いかに生くべきか

  • 82人登録
  • 3.85評価
    • (5)
    • (2)
    • (5)
    • (1)
    • (0)
  • 9レビュー
著者 : 安岡正篤
  • 致知出版社 (2011年9月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784884745875

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
デール カーネギ...
フィリップ・マグ...
デール カーネギ...
松下 幸之助
安岡 正篤
有効な右矢印 無効な右矢印

いかに生くべきかの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 若き日の安岡さんが残された安岡教学の基本となる四部作の一つ。

    読後感としては、深い活学に大成された安岡さんの著書を知っているからか、この著書には若い情熱を感じる。
    しかし、大成した安岡さんの著書を知らずに読んだのなら、とても32歳の人間が書いたものとは思えないほど深い哲学の世界観になっている。

    この本が、「暁鐘」となり朝他の人より早起きした安岡さんの呼びかけが世界に響くといいなと思う。

  • 安岡 正篤先生30代の著書。中国、日本の哲学を中心に、「生き方」を説く。
    どのページを開いても、新しい気付きがあり、本当は★5つにしたいところ。
    ただ、あまりにも文章が難しいため、★4つ。
    これからも定期的に読み返し、しっかりと血肉としていきたい一冊。

  • (要チラ見!)

  • 昭和日本実業界の精神的支柱安岡先生の若き日の著作にして、その後の安岡哲学の支柱となった記念的名著。

    と書けば聞こえはいいが、要は東洋哲学から日本哲学へと安岡先生の脳髄の中で進化した、「人生哲学」である。

    若かろうが、年とってようが日本人で資本主義社会の中に生きているなら読むべき。


    「我々は大いに欲求すべきである。強烈に生くべきである」

    ほら、燃えてきたでしょ。

  • 「人は何者の力で生きているのでもない、自らにして生きているのである。すなわち自由であり、自分で満ち足りる存在。だが、またこれで良いということもないものだ。人という物の生活から、人という道の生活に無限に進まなければならない。」

    「人道は「これを誠にする」、すなわち「天にしたがい運に乗ずる。」この天にしたがい運に乗ずるところに情意があり、理知が開ける。天にしたがうとき、われわれにまず生ずるものは、感恩の情およびこれと不可分な報謝の意志である。」
     天にしたがい、運に乗ずる。たくあんの言う、人は天の赴くままであり、それでいてこそ自由だ、という言葉に近いものがある。運命に対し、無味乾燥な意味を言うのではなく、天にしたがい結果を求めない心、自分の意思を選択する自信、大きさ。それでいて、自分の今があることの感謝、どれだけ自分が良い運命にあるかという実感。これこそが本当にあるべき姿なのじゃないかと思う。

    私淑
    「この人生において我々の人生が新に確立し、もはや迷うこともなくなるまでには、到底自分の独力でなし得られるものではない。それには我々の天秤はあまりに貧弱で、無力で下根である。我々は常に権威ある人格、品性、気概、才能に接触し、いい方向へ導かれ、陶冶されて、初めてようやく自己を充実し、向上させることができる。
    しかし、われわれはそれに浮かされて、いたずらに感傷に流され、興奮に泊まってはならぬ。あくまでも厳粛に我々が気付かぬ様々な生活を会得し、ともすれば人生の深い本質に触れて、自己の人格識見を完成してゆくところにもっとも高貴な意義がある。我々は智慧によって、正しく、深く、あらゆる人生を観察して、向上の機を把握せねばならぬ。」

    無約の話
    孔子と、盗賊のやり取り、人間の欲望のままに生きる盗賊と、人の生きるべき道を示す孔子、その弟子。その二人に対し、無約はいう。
    「人生は絶えざる運行である。ある場合には曲がる必要もある。ある場合にはまっすぐにいかねばならぬ。つまり、汝の子心の空にかかる北極星をよく見て、かじを取ってゆくことだ。常に物事の一方ばかりを見ないで、よく四方を眺め、自然と調和していくことだ。規範とか道徳とかを固定するからいかん。ものは固定すると生命がなくなる」

    「我々はあくまでも人道という見地に立つべきである。さすれば、人間を神話化することもなければ、獣とすることもない。我々は自ずから人間に対して温容なる道がある。人間のあらゆる心境をこまやかに観察することによって、着実に親密に、しかしできるだけ雄大な理想を抱かねばならない」
    「男は要するに文化発展を本領とするから、とにかく成長する、進歩する、複雑になる。人格生活も開拓される。これに比して女は統一潜蔵を本領とするから、男のように伸びない。永遠の純真であるとともに、永遠の素朴である。
    むやみにじたばた慌てふためいて、まるで後になったやつは鬼にでもさらわれるぞといった低落であると言っているのは誠に穿っておる。俗眼から見れば女は弱かろう。便りなかろう。しかし、誠に目を開けば、女こそ強いものである、安立したものである。」


    「およそ物には二つの見方がある。ひとつはものを外から見、己が認識対象として見る。それは常にある立場からものを見るのであるから、立場立場によって所見も異ならざるを得ず、その上にある方面を分析してみるので、要するに抽象的である。分析的抽象化で見ることは、繊細な概念知識の結構には便利であるが、実在の意味生命からは遊離する。
    いま一つの見方は、ものを内から見、情意に抱一してみる。前者の「己を以てものをみる」から「ものを以てものを見る」のである。我々の概念的知識は常に個の直感の世界において養われねばならぬ。それを顛倒してひとえに概念的思考にたよって実在のしん生命を発見しようとするのは、ラッキョウの皮をむく猿の愚に等しい。」

    →これは面白くて、自分は、ある物事に対し、それはなにか、どうなっているのか、どうあるべきかといったことを考えるに、いろんな見識や、考え方を学び、いろんな知識をつけ、体裁上はなにかもっともらしい何かを身につけたつもりになっている。しかし、その本質は、己を以て何かを解釈しているにすぎないのではないか?実際に物事を考えるに当たっては、そんな深い洞察や下手な知識以前に、もっとシンプルに、直感的に考えて、本質をつかむべきではないのか?実際の現象を考えるときも、変に物理のなにかしらを引用したり、挙動の方程式を作ったりする以前に、直感的にどうなっているのか考察することはとても大切なことだし、何かを考えるときには、もっと直感的に抽象化することも大切だと思う。

    上に付随して直観と概念について
    「直観よりの中小に応じて生じるものは概念であって、直観は概念の天地である。概念的知識(直観的に本質を見極めて、合理的に判断表現された知識)は、体験が伴わないと幸福に育つことはできない。直観の示すところは生きた世界であるが、概念の示すところは抽象的構成であるから、仮定的一面的たるを免れない。そこで概念ばかり与えられると、人間が軽薄空虚になったり、偏った観察や過激な行動に陥ったりするようなことが起こってくる。」
     →知識には何の意味もない。自分の思考と経験で、人道を築くことが大切なんだなと思う。空虚な知識の波にのまれるな。

    夫婦生活の在り方
    「いわゆる男尊女卑は、陽たる男と陰たる女の家庭的礼分である。男女の性質の違いを言うのであり、それは決して男女の人間的優劣を意味するのではない。
    女性が、このような男尊女卑であるという偏った見方を脱することが大切であり、このような考え方を自己の過程において自力実現することこそ、夫婦の心得であることが大切。」



    社会生活の心得
    「我々は社会という体系の中に、同時にそれぞれ一分子として存在しあるいは関与する。かくして我々はその中に衣食しつつ、全体の進運を亮け(たすけて)てゆくのである。
    本能的欲求は決して自らが衣食するだけでは済まない。「自覚する造化」である私たちは、絶えず自らより大きく生き、より多いある生活。社会のために働く。職業の本義は、自己が仁をなすにある。
    職業を以て、その職分に基づいて勤労する。そうすれば、自己が現前してくる。その時両親の指示に従って自分の敵しいと思うことに向かって勤労すれば、必ず進むべき道は開け、才能は磨かれる。」

     自分の職業に疑問を持つ前に、自分が社会のために何ができるか考えよう。自分の職分をわきまえ、社会のために働ける意思子を持とう。その中で、自分のスキルが高まればいいじゃないか。そして自分の本当の強みと、自分に何ができるかが見えてくるんじゃないだろうか。ちっぽけなところでとどまらないで、社会に向けてできる自分の仁を常に意識できるといいよね。





    「人は真の自己の立ちかえらぬから、外見ばかりに心を奪われ、皮相に眩惑する。わけもなく富貴に憧れたりするのは自分が純直でない証拠である。」

    人と比べる、自分がきになる。自分はどうありたいのかが見えていないから気になる。むしろ、人には関係ない、自分がどう思うかだ。自分がどうありたいかは自分が決める。あの人みたいになりたい、勝ちたい、負けたくない、認められたくない。全部意味がないことだ。自分がどのような人間になりたいかが大切なんだ。
    「出処進退にあたって、われわれはまず仁に立たねばならぬ。仁とは、生成化育する造化の努力を退任して、人が一切を包容し、敬愛し、自ら少しでもより大きく生きようとする努力である。
    そして、仁は義であらねばならぬ。同時に礼でなければならぬ。
    そして収支心がけておかねばならぬことは、平生できるだけ人物の器度をやしなっておくことである。器とはすべからく大いさである。由来、宇宙人生は複雑な矛盾の統一であって、一時に拘泥すれば身動きがとれない。我々はすべからく大矛盾に堪え、これを和らげるだけの器度力量を具備すべきである。」

    自分の努力、頑張りの根底には、社会のため、自分のためになすべきこと、正義であることは当然必要だし、また全体のおさまり、空気を読んでいること、みながハッピーなことというのは大切。だから、義と礼はきっと大切なんだと思う。逆に、光なくちゃいけないとか、こうしようとか凝り固まっていると暴走したり、身動きが取れなくなってしまう。
    きっと、そういう考えを持ちながら、どこかでその考えの矛盾を理解できるような、もう一歩引いた考えができるような、人間になりたい。やっぱり器が大切だなあ。





    命 まさに運命、運と呼ぶべきものについて
    「命は造化の機境である。造化は絶対の流行であって、われわれはかくあらねばならぬからあくある、かくあるよりほかにどうにもあり得ない。すなわち何事も命だ。我々は造化に委順するよりほかにないには相違ない。しかし、それであるからとて消極的無為の生活に陥る第二種の宿命論というべき行動は、根本的に誤っている。人もまた造化である。
    誠は天の道である、しかし、それを具現化するのは人の道である。事件の必然的かつ無意識的進行を、意識的かつ自主的に表現するのが人道である。意識的かつ自主的なる意味において、人は創造者、造化自体ということができる。」

    「すべて生きようとする意志は、言うまでもなく人生の原動力である。しかし、ただ生きようとするだけでは、まだ動物的境界にすぎない。人格において、初めていかに行くべきかの内面的欲求を生ずる。ここにのみ、人間に許された子孫なる価値の世界があるのである。
    前者は限りある時間を少しでも余計に盗もうと知る執着であるが、後者は有限な時間を超越して、自己を永遠の今に安立させようとするものである。
    前者は情欲の満足であるが、後者は価値の体得、すなわち理想の具現化である。理想の具現化のない人生は普段の瀕死に他ならない。
    いかに生くべきかと真剣に道を求めるものにとって、これはいかに死すべきかの工夫になる。
    死覚悟するが故にこの生を愛する。今に即して永遠に参ずるのである。愚かなるものは永遠を解して時間が連なるものと思い、今日過ぎても明日があるように思う。かくのごとき時間の連続には、何の意味もない。
    真の永遠は今にある。永遠は今の内展でなければならぬ。そう、死の覚悟とは永遠の今を愛する心なのである」

  • ○壷中の天
    ○真は天の道、真をなすは人の道

全9件中 1 - 9件を表示
ツイートする