愛語(あいご) (山田無文老師説話集)

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著者 : 山田無文
  • 禅文化研究所 (2005年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784881822074

愛語(あいご) (山田無文老師説話集)の感想・レビュー・書評

  • 禅界における昭和の名僧といわれた山田無文老師の説話集。
    仏教(禅)の教えを現在の生活に置き換えて分かり易く書かれている。
    それ故に説得力もあり、心にスッと入ってくる。
    約80話から構成されているので、毎日少しずつ、且つ繰り返して読んでいくと更に良いかもしれない。
    『無』になることの意味、大切さ、それが日本的、東洋的な生き方の礎になっていることに気づかされる。
    日頃の生活における問題意識の解決のヒントを見出すこともでき嬉しい驚きもあり。

    以下引用~
    ・悪いやつを処罰せよというのは法律であり、悪いやつをよくしていくのが宗教です。その、悪いやつを善人に立ち返らせるのは、こちらの心に差別がないからです。

    ・眼の見えることが、耳に聞こえることが、ものを食べておいしいとわかることが、今日生きておることが、立って歩けることが、喜びでなければならん。何か将来に夢を描いてそれが欲しいなぞという、そういうあてのないことはやめねばならん。

    ・運転手がハンドルを握ることがそのまま坐禅であり、利休が茶せんを持ったら何も思わん、柳生但馬守が剣を手にしたら何も思わん、そのままが坐禅です。能を舞う人は能を舞っているそのままが坐禅であり、ピアニストはピアノを弾くそのままが坐禅です。皆自分を忘れて何も思わない。

    ・明日死ねば、今日の句がそのまま辞世の句であり、今日死ねば、昨日の発句がそのまま辞世の句であります。毎日毎日、詠む発句の一つ一つに全精神を打ち込んでおるのだから、「わしの発句で辞世でないものは一つもない、今更辞世の句なんぞは必要ない」と芭蕉は言われたのです。

    ・日本の神さまには、神学がありません。哲学がありません。神道は「言挙げせざるの道」と申しまして、神学や哲理などはいらないほど純一無雑であり、その純粋な神さまをあがめまつるのが、われわれ日本民族の人間性であります。

    ・相手の言葉を素直に受け入れる余裕を持てる心が、東洋的な心だと思います。いつでも、他を受け入れる余白を。心に残しておくことが、宗教的な心だと思います。

    ・三味線を弾くというその動きで弾くのではない。三味線を弾くその動きの中に、絶対動かん心がある。その心のままに弾いていくのでなければならんということです。
    それが三味線の極意であり、そこに禅があると思うのであります。
    無念無想ーこれがお能であり、文楽であれ、日本の文化、日本の芸道すべての極意であり、それを教えるのが禅でなければならんのであります。

  • 國友和尚から紹介された。

  • 背筋が伸びます。

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