真説「陽明学」入門―黄金の国の人間学

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著者 : 林田明大
  • 三五館 (2003年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883202775

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真説「陽明学」入門―黄金の国の人間学の感想・レビュー・書評

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  • ・知行合一
     - 行いは知の完であり、知は行の始めなり。
     - 実践できて初めて意味を成す

    ・事情練磨
     - 日々心を鍛えることがポイント
     
    ・致良知
     - 心を磨き、良心に基づいて行動すること
     - 良心には、一般的に言う良心と個人に基づく良心がある
      絶対あきらめないこと、物事の優先順位等


    ・自分と他人を分けない。
     →自尊心を捨てる。チームの一員という意識。
      わがままがなくなる
    ・欲を捨てる


    ・経営者が陽明学を好む背景には、経営者が都度求められる意思決定の拠り所となると推察される。自己内基準を明確化する

    心を鍛えることが、ぶれない意思決定となる。


    →esで積み上げる

  • ・陽明学とは、他人との関わり合いである社会生活の中に身を置き、仕事上や家庭上でのさまざまな苦難困難を克服するという工夫や努力の中でのみ、心が鍛え上げられるのだ、という現実生活に密着した現世重視の実際的な教えなのである。

    ・山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。まずは背伸びをしないで、無理なく自分にできるところから実践を心がけること。と同時に、心の日々の陶冶を怠らないことが我々の当面の課題である。私一人ぐらい、という消極的で、投げやりな生き方は、自分の人生の充実感を高めてくれるはずもない。そして私一人ぐらい、という考え方や、私の心の問題と自然環境や社会問題とは関係ないとみなす考え方の根底には、世界を「私」と「私でないもの」という対立する二つのものに分ける考え方が潜んでいるのである。

    ・私とあなた、人間と自然、心の内側と外側、という区別を当然のこととして生きている。しかし陽明学は心の内と外、自分と他人との間に区別を設けることをかたく戒めている。ものごとを分けて考えないことが、利己主義を克服することにつながり、博愛の精神や「万物一体の仁」につながると主張している。

    ・知行合一…知と行は別々のものではない。だから少しでも思念が生じれば、それがすなわち行ないである。世の中やそれぞれの人生を混乱に陥れているのは、ものごとを二つに分けて考えるところに原因している。

    ・陽明学とは、相対立する二つのものによってできているように見えるこの世界が、実はひとつのものである、という世界観なのである。見るものと見られるもの、人間と自然などのように、二つのものを対立し競合させていく考え方の克服であった。ということは、心と身体の統一と人間性の回復を目指したのである。

    ・いまの人の学問では、知と行を分けて二つのものとするから一念が動いた場合、たとえそれが不善であっても、実際の行動の上に現わさなければ罪悪でないとして、あえてこれを禁止しようとしないことがある。このような考えを否定して、人に一念が動いたとき、それはすなわち行なったことであることを、よく知ってほしいから。念慮が動いたときに不善があれば、この不善の念を克服させて、必ず徹底的にその一念の不善が胸中に潜伏して、残ることのないようにさせること。「行」という場合、情が動くのも「行」に含まれる、とするのが陽明学である。

    ・何事につけ、ものごとを分けて考える、そのことに問題がある。知と行を分けて考えることが、心に邪悪な考えがあっても行わなければ良いとする考えにつながり、心の内を改めようとはしなくなるのだ。『大学』では、「君子は必ずその一人を慎む」という。誰にも見られていない一人でいるときこそ、修行に勤めなければならないという。言い換えれば人から見られているからきちんとする、見られていないからだらける、という区別を設けるのは、ものごとを分ける考え方の弊害に陥ってしまっているのである。

  •  何を隠そう、本書は、私のデビュー作の増補改訂版である。1994年の秋に刊行されて以来、他社から文庫化の話もあったが、三五館では単行本のままで売り続けて、未だに売れ続けているロングセラーである。
     グロービス経営大学院の堀義人学長の愛読書だったことも手伝い、グロービス経営大学院では必読書となり、かつ教科書として採用されて久しい。今では、本書の英語版(ただし、第3部はカット)も、グロービスから刊行されている。
     第3部第5章の「西郷隆盛と陽明学」は自信作だ。本稿を超えるものは、未だ目にしたことがない。
     要望があれば、本書では書けなかった、陽明学の実践体得の方法論について、書いてみようかとも思っている。とはいえ、今では持病がいくつかあり、 体力が無いのが嘆かわしい。

  • 「経営道場」の課題図書。絶対に自身では手に取らない東洋思想から、心のあり方を学ぶことができた。

    【佐久間象山】
    読書講学、徒に空言をなして当世の務に及ばざれば、清談事を廃すると一間のみ。
    →読書し、あれそれと論じるのは良いが、ただただ言葉遊びに終わり実務につながらないのであれば、高尚な哲学談義が何らの仕事をなさないのと同じである。

    【知行合一(陽)⇔先知後行(朱)】
    先知後行は簡単に言えば、大学に合格することが目的な受験勉強。学びは出世の手段じゃないよ。ちゃんとアウトプットして、世のため・人のためになることにこそ価値があるのだ、というのが、知行合一。

    【アウトプット症候群】
    インプットだけは本当に悪い?
    冨山和彦氏は、日本の大学で教えているものは、大多数の平均的な人にとって、「何の役にも立たない」と言い切っている。(HBR別冊、2015年5月号にもG型、L型教育について論じています)
    以前、内田樹氏の「邪悪なものの鎮め方」という本に、「なぜ学ぶのか?」という記事がありましたが、それが私の信じるところに近いので引用します。
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    「これはそのうち何かの役に立つかもしれない」というのは、「これ」の側の問題ではなく、実は「私」の側の問題だったのである。「これ」の潜在可能性が発見されたのは、「私」の世界の見方が変わったからである。
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    全てが実益につながらないものはムダ、というのはちょっと違う、という谷さんの話は、あらためて上記を考える上で参考になりました。

    【絶対的なものはあるのか?】
    ・育った環境が出会った人で<絶対>は異なる。
    ・更には、育った環境と出会った人が一緒でも、自分で立志しなければ、<絶対>はゆらぐ。
    ・立志=自分の軸をもつ、と同意と捉える。個人、家族、会社(組織)、関西、日本、アジア、世界、地球…の中で優先順位をつけられているか?
    →「私は●●に殉じることができる」と言えるものをもちたい。

    【それでも絶対的なものはある】
    ・絶対善があるという決まりの中で生きるのであれば、外からだが<絶対>はある(不本意な絶対善ともいえようか)。その点で、陽明学は危険思想(独裁差の思想)である部分もある。。。

    ※性善説とは…
    絶対善がある前提で、性善説とは人は善をもって生まれてくるという考え。ただし、生きていると汚れてくるので、その汚れを落とすことで善を保ち続けようという発想。
    一方で、性悪説は最初は悪だが、結局は絶対善があるからそこに向かっていきましょうという教え。
    →どちらも例外は生じるのは、誰もが感ずるところ。結局は相対善の中で生きている。

    【あなたはどのタイプ?】
    孔子、孟子、荀子、韓非子、墨子、孫子
    「如し我を用ゐる者有らば、吾は其れ東周を為さんか」

    【成功・失敗よりも立志】
    ・最終的には他人から学ぶという態度を克服しなければならない。道理を書物・講師に求めるばかりでは、真の<自由>とは言えない。
    ・人は志がないことを心配するだけで、実績のないことを心配しなくていい。
    ・道理を外側に求めるのは誤りで、聖人の道は自分の中にある。
    →自分の内なる<感性>を引き出すべき。自分と向かい合うことで、自分の中に絶対的な何か、自信、自分を受け入れる寛容さ、自己効力感からの人生の充実、を得られるのではないか?

    【心が全て】
    ・プラセボ効果、あの人が好き、この仕事は嫌い、というのは心が決めている。
    →人は見たいものを見て、聞きたいものを聞く。全て、心持1つ、なのだ。心のCtrlは事前に察知できるものに関しては、鍛錬していきたい。

    【邪な考えは罪か?】
    頭の中で考えるあんなこと、こんなこと、考える=行動している、という陽明学の考えではいくら犯罪を犯しても犯しきれないのではないか…笑。
    →ただ、理解できるのは、あまり思考≠行動にすると、何が自分なのかが分からなくなったり、自分らしさを出せずにストレスを感じることはあるだろう。そんなに難しく考えずに、<良心に従う>。これが出来たらそれだけで、自分を好きになれるだろうなぁと思う。だから、挨拶は笑顔でするし、困った人がいれば声をかけてあげられる人になりたい。

  • 陽明学の思想の根本である、「心即理」「知行合一」「到良知」について、陽明の出生から死までの歴史を振り返りながら、書かれた本。この本から、自分の中の心の「軸」があるかないか、が非常に重要である事が分かり、志に裏打ちされた「軸」がある事で、「知行合一」がより促進されると理解できる。

  • 1. 本を読んでの感想

    色々な考え方・言葉が出てくるが、第一章の冒頭にある通り、陽明学とは要は、「万物一体の考え方を理解し、心の中の葛藤をなくし、不動心を確立する教え」ということに集約するというように思う。
    「心はすなわち万事万物の理」という「心即理」は、人間は本来正しい心を持っており、心と理は一体であるということを示す。人欲がなく、本来の正しい心を持てている状態が「良知」であり、それを発現することが「致良知」である。また、心と行動を合わせることが「知行合一」であり、つまりは「致良知」と同じことであると理解した。逆に、私欲が出てしまったり、本心が納得した規範でない外的な「理」に寄りかかったりしてしまうと、心と理が離れ、無理・苦痛が生じる。だからこそ、心の修養に努め、煩悩を取り除く努力が必要と説いている。
    そのように理解して思い出したのが、松下幸之助の言った「素直」という言葉である。ここで言う「素直」とは、「性格や態度にひねくれた様がない」ということではなく、「自分の利害とか感情、知識や先入観などにとらわれずに、物事をありのままに見ようとする心」であり、「心即理」や「良知」の考え方そのものであるように思う。松下幸之助は別の言い方で「雨が降ったら傘を差す」とも言っている。これは、私の理解では、「雨が降れば当然傘を差すように、物事を私心なく見れば当然やるべきことは見えてくる」ということである。
    本書でもキリスト教や仏教を始め、陽明学に限らない色々な思想が紹介されているが、偉人の言うことは皆似通ってくるし、それだけに真理なのだと思うが、その実行は本当に難しく、「雨が降ってもずぶ濡れ」状態が続くのが多くの場合の現実とも思う。

    2. 自らができていなくて、改善すべきと思う点

    自らができていない点、つまりここでは、「雨が降ってもずぶ濡れ」状態の点であるが、本書では胸の痛い話が多かった。
    まず、特に会社では本音と建前を分けていることである。本書では「嘘をついている」「権威に媚びている」とまで書かれていたが、まさしくその通りで、上位者に対して言い返せない自分がいる。一方で、上司には「上ばかり見て…」と不満を感じることは多々あるが、実は自分も一緒なのかもと時々思う。結果、本書で指摘されている通り、非常に無力感を感じている。
    もう一つは、「自分に自信が持てず、情報ばかりを追い求めている」ということである。グロービスに通い始めたのも、会社でどうしたらいいか分からず、何か答えが見つかるのではないかと思っていた節があるのが正直なところである。ただ、最近思うのは「答え」などというものはやはり存在せず、グロービスでの「学び」とは本質的には知識ではなく、思考の鍛錬ということだ。そろそろインプットのモードから、アウトプットにフェーズチェンジが必要だと感じている。

    3. 本に書いてあるが納得できない点

    書かれていることに異論はないのだが、「では、どうすればよいのか」ということについてあまり論じられていないように思う。王陽明が「百死千難の中から」、釈迦が魔王マーラ、キリストはサタンからの誘惑を退けて獲得した思想をどうやって身に付ければいいのか。この点に関して、最後に松下幸之助の言葉を引用すると、「素直な心になりたいということを強く心に願って、毎日をそういう気持ちで過ごせば、一万日すなわち約三十年で素直な心の初段にはなれるのではないか」ということである。先は長い。

  • 陽明学の基本が学べる、第二部を中心に読めばいい。
    心即理
    知行合一
    致良知 
    の三つの基本思想を伝えている。
    自分には、「心を陶冶する」=心を鍛える、というコンセプトがささった。

  • 一言で言えば、陽明学の魅力に取り付かれてしまった。
    幕末の志士については、ドラマや小説など各方面で取り上げられはするのだが、彼らを支えた精神的支柱である陽明学は、不思議なほど取り沙汰されることはない。なぜか。
    様々なストレスに取り囲まれ生きる活力を失っている我々現代人こそ、実践哲学としての陽明学を必要とするはずだ。
    まだ若いこの歳で出会えて良かったと、既に思っている。

    【2周目】
    安岡正篤とは何者か。噂ではブッダ、キリストに肩を並べるレベルの存在かつ、終戦後は戦犯の指定を取り消させ、昭和政治の黒幕とまで称された。
    始まりは中江藤樹から、佐藤一斎に吉田松陰に西郷隆盛に東郷平八郎、最近では安岡正篤。陽明学を取り戻すことは日本復興に欠かせないことだと思うのは、私だけだろうか。

  • 「真説「陽明学」入門」 私は、一応、なんちゃって法学部
    出身。ですが、六法全書が苦手でした。
    大学三年生のときに選んだゼミも、「法社会学」という
    傍流(?)の学問。日本人の法意識だとか、社会と規律
    みたいなテーマを議論するゼミでした。日本人の組織文化
    や思想に関しても触れる機会もありましたが、仏教や儒学
    が日本人のメンタリティに与える影響など、今でも時々
    面白く感じたりします。

    そんな日本人に大きく影響を与えた学問的思考の一つに
    「陽明学」というものがあります。この本は、そんな
    「陽明学」の解説書。

    正直、この本を読むまで、私は「陽明学」をまったく
    知りませんでした。。。
    学生時代に日本史を学んだヒトには常識なのでしょうか?
    この本を読んで、新しい世界感を知る事が出来きました。
    「平成」という元号も、昭和の政財界に大きな営業を与えて
    きた陽明学者である安岡正篤氏が名付けたそうですね。

    中国の明朝時代、王陽明が、様々な挫折や苦難を乗り越え、
    悟り、体現してきた学問が陽明学です。著者によれば、
    陽明学を一言で表現するならば、

    「万物一体の考え方を理解し、心の中の葛藤をなくし、
    不動心を確立する教え」

    ということになります。

    「理」は自分の心の中にある。知識を学ぶだけでなく実践
    しながら、ヒトが生まれながらにして持っている神的な
    道徳的な知能を磨き、良知に至るべし。
    こうした、「心即理」「知行合一」「事上磨錬」「至良知」
    などの考え方が陽明学の中核です。

    「万物一体」とは、二元論で考えないこと。
    主体と客体、理性と感情、知識と行動、理想と現実、、、
    誠に、万物一体でモノゴトを捉えるということの難しさを
    痛感しますね。心の中は、葛藤と煩悩だらけです、私!
    (モノゴト、という表現自体が、すでに万物一体思考に
    反するとも言えるかも!?)。

    以前、この日記でも紹介したユングの「個性化」「自己実現」
    という考え方とも相通ずるものがありますね。

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