インクルーシブ教育の本質を探る

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  • 全国障害者問題研究会 (2013年8月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (111ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784881341858

インクルーシブ教育の本質を探るの感想・レビュー・書評

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  • 権利運動という背景が世代的に共有しにくいと、国策のヌケ批判な文章はすっ飛ばしてしまいたい。イメージとしての権利運動に惹かれることと言えば、つくることで変えていく、変えていくこでつくっていく、の循環なわけで、アーダコーダに聞こえてしまう議論はどうもあわない。(教育)システムそのものの変革と、多様性によるあらゆるニーズへの対応、すごく大きな根本的視点だけども、逆に地域単位で個別に取り組んでこそ、という示唆でもあるのか。今の"インクルーシブ"では真面目な意味でin苦しむということ。

  • 本書は、インクルーシブ教育に関して基本的な背景やこれまでの動向を整理し、インクルーシブ教育の本質をとらえることを主眼としています。

    本書は、3部構成になっています。
    第一部では、荒川氏によるインクルーシブ教育の基本的な理念とその思想的背景、発達保障思想との関係などについて論じています。

    第二部では、越野氏による日本のインクルーシブ教育の論点として、障がい者制度改革推進会議や中央教育審議会の議論をていねいに探り、その動向について解説しています。

    第三部では、荒川氏と越野氏による対談で、インクルーシブな学級・学校づくり、授業づくりになどについて収録されています。

    インクルーシブ教育は、プロセス概念であることが強調されています。
    インクルーシブ教育を実践の中に位置づけるために潜在能力アプローチが紹介されています。

    発達保障との関係の中で、より深めていくことが提起されていました。
    この提起は、これまで発達保障の中で取り組んできたことを整理し、深めていくものだと受け取りました。
    潜在能力アプローチの考え方をふまえた実践というのが求められていますが、どのような実践が潜在能力アプローチとして言えるのか、理論なので、実践にしていく際に、モデルとなるようなものがあると分かりやすかった。これは今後の課題としてだとは思いますが、気になるところです。



    「インクルーシブ教育は、一部の学習者をいかにメインストリームの教育に統合するかという周辺的な課題」、言いかえれば、特別なニーズ(障害や学習上の困難など)をもつ特定の対象者に対する特別な支援をすることによって、既存の通常の教育についていけるようにするというのではなく、「むしろ、教育システムやその他の学習環境を、学習者の多様性に対応するために、いかに変えるかを追求するアプローチ」(05指針 15頁)なのです。すべての学習者に質の高い教育への参加を保障し、「社会への完全かつ効果的な参加」(障害者権利条約)の実現をめざすのがインクルーシブ教育であるとも言えます。
    P14

    インクルージョンは「プロセスであること」「障壁を識別し取り除くこと」「生徒の出席・参加・学業達成に関わること」「とくに疎外・排除されてきたグループに配慮すること」。よく「プロセス」ということばが使われますが、それは「多様性に応えるよりよい方法を見出す終わりのない探究」を意味します。
    P14

    インクルーシブ教育は、特別ニーズ教育や特別支援教育を否定するものではなく、両者を対立的にとらえるべきではありませんが、だからといって両者を同一の次元でとらえることも適切ではないでしょう。そのことを踏まえながら、日本にふさわしいインクルーシブ教育のあり方を追究していきたいと思います。
    P21

    多様性に応じるというのは、学習上の格差を正当化したり拡大することではなく、「柔軟な方法にしたがって教えられつつも、学習者にふさわしい共通のコアのカリキュラムのニーズを」踏まえているのであり(09指針 19頁)、それが質の高い教育をすべての生徒に保障することなのです。
    P25

    インクルーシブ教育は、まさに管理と競争の教育とは対極にあります。また、それを進めるにあたって、教員の専門性は重要ですが、通常教育のすべての教員に何か突出した名人芸を求めているわけではなく、むしろスタッフの配置やクラスサイズ等の人的・物的な教育条件をしっかり整備することと、教育・学習の自由を保障することこそ不可欠なのではないでしょうか。
    P25

    しかし、授業のユニバーサルデザインの教育方法学的あるいは教授学的な検討が、さらに必要ではないかと思われます。もし、授業のわかりやすさだけを追求してしまうと、疑問や矛盾を子どもたちに感知させながら思考を揺さぶる中で、物事の本質に迫らせていくという授業のダイナミックさ、あるいは教授・学習の本質を損なってしまう恐れがあります。ましてや、板書や教材の提示の仕方などのスキルだけが着目され、機械的に応用されると、インクルーシブ教育とは逆の方向に向かうことになりかねません。
    p26

    ユニバーサルデザインには、発達障害の子が混乱しないようにという理由で、挙手の仕方や教科書の持ち方まで統一されるなど、学習上の規律を非常に重視する考え方もあるようです。しかし、特定の学習スタイルを子どもたちに強いることになると、そうしたスタイルになじまない子の排除にもつながってしまいます。インクルーシブ教育では、多様な学習スタイルを承認することが、一つの重要な観点となるはずなのです。
    P26~27

    欧米では協同学習が早くから注目され、有名なデューイも理論的な源流とされています。さまざまな理論・潮流があり、日本の習熟度別少人数学習とは違い、学力、性、人種などが混成したグループが構成され、メンバー同士の相互作用(互恵的相互依存関係)による学び合いを通してメンバー全員の成長・発達がめざされるというのが、基盤にある考え方のようです。
    P27~28

    協同学習に共通する理念を、杉江氏の言うように「学び合い・高め合い・認め合い・励まし合う」学習活動ととらえるなら(20頁)、インクルーシブ教育、あるいは「共同学習」(特別支援学校・特別支援学級の子どもと通常学級の子どもの「交流及び共同学習」にとどまらず、通常学級の中での障害あるいは特別なニーズをもつ子どもを包摂した学習も含めて)と共有できる原理が少なくないと思います。
    P30

    提唱者のアマルティア・センによれば、「潜在能力」は、快楽や財に代わる「善い生活・人生」や平等の指標となるものです。
    P44

    一方、潜在能力とは、「その人にとって達成可能な諸機能の代替的組み合わせ」、「いままでのもに替わる機能の組み合わせ(もっとくだいた言い方をすれば、さまざまなライフスタイルを生み出すこと)」を達成する真の自由」を表します。
    P44

    さらに、潜在能力アプローチの観点からは、とくに価値選択の自由に関わる主観・主体的側面が考慮されていないという不十分さが指摘されています。障害に関わる研究や実践が、インペアメント(impairment)や障害特性、あるいは日常生活上の(生活)機能に焦点をあて、個別の能力・機能の向上をめざす傾向がますます強まってきているだけに、全人格的発達の保障という教育本来の目的や、本人のねがい・あこがれなど内面にていねいに寄り添う実践の大切さを、潜在能力アプローチを踏まえながら、あらためて確かめ合い深め合うことが、今求められています。
    P49

    全人格的発達を追求する中で価値ある生を選択し、社会の発展に完全かつ効果的に参加し享受する、それは潜在能力の発達保障と言い換えることもできます。こうしてインクルージョンと発達保障は、その目的や理念を共鳴させていくことができるようになるのではないでしょうか。
    P49

    こうした「障害・発達・生活の視点」を、潜在能力アプローチの視点から再構築していくとすれば、価値ある生き方としての生活=ライフ、(生活)機能だけでなく潜在能力の制限としての障害=ディスアビリティ、そして機能と潜在能力の発達による自由の拡大=ディベロップメントという視点を、教育や福祉のインクルーシブな実践と理論に再定位するということになるのではないでしょうか。それは、二一世紀における権利としてのインクルーシブ教育と発達保障が追究していくべきことだと、私は考えます。
    P50

    まず、第一に特別支援教育制度は、通常学級における特別な支援を安定的に実施するための制度的基盤を欠いているということです。たしかに、改正学校教育法は、通常の学級も含んで、障害のある場合に特別な支援を行うべきことを規定しましたが、これはいわば理念法にとどまっており、それを裏づける条件整備規定は皆無です。
    P57

    第二に、特別支援教育制度は、通常学級での教育以外に、三種類の特別な教育形態(特別支援学校、特別支援学級、通級による指導)をもちますが、その対象規定はいずれも特殊教育時代そのままの制限列挙規定(列挙することで対象を限定し、それ以外の者を排除する規定)であり、そうした場での教育を必要とするすべての子どもたちに開かれたものになっていないということです。
    P58

    第三に、特別支援教育は、右に述べた三種の特別な教育形態を位置づけた制度構想でありながら、それらの特別な教育の場を、通常の教育の場に近接させていく構想を一切もたないということです。
    P58

    わが国の子どもたちの抱える困難と、それを生み出している社会的・制度的背景をしっかりと踏まえて、差異と多様性への対応、排除の根絶、参加の促進を具体的に切り拓いていく制度構想こそが切実に求められているのです。
    P60

    インクルーシブ教育の実現にむけた改革は、特別支援教育(=障害のある子どものための教育)の枠内にとどまるものではなく、通常学級を含めた教育全体の刷新を求めるものです。
    P84

    ある課題を「目標」として記述してしまうと、必ずその達成を求められることになるため、子どもの人間的な成長・発達にかかわる大切な「ねがい」は、「目標」として明示せずに「ねがい」にとどめたい、とまで考える先生もあるようです。これはたいへん転倒した状況だと言わざるを得ませんが、そうした傾向は、残念ながら、一部の例外ではなく、複数の地域から共通に報告される状況にあります。
    P93

    「自立と社会参加」の名の下に、一八歳時点での「一〇〇%就労」をめざすといった、一面的な「キャリア教育」についても同様です。障害のある人々が、社会を構成する一人の主体として、社会の中に位置を得ることはもちろん大切なことですが、そのありようが「一般就労」のみに限定され、しかも特定の時期までに達成が求められるというならば、それは権利保障の名に値しません。
    P94

    権利条約第二四条は、その第一項冒頭のパラグラフにおいて、教育は、生涯をもちながら生きる一人ひとりの子どもにとって、固有の「権利」であることを示しています。この点を深く自覚し、「権利としての教育」を、権利条約の水準ですべての子どもに届けていくこと、そのために必要な、具体的な学校のあり方、教育内容と教育方法のあり方を探究していくことが求められているのだと思います。
    P94

    インクルーシブ教育の考え方は大切ですが、それは、今まで行っていなかったことを新たに付け加えるイメージではなく、今まで行ってきたことの文脈に位置づけてとらえるべきなのだと思います。
    P102

    また、障害の軽減克服だけに特化して、文化との出会いによる学びを組織しないとか、職業自立を一面的に強要するなど、教育内容が差別的・権利侵害的である場合にも、インクルーシブ教育とは言えません。
    P103

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