄めていった



    沈黙の中の1粒の麦のように だが
    麦粒への慈悲心など誰に請えというのだ

  • 『大いなる歌』(1950)に収められている長編詩「マチュピチュの頂」(1948 aituras de macchu picchu)。
    詩は・・・やっぱり翻訳された詩を読むのは苦手。
    もちろん、翻訳でも訳者の方の奮闘のおかげで原書の詩のもつ息吹のようなものは感じることができた。
    マチュピチュの景色が頭をよぎる、ロマンあふれる力強い詩。

    後半は、訳者・野谷文昭氏による長い解説。
    この解説によって、いままで全然知らなかったネルーダのことが分かった。

    ネルーダ、原書で読みたいなぁ。

  • パブロ・ネルーダの詩集。
    約半分が、野谷文昭氏による解説ですが、
    この詩人を知る良い資料になってると
    思います。

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著者プロフィール

チリの詩人。本名リカルド・ネフタリ・レイエス。20歳で刊行した詩集『二十の愛の詩とひとつの絶望の歌』(1924年)がスペイン語圏で人気を博す。20代から外交官としてアジア各地を遍歴、前衛的な詩集『地上の住処』(1935年)を刊行。1936年からのスペイン内戦に関わったことで政治に傾倒、3年の駐メキシコ領事職を経て1945年からチリ上院の共産党議員として活動するが、1948年親米色を強めていた当時のゴンサレス・ビデラ政権により議員資格をはく奪されたことがきっかけで1年あまりの地下潜伏生活に入る。1949年ヨーロッパに脱出、翌1950年に大部の詩集『大いなる歌』をメキシコで刊行、逮捕令が解けてチリに帰国した1952年以降も精力的な創作活動を続けた。1969年の大統領選で共産党から立候補を要請されたが、左派票を人民連合のサルバドール・アジェンデに一本化すべく辞退、1970年からアジェンデ政権の大使としてフランスに駐在した。1971年ノーベル文学賞受賞。1973年9月23日、アウグスト・ピノチェト将軍らによるクーデター勃発の約2週間後、サンティアゴ市内の病院で病死したとされているが、謀殺説をめぐる検証が続行中である。上記以外の代表作に詩集『ブドウと風』『基本頌歌集』(1954年)、『新基本頌歌集』(1956年)、『第三頌歌集』(1957年)、『航海と帰還』(1959年)、『イスラネグラの備忘録』(1964年)、『鳥の秘術』(1966年)、『世界の終わり』(1969年)等。

「2018年 『大いなる歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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