- Amazon.co.jp ・本 (151ページ)
- / ISBN・EAN: 9784884743598
感想・レビュー・書評
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人生は、にこにこ顔の生命がけ
生かされて生きることにひたすら感謝する
人に喜びと希望を与えられることで人は幸せになる
このように、いつまでも成長し続ける人生を生きたい詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
”脳神経解剖学者であり、京大総長もつとめた平澤興さんの語録集。医学を研究しつくして辿りついた「生命の不思議」にまつわる言葉は深くあたたかい。致知出版社 藤尾秀昭社長が講演のなかで「入院した人に贈った」とおっしゃていたが、読後その意味がよくわかった。いま元気をなくしている人に贈りたい一冊。
<読書メモ>
・喜んで暮らす方が自分のためにも、また人のためにも遥かによく、喜びは先ず自分の心にもからだにも温かみを与え、更には人にも喜びを伝えて、世の中を明るくする。(p.9)
★人間の命は、実はただ一つの命ではなく、凡そ世界人口の一万倍の小生命、即ち約五十兆の細胞からなる生命共同体で、僅か約五十億の人口のこの地上に紛争の絶えないことを思うと、数十兆の細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こってもよい筈だが、その割には何と病気が少ないことか。(pp.11-12)
・ほんとうにものを知るということは、普通に考えるように、いわゆる賢くなることではなく、むしろしみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて、心からそれに頭をさげることだと思う。
★とにかく生きるということは、平凡のようで奇跡中の奇跡である。不思議と言えば、これほどの不思議はなく、おそらく広大無辺の全宇宙でも、人間の生命に匹敵するほどの霊妙不可思議の奇跡はなかろう。まず以て今日一日この奇跡を生きる命を与えられたことに感謝しよう。
この感謝が今日一日の生活に融けこんだ時、それは喜びに変わり、やがてそれは自己を拝み、他を拝み、更には全宇宙を拝むことになるのである。(p.16)
・今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそが最高です。(p.19)
・人間として成長するためなら、誰にも遠慮はいらぬ。
生きるかぎり成長することです。それは、あらゆるものに手を合わせて、拝んでゆくことです。(p.22)
★かしこい人は燃えることができない。燃えるためには愚かさがいる。愚かさには力がある。 本当に偉い人は、えらそうには言わぬ。相手を立ててあげて、そして談笑の間にその人を伸ばすようにする。これが出来なければ、ほんものではない。(p.27)
★自ら燃える人は、人を燃やす力がある。思い切って遠慮せずに、人々に情熱を与えなさい。(p.28)
・老練の人の燃え方は、いわば奥殿にともるご燈明の如く静かではあるが、その明るさとねばりにおいては、絶対のものがある。(p.36)
・情熱と独創と実行により人間は成長する。人生に無駄はないのである。(p.44)
・考えて見ればこの複雑極まる人間の体が、多くは一度の病気で駄目にならずに、病むことによって修理ができるということは不思議なことである。(p.51)
・仕事を誰よりも上手にやり、与えられた仕事を充分に楽しむ。
人からほめられなくても、自分が自分に感謝する。
君がおらぬと、周囲が困るような人になりなさい。(p.52)
・不幸というものがあるのかどうか、現象的には不幸はいたるところにあるが、不幸かどうかは見方によるところが多い。(p.56)
★真面目さはよいが、常識的なものでは大物になれぬ。俗にいう真面目さ以上のより高い、愚かさという程の真面目さがなければならぬ。
愚かさとは、深い知性と謙虚さである。
人に窮屈さを与える真面目さでは、ほんものになれない。(pp.60-61)
#こういう「ほんものの真面目さ」を身につけたい!
・有名になることは、それ程むつかしいことではない。しかし、本物になることはむつかしい。(p.69)
・道のない野原を自分が歩く。貴方が歩けば道が出来る。
道は自分で創る。歩くと道が出来る。(p.78)
★鋭い眼を持つものは自己に対しても、とかく初めは悲観的、否定的になりがちであるが、これはたくましく自己に打ちかつことによって、しだいに楽観的、肯定的に変わっていく。それには、なによりもまず自己を欺かず、自己に誠実に生き抜くことである。(p.80)
#あ?、父の教えてくれた「天上天下唯我独尊」もここに通じるのかもなぁ。
★心の中で万人に頭を下げ得る人でなければ、万人の長とはなれぬ。(p.89)
・自ら感動せねば、人を感動させることは出来ない。
話はなるべく説教調ではなく、自らの感動と夢とを話すことから始める。(p.90)
★感謝ということは、よく見てよく考えて、他の人が見落とすようなところでも、見落とさずに見る。そうすると、平凡なことも平凡でないことがわかる。そこでありがたい、ありがたいことだなあと心から思うようになる。(pp.92-93)
・教育することは非常にむつかしいが、教える側から見ると、いかに上手に誉めるかである。
普通の親は子供のかくれたよい点を知らずに、叱りすぎておる。そして子供の心に傷をつける。
自分の小さい時のことは考えずに………。(pp.95-96)
・社会的な仕事から開放されてこそいよいよ絶対二つとない自己保身の探究が思うままにやれるのです。それは全く自由な自己自身との対話です。(p.102)
・ある一事を通して、ものの深さを知ることが出来れば、その目、その頭で万事を考えるようになる。そしてその真実に近づけるのである。(p.111)
・自らを拝むことは感謝報恩の前提である。(p.117)
★一期一会とは静かであっても、生命のかかった、そのうしろには燃えるような火があってこそ一期一会である。
仕事でもよい、お茶を喫するのもよい、後に燃えている火がなければならない。明日のことはわからない。只今に生命をかけて打込む情熱が大事である。
自らを礼拝し、自らの心に頭を下げて、言葉を超えた無限のものにひたすらに頭を下げることである。(pp.122-123)
★六十代に入ると、一応還暦をすまして、まあ人生のフルコースをすませて、いよいよ二十年の精進がいる。それから娑婆を離れた、たのしい人生の修業(修行)が始まる。
七十歳で、新しい人生を開き、八十歳になって、人生の頂点に達する。
私は六十歳にして、感謝の眼で物を見なければ、ほんとうにものの姿が、わからぬことがわかった。(pp.123-124)
・本当に人生を楽しむのは、八十歳からである。
この年になって、がっくりする人と、新しい人生に燃える人が出て来る。(p.125)
・七十五、六歳から八十五、六歳までが一番伸びる時だ。(p.126)
・九十歳まで生きないと本当の人生は分からない。
今に生きることが、限りない喜びであり、またとない楽しみである。(pp.126-127)
★顔は自分の顔であって、自分だけの顔ではない。人々から見る顔でもある。
全体としていつでも明るい顔は、心に明るさをもっているからである。
明るい顔は、明るい心。明るい心は、やすらぎの心、感謝の心である。それは人を明るくし、自分の健康を保つためにも一番大事なことである。習慣的に、明るさを身につけることである。常に明るくあるためには長い修練が必要である。(pp.130-131)
・生老病死を四苦というが、私にとってはそれは四苦ではなく、四喜である。(p.135)
・病とは、無理があって起こる故障である。治療、修繕の出来る病気でなければ、故障即ち死ということになって大変である。
そうではなく、故障の軽い中に病気に気付き、治療のチャンスが与えられることはむしろありがたいことではないか。(pp.136-137)
★生かされて生きるや今日の
この生命
あめつちの恩かぎりなき恩(p.149)
★人生は、にこにこ顔で生命がけ(p.150)
<きっかけ>
社内木鶏全国大会会場にて、藤尾社長の講演でふれられていた平澤興さんにとても興味をもったため。会場で求めて帰宅途中から読み始めた。ご紹介に感謝!” -
生き方指南の図書。
感謝と謙虚の2語が人生を豊かにしてくれる。 -
「病気というものは,無理をせずに生きる一つの課程と思われる」-そんなふうに考えることができれば,人生も前向きに明るく生きることができます。
「よい習慣を創る。あまり意識している間はまだ駄目だ」-習慣づくりというけれども,それが難しい。創っているうちは,習慣じゃないからなあ。それは学校の子どもたちを見ていてもよくわかる。習慣になっている子は,何の苦もなくできることも,そうじゃない子にはストレスになったりする。
「人は単に年をとるだけではいけない,どこまでも成長しなければならぬ」-はい,わかりました。肝に銘じます(^^;)