インナー・ジャーニー―内なる旅

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著者 : OSHO
  • 市民出版社 (2005年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784881781845

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インナー・ジャーニー―内なる旅の感想・レビュー・書評

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  • OSHOの著作。
    彼の死後知った著書ですけど、
    読後、ストンと腑に落ちる。
    シリーズでいろいろと著書があるので、
    これから片っ端から読んでしまいそうな予感。
    しかし、ユーモアもあっていいね。

  • 怒鳴ることが悪いのではなく、怒鳴ったら、反対の「愛」や「慈悲」で
    バランスを取らないことが良くないのです。

    最初に、私は「怒鳴っても良いですよ」と言いました。

    ただし、怒鳴っても良いのは、慈悲でバランスを取っている人だけです。

    怒鳴るのなら、それと同じエネルギー量で相手を愛する必要があるのです。
    普段から相手を愛している人だけが怒鳴っても良いのです。

    普段、愛してもいないのに、怒鳴るだけではアンバランスです。

    ブッダが言うように、バランスが崩れた時、苦しむのです。

    あなたがすることは怒鳴ることを止めようとすることではなく、バランスをとることです。

    OSHO曰く、

    「慈悲は怒りのエネルギーが変容された形であることを理解せずに、あなたは
    慈悲を賞賛し、怒りを非難してきた。それらは、同じエネルギーのふたつの側面だ。」

    もし、あなたが相手を愛することが出来るのなら、あなたの怒りは純粋な愛の変形です。
    だから、怒鳴ることは気にしなくもいいでしょう!

    愛することでバランスをとればいいだけですから!

    OSHO曰く、

    「怒鳴ることは、心配しなくていい。全然、心配いらない。
    それは自然だ。

    ただ、ひとつだけ、心にとめておかなければならないことがある。
    愛することで、そのバランスを取ることだ。

    彼らを怒鳴るのだったら、彼らを愛することも必要だ。
    問題は、怒鳴ることからやって来るのではない。

    それは、あなたが愛することで、そのバランスを取らない場合に生じるのだ。」


    溜まった感情は、遅かれ早かれ、必ず、爆発します。

    自分の怒りが愛の変形なのか、それとも単なる攻撃なのか、よ~く、自問自答してください。

    もし、自分の怒りが単なる抑圧の解放だったと感じたら、要注意です。

    そうだとしたら、私の道場に来てください。

    スマートに抑圧を解放できますから!

    抑圧を解放したら、全ては解決します。


    それは内側に強い劣等感があるからです。

    自分では、「私は大した人間ではない」と自覚しているのです。

    だから、それを周囲に感づかれないようにするために、常に、相手に勝って
    「自分は凄い人間なんだぞ」とアピールする必要性が出てくるのです。


    つまり、相手からナメられることに対する「恐れ」が強いのです。

    周囲から、「あなたって強い人ね」と言われるまで、あなたは落ち着かないのです。

    だから、自分の優越性を証明し続けなければならないわけです。

    しかし、自分より凄い人なんてたくさんいます。


    自分より凄い人が現れるたびに、自分の優越性を証明しようとしていたら、切りがありません。

    それに疲れます。

    しかも、自分が凄い人であることを証明しようとすると、周囲は
    「あなたなんか大したことがない」と証明しようとしてきます。

    そうやって、人間関係がギクシャクし、最後は疲れ果ててしまうのです。

    OSHO曰く、

    「嘘つきにならないのがいちばんいい。その時は、どんな釈明も必要ない。
    真実で、そのものズバリに真正であるのが最も簡単だ。」


    つまり、自分よりも凄いと感じる人が現れたら、相手と闘って、自分の凄さを証明しよう
    とするのではなく、「あなたって本当に凄いね」と真実を認めることです。

    それが一番、楽な生き方であり、簡単な解決方法です。

    そして、相手の凄さを素直に認めたからと言って、あなたが劣等感を感じることは
    絶対にありません。

    むしろ、事実を認めることで、「周囲から軽く見られたらどうしよう」という恐れも
    消えて楽になります。


    なぜなら、恐れを克服する最善の方法は、恐れていることを実際に行うことだからです。

    また、相手を素直に誉めると、誉められた相手はあなたの味方になります。

    闘って敵をつくるのではなく、味方をつくった方が楽に生きて行けますよ!


    でも、あなたが、どうしても優越性を感じたいのなら、こうしてください。

    それは「相手に劣ってあげる」のです。


    OSHO曰く、

    「優越性の憧れは、劣等な人間のものだ。優越した人間は、人に劣るだけの
    ゆとりがあるのだ。」


    人に劣ってあげられるということは、優越しているから出来ることなのです。
    また、他人を誉めることが出来る人というのは、心にゆとりがあるから出来るのです。

    威張ったり、偉ぶる人というのは、内側では強い劣等感を持っているのです。

    だからこそ、威張るのです。


    もし、内側に強い劣等感がなかったら、どうしてわざわざ偉く見せる必要があるのでしょう?

    人に頭を下げたり、人を誉めたりする人こそ、凄い人なのです。

    つまり、「優越した人間になりたかったら、相手に劣ること」なのです。

    だから、イエス・キリストはこう言っているのです。

    「自分を低くする者は高い者であり、自分を高くする者は低い者である」

    なぜ、貴女がそういう質問をするのかというと、貴女は「生まれ変わり」が事実で
    あって欲しいと思っているからです。

    貴女は「生まれ変わり」を信じているのです。

    だから、「生まれ変わり」を私に証明して欲しくて、そういうセリフが出たのです。

    「生まれ変わり」が存在して欲しいと願う人というのは、「死にたくない」という
    思いが強いんです。


    というのも、もし、生まれ変わりが存在するなら、死なないということになります。

    すると、安心するわけです。


    「私は死なないのだ!」


    しかし、生まれ変わりの存在を信じたいのですが、生まれ変わりが存在する
    という絶対的な証拠がありません。

    そこで、貴女は、誰かに「生まれ変わりは存在する」と証明して欲しくなるのです。

    だから、今までに「生まれ変わりは事実である」と書いてある本をたくさん読んで
    きたはずです。


    反対に、生まれ変わりを信じない人は、よくこういう質問をしま


    生まれ変わりを信じない人というのは、生きることに疲れている人です。

    それは、今回の人生でかなり苦しみを体験したからです。

    だから、二度と生まれたくないという願望が強いのです。


    しかし、もし、生まれ変わりが事実なら、また再び、生まれ来なくては
    ならなくなります。

    そこで、生まれ変わりを説く人と議論するわけです。

    議論で打ち勝って、相手に「生まれ変わりはない」と認めさせることによって、
    生まれ変わりがないことを証明しようとしているわけです。


    しかし、「生まれ変わり」を証明できないと同時に、「生まれ変わりはない」と
    いうことも証明できないのです。

    なぜなら、目に見えないことだからです。


    生まれ変わりを信じる人も信じない人も、共に、意識が未来に行っています。

    意識を未来に向けると「不安」がやって来ます。

    だから、意識を「今」に向けてください。

    すなわち、今出来ることを精一杯やればいいのです。

    実際、我々の出来ることというのは、今出来ることを誠意一杯やることだけです。


    OSHOは言っています。

    「エゴは、大きな恐れのために何でも説明してほしがる。

    説明されないうちは、どこへも行けない。

    生は計り知れない神秘だ。

    説明を求めてはいけない。

    生を理解しようとせず、生を生きること!

    そうすれば知るだろう!その智は、あなたの体験から生まれる。」

    自分の生を生きる。

    これしか出来ることはないのです。

    生は神秘です。

    神秘なゆえに、頭では絶対に理解できないのです。

    生を理解しようとするのではなく、生を生きるのです。

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