- Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
- / ISBN・EAN: 9784881354643
感想・レビュー・書評
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吉本ばななと河合隼雄の対談『なるほどの対話』で、吉本ばななが紹介していて気になった本。
使われている表現に、胡散臭さがないでもないけど、一貫して語られる「人間には科学では説明できない側面がある」という説明にはとても共感できたし、「5章 自己管理の秘訣」も、そうだよねと頷けることも多かった。「7章 霊性を高める」は、題名の付け方にちょっとびっくりしたけど、自己啓発本を読む感覚で読み進めると、題名の表現の割にそんなに抵抗のあることは書いてないと思う。むしろ生きていく上で大切なことが書いてあるんじゃないかな。
繰り返し出てくる、医師としての患者さんへの姿勢についての記述は、普段医療現場で働いている身として、何度も自分に言い聞かせたいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
吉本ばななさんの言う通り、何回も読み直す本となりそう。なんとなく自分の身体で感じてたことをとても的確に言語化されていて、自分の中にたくさんストンと落ちた。忘れそうになったら、また読み返そうと思う。
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吉本ばななさんの愛読書ということで手にとった一冊。
知らないことがいっぱい書かれている。
でも、納得。
こんなときだから?、いろんなことを見つめ直す本を手にとりがち。
無意識だけど、きっと求めているものに出会えてるのかな… -
大変興味深い内容だった。地元のオステオパシー医院にかかってみようと思う。
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所謂西洋医学とは別のアプローチについて知りたく購入した本。2年ほど放置して、やっと読んだ。人体の捉え方について、漠然と疑問に感じていた部分への言及が多々あり、「やっぱりか〜」という感じ。病気に関して、患者は受け身ではなく当事者、というのは改めてその通りだと(そのように対応する医師が少ない、という意味でも)。批判につけ霊的な内容につけ、ストレートな言葉で語られ、どこか安心感を覚えた。
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オステオパシーとは何かがわかる本。日本的に言えば、東洋医学と言ってもそれほど外れていないと思う。アメリカでこういう治療があることに驚くとともに、日本と同様少数派であることに、残念な気持ちとともに、ある種の納得も感じた。商業主義への対抗はなかなか難しいと。最期のほうでは、アメリカでの教育にも触れており、日本と同様詰め込み教育だというのには驚いた。アメリカは、個性を重視する国と思っていたのに、日本と同様の教育というよりは、訓練を施していたとは驚いた。本書でも心と体の深い関係を考えさせられる。昔、受けたトラウマは、体の不調となって、蓄積されており、根本解決できないと、再発するものなのだと。
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ボディワークに携わる人間は必ず読んでおくべき良書。
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〈本から〉
生命場
その生命場は全身にくまなく浸透し、さらに皮膚を大きくこえて、全身を包んでいる。それがどんなものかを知りたい人は、からだをとりまく色のついたオーラを想像すればいい。色はその人の状態によって、緑、赤、黄色など、さまざまである。(中略)
からだの半分は、われわれがふだん人間として認識している肉体であり、あとの半分は目に見えない「場」なのだ。
直感力にすぐれた人の体は周波数が高い。周波数が高くなればなるほど、霊的な境地が高くなる。
摂氏三十九・五度までの熱なら心配する必要はない。からだはたえず、役割を終えたある種の細胞を焼却しつづけている。それは死滅のプロセスにある細胞で、いずれからだから排出される。そこで母なる自然がふだんより高い熱を発して死んだ細胞を焼却し、排出作用を回復させる。発熱はからだが必要としている正常なはたらきなのだ。
個人の特殊性を無視した、万人に通用するたべかたや完全な食事などというものはありえない。自分の特殊性が判明するまでは、感覚をみがき、からだの反応に注意を払いながら、おいしいと感じるものをたべていればそれでいい。
腹いっぱいたべてもさほど心配しなくていい食品群がある。それは野菜と果物だ。野菜と果物は自然が人間にあたえてくれた最高の贈り物だ。たべておいしく、われわれを元気に、健康にしてくれる栄養素がいっぱいふくまれているだけはなく、生命力おまけもついているのだ。ひと株の植物のなかでは幹や根よりも花は実のほうが周波数が高く、生命力に富んでいる。花や実はその植物の精なのだ。
(中略)
生命力の摂取方法の一つが呼吸だとしたら、もうひとつの方法が野菜や果物の摂取である。 -
『なるほどの対話』で吉本ばななさんが挙げていた。
「健康というものデリケートさと大ざっぱさの微妙なバランスを、読むだけでとり戻せる気がします」