アウシュヴィッツのコーヒー: コーヒーが映す総力戦の世界

著者 :
  • 石風社
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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883442690

作品紹介・あらすじ

ドイツという怪物をコーヒーで読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • ユダヤ人はカフェへの立ち入りを禁じられたが、ドイツ人はカフェへの出入りも家でコーヒーを飲むのも自由だった。土井逸の郡たいは食糧不足とコーヒー不足を第一次大戦で経験して痛い目にあっていた。ナチスはその轍を踏まないように占領した地区で必ず食糧を押収した。コーヒーも配給制度が敷かれた。しかし1940年、ベルリン市当局が押収したコーヒー豆を市民に売り出した。販売は予約登録制だった。ここにおよそ500人のユダヤ人が登録していた。ダビデの星をつけて公道を歩くユダヤ人だからといって、ユダヤ人にコーヒーをホむことを禁じた法律はない。あとになって事が判明し、ベルリン市はユダヤ人へのコーヒー配給を拒否し、逆に公共秩序を乱したかどで罰金を払わせようとした。あるユダヤ人がこれを不服として法廷に持ち込むが、ベルリン市はユダヤ人にはコーヒーを要求する権利がないと主張する。法廷はこれを否定し、誤った法の解釈に基づくん罰金は違法であるとの判決を出した。

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    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00249769

  • 著者の世界史観が綴られた労作。コーヒーは常に前面に出てくるわけではなく、欧州と中東地域の関係、欧州諸国、特に英独の対外拡張行動ー奴隷制とプランテーション、南米への入植に注目が注がれているー、交易、対立、その所々にコーヒーがアクセントとして上手く絡められている。書籍名からいきなり第二次大戦とナチスが書かれているかと思いきや、古のアラブの話や旧約聖書やヘブライ語などが言及され、そうした事柄や地域が攻勢に出てくる、上手く構成がなされているうまく攻勢がされている。少し違う角度から世界史を眺めた労作と言える。最初は一般読者向けにはこなれていない文章だと思ったが読み進めるうちに慣れていった。

  •  コーヒーの話でもあり、アウシュヴィッツに代表されるドイツが歩んできた黒い歴史の話でもある。
     コーヒーの由来の話にしてもこれまでの本とは一線を画し、冒頭のイスラム圏の難しい話さえ突破すれば、次から次へとこれまで知らなかったコーヒーの歴史を知ることができる。ただし本書は、コーヒー片手に楽しく読めるような内容ではない。

     植民地競争に出遅れたドイツが北海道を狙っていた話や、アフリカやブラジルで早くも残虐な奴隷政策を行っていたこと、コーヒーに飢えた市民の要請で代用コーヒーを生み出したことなど、著者のコーヒーに対する博識ぶりはドイツの歴史を縦横無尽にかけめぐり、少しずつ最大の汚点となるアウシュヴィッツでのコーヒーの話へ向かっていく。下手な歴史の教科書よりもずっと興味深く、また暗い気持ちになっていく。

     もともとドイツが周辺の移民を受け入れて成立した小国だという歴史を聞くと、いつのまにかヨーロッパの優等生となり、難民を受け入れている同国が不気味に見えてくる。
     エマニュエル・トッド氏は著書『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』で、ドイツ人を「人間の非合理性の集積地」「大きな病人」と痛烈に批判していたが、その表現に行き過ぎた点はあるものの、本書を読んでその表現が常にオーバーラップしていたのは事実だ。

  • 「アウシュヴィッツとは何か」という問題は、「アウシュヴィッツ以後」の現代にとっての難題中の難題で、うかつに近づける問題ではない。ましてや、コーヒーを飲むとか飲まないとかいう気楽な設定の中で触れるべき問題ではないことは重々承知している。わたし自身は、常日頃どちらかと言えば、「コーヒーさえ飲めれば、世界がどうなろうと構わぬ」と思っている人間である。(中略)わたしが本書で見たいのは、個々人が好き勝手にコーヒーを飲むことを許さない総力戦という、極めてドイツ的な、しかしドイツに限定されない社会体制の進捗である。
     戦争が総力戦の段階に入った歴史的時点で、戦時と平時が明快な区別戦をもたなくなった。コーヒーを飲みたいという個人的な欲求が国民的欲求となり、それが国民的欲動となって植民地獲得の動きと化し、ついには世界総力戦に入り込む。そうなれば、一杯のコーヒーでさえ飲めれば世界などどうなっても構わぬと考えていた人間が、どのような世界に入り込んで苦しむことになるのかの典型例をドイツ史が示していると思われるのである。(pp.5-6)

     ドイツのコーヒーは途絶えた。深刻な事態が迫っている筈であった。ドイツは「コーヒー中毒」の国である。しかもカフェに集う人びとも「世界を観ないことを本質とする世界観の持ち主」(アルフレート・ポルガー)たちで、国家が総力戦をやっていても熱のこもった反応を示さないくせに、コーヒーが飲めないとなると不満を漏らす人間の数ばかり多い。この種の人びとからコーヒーを切らすと何をしでかすかわかったものではない。(p.168)

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著者プロフィール

1946年福島県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。新潟大学教養部助教授を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。現在、東京大学名誉教授。専門は、文化学、ドイツ・ヨーロッパ文化論、言語情報文化論。
著書に『コーヒーが廻り 世界史が廻る――近代市民社会の黒い血液』(中公新書、1992)、『パンとワインを巡り神話が巡る――古代地中海文化の血と肉』(中公新書、1995)、『乾いた樹の言の葉――『シュレーバー回想録』の言語態』(鳥影社、1998)、『榎本武揚から世界史が見える』(PHP新書、2005)、『『苦海浄土』論』(藤原書店、2014)、編書に『バッハオーフェン論集成』(世界書院、1992)、翻訳にイバン・イリイチ著/デイヴィッド・ケイリー編『生きる希望――イバン・イリイチの遺言』(藤原書店、2006)等。他にバッハオーフェン及び母権論思想に関するドイツ語論文多数。

「2016年 『アウシュヴィッツのコーヒー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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