歴史の授業で教えない 日本軍激闘の舞台裏

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  • 彩図社 (2012年6月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883928675

歴史の授業で教えない 日本軍激闘の舞台裏の感想・レビュー・書評

  • 毎年終戦の日の近くには太平洋戦争に関連する本を読むようにしています。今年は「歴史の授業で教えない」というタイトルに惹かれてこの本を読んでみました。

    太平洋戦争でも有名な真珠湾攻撃やミッドウェー等以外にも多くの戦いがあったことがこの本で理解できました。

    以下は気になったポイントです。

    ・日本軍は徴兵制度の導入による兵の標準化と、軍制の洋式化によって、欧米列強の軍隊と同じく「国軍」たる日本軍を誕生させた(p15)

    ・国内の内乱鎮圧を目的とした陸軍は、1888年に6個師団を常備する外征軍として変えた、海軍も4巡洋艦を中心とする主戦艦隊を編成した(p18)

    ・日清戦争前、清国の兵力は108万だが、日本は7.8万、海軍は82隻(8.5万トン)に対して、28隻(5.9万トン)であったが、清国には国軍は存在せず、私軍の集団であった(p26)

    ・日清戦争後の下関条約で、日本は2億両(=4億円=国家予算の4倍)の賠償金を手にした(p37)

    ・大正を迎える頃には、主力艦も国産にシフトして外国に軍艦製造を発注することは殆どなくなった(p39)

    ・日露戦争においてイギリスは参戦こそしなかったが、ロシアへの資源輸出停止とロシア艦隊のアジア港使用禁止による日本支援をした(p47)

    ・日本海軍は旅順艦隊とバルチック艦隊の両方を相手に戦えないので、旅順攻略を陸軍に依頼した(p49)

    ・旅順攻囲戦では、日本軍の死傷者は、投入兵力延べ13万人のうち約6万人であった(p51)

    ・奉天会戦は、1905.3.1に開始され3.10に7万人以上の死傷者を出しながらも終了した(p52)

    ・三国干渉において、アメリカは、ドイツとフランスに対して「もしもドイツ、フランスが戦争が介入するならば、アメリカは日本に必要なすべてを支援する」と警告した(p57)

    ・当時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は、弱い日本の肩を持つことで戦争を長引かせ、日ロ両国を疲弊させて満州においけるアメリカ利権を守り、中国の門戸を開放させようと考えた(p66)

    ・第一次世界大戦時のドイツ青島要塞への攻撃は、初めて航空機が実戦に投入された、海軍陸戦隊の活躍により、ドイツ領であった南洋諸島(カロリン、サイパン、トラック、パラオ等)も占領した(p77)

    ・ヨーロッパへの本格参戦をしなかったので、日露戦争を上回る総力戦、排ガスや戦車の脅威、新兵器登場による戦術・戦略の一新を、日本軍は体験しなかった(p79)

    ・シベリア出兵に投入された日本軍の兵力は、延べ7.2万人に上ったが日本が得たものは何もなかった、死者2640,病死者700名(p91)

    ・満州事変を肯定する記事を新聞は書き続けた、軍部の強制ではなく自らの意思であった、新聞の部数を倍増させる絶好のチャンスであった(p108)

    ・1936年に結んだ日独防共協定は、対ソ戦のみに適応されるもので、ドイツがソ連以外の国と戦争状態にあっても日本軍を派遣する義務は無かった(p124)

    ・軍部をコントロールするために結成させたはずの大政翼賛会は、軍部の方針を忠実になぞるだけの組織に成り下がった(p128)

    ・山本五十六が御前会議で言った内容は、「半年や1年は暴れましょう、2,3年後は確信できないので、戦争回避に尽力してください」であるが、前半のみ取り上げられる(p145)

    ・マレー半島のシンガポール要塞は、38インチ砲を備えた「東洋のジブラルタル」と呼ばれたが、そんな難攻不落の要塞を日本軍は落とした、イギリスが数か月は足止めできると考えたが2日で落ちた(p150)

    ・日本海軍の暗号は難しく難行を極めたが、1942.1に撃沈した潜水艦「伊124」からコードブックが回収されて暗号が解読された(p162)

    ・大戦中にアメリカ軍の捕虜になった日本兵は 3.4万程度、ドイツ軍は94万人もいる(p171)

    ・トルーマン大統領は、広島長崎以外にも、9/10/11月に各3発、12月にも7発もの原爆投下を承認していた、1995年にワシントンポストに掲載された(p189)

    ・日本人は軍民あわせて約660万人いたが、終戦当時、日本の艦艇は激減していて一気に全員を復員させることは不可能であった(p210)

    ・小野田少尉は、1974年3月に、かつての上官谷口少佐から任務解除命令が下され、終戦から29年目に投降して、帰国する運びとなった(p215)

    2012年8月13日作成

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