父親のための人間学

著者 :
制作 : 寺田 一清 
  • 致知出版社
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784884748838

感想・レビュー・書評

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  • 森信三さんに、夫婦は「相手の欠点短所を攻めるのでなく、むしろ人間的に卓(すぐ)れたほうが、相手の至らぬ点は背負うていく覚悟がなくてはならぬ」と言われてしまうと自分の過去の行動を反省するほかない。
    まだまだ理解が足らないので、もう一度読もう。

  • 今朝の一冊。 5年に一度読み、死ぬ時に一度読みたい本。 真っ当な父親像を求める生き方は一生続く。

  • 【キーアイデア】
    『腰骨を立てる』

    【目的】
    日本人として生きるうえで、何を受け継ぎ、何を次世代に伝えるのかを考えるきっかけとするため

    【引用】
    ・長たる人にとって、この「無私」の精神ほど大切なことはないといえましょう。
    ・この「無私」の精神は、やがてそれが人々に対する時「公平」な態度となるわけで、いわゆるえこひいきというものがないということです。
    ・そもそも嫉妬心とは。自己の存立の根底を脅かすような強力な競争者が出現したとなると、どんなリッパな人といわれる人でも、この嫉妬の念なきを得ないのでありまして、ただそれをどこまで露わにするか否かが、その人物の人となりとか、教養によるといえましょう。
    ・週に一日「テレビの断食日」を設ける。
    ・寝ころんでテレビを観ることだけは、ゼヒともおやめいただきたいと思うのであります。
    ・健康維持にとっては、「立腰」と「粗食」とが欠くことできない二大素因をなしていると思われる。
    ・もう一つわたくしの常に心掛けておりますことは、ものごとを「おっくうがらぬ」ということであります。
    ・最大活用の真理とは何かを申しますと、これは結局「ムダにしない」という六字に極まると思います。
    ・新婦の方にお願いしたいことは、
    第一、朝起きたら御主人に対して必ず朝のアイサツをなさること
    第二、御主人から呼ばれたらハッキリと、そして爽やかに「ハイ」と返事をなさること
    第三、主人の収入の多少に対しては、一切不平をいわぬこと
    ・新郎たる御主人にお願いしたいことは、
    第一、奥さんに対しては小言はいわないこと
    第二、奥さんの容貌に関しては一切触れないこと
    第三、奥さんの実家の親・兄弟はもちろん、親戚についてもけなさぬこと
    ・両親の和気アイアイたる語らいほど子どもたちへの心の養分となり活力を与えるものはないと言えましょう。
    ・子どもの前ではゼッタイに夫婦喧嘩を避けるべきは当然でありましょう。
    ・第一、必ず朝のあいさつをする子にすること
    ・第二、親に呼ばれたら必ず「ハイ」とハッキリ返事のできる子にすること
    ・第三、ハキモノを脱いだら必ず必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること
    ・親とは無量の祖先の代表者であり、祖先からの血の継承の最先端の一点なわけであります。ですから親を軽視することは、無量多の祖先を軽んずることであり、否、端的には自己そのもののいのちを軽視することでありまして、いのちの根本法則に反するわけであります。
    ・一、父親自身が確固たる人生観を持ち、柔軟にして強じんな信念の持ち主でなければならぬ。
    ・一、父親はまず一事を通してわが子に忍耐力を育てる躾けをすべきである。
    ・一、父親は、平生は泰然として、あまり叱言をいうべきでない。
    ・一、父親は、イザという時、凛乎たる決断と俊敏な行動を示すものでなければならぬ。
    ・一、父親自身が自らの「生活規律」を持ち、これを厳守するものでなければなるまい。

    【感想】
    男尊女卑とも受け取れかねない表現も見られるが、日本という国の成り立ちや歴史を踏まえると、男女平等がすべてではないとも思う。
    夫婦の在り方が子どもの人格を形成するのだと感じた。

    【学んだこと】
    子育てに絶対的なルールはないが、自らを律することができなければ、子供が立派に育つことはない。
    腰骨を立てることからすべてが始まる。

    【行動】
    腰骨を立てる

  • ”僕にとって5冊目の森信三先生の著書。教えの中の共通項(躾の3原則、3つの健康法)が滲みこんできたのを感じると同時に、改めて感じ入る内容も多かった。

    特に、「夫婦は一つの楕円ではなく、半分くらい重なった二つの円」はうまい!と思ったし、日常のやりとりから「ミニ・コンミューンづくり」を、の主張も大いにうなづけた。

    巻末の「期待する男性的人間像」と「あるべき父親像」は重なる部分が多い。1つ違うのは「民族の運命」や「人類の将来」への関わり方について、父親は家庭内のわが子を通したアプローチになっていることだろう。(子どものいる立場の人は)まずわが子を通じて、さらには自身が関わる次世代の人たちへ良きものを遺していけるよう、もがきつつも自らを磨き続けていきたい。

    #いつかはこの文章をわが息子が読む日がくるだろう。「言っていることとやってることが全然違うじゃん!」と言われないように(笑)。

    <読書メモ>
    ・では家庭における父親の役割は何かというに、それは人生の見通しと社会的視野の広い立場に立った人生の生き方に基づき、家庭のあり方と子どもの育て方に対してその根幹となり、その方向を明示すべきでありましょう。(p.9)

    ★この地上へ派遣せられた自らの使命感の自覚は、人生の二等分線??四十歳前後??を越える頃であり、しかもそれは、「死」の寸前まで深められねばならぬ。
     #人間学の骨子8項目の1つ(?)。

    ・世界観・人生観は、人それぞれに生涯を賭けて、探求し深化せねばならぬわけであります。そして古今の卓(すぐ)れた先賢先哲に学びつつ、それを深省し、浄化しつづけねばならぬと思うのであります。これが「人生観」の深省と浄化といえましょう。(p.27)

    ・要は、自分の体に合った健康法を突き止めて、生涯それを実行するのが大切だと思います。(p.77)
     #森先生の3つは、半身入浴法、無枕安眠法、飯菜別食法。

    ★夫婦というものは、二つの中心を持つ一個の楕円ではなくて、それぞれ中心を持つ二つの円が、互いに半分くらい重なり合った二つの円のようなものでありまして、二つの円の重なった部分だけが相互理解が可能な部分であって、他の部分は、お互いに理解できない部分だということを、改めて知る必要がありましょう。(p.105)
     #これは深い。お互いのすべてを理解できる(理解してもらえる)と思ってはいけないのだ。理解できない部分が多いと思うことが大切。

    ・「女を見る眼」「男を見る眼」の参考条件を、それぞれ年頃の息子や娘にそれとなく日常会話のついでに種蒔きをしておくことも、大切なことではあるまいかと思うのであります。(p.124)
     #内容もさることながら、参考条件、それとなく、種蒔き、というアプローチがよさげ。

    ★われわれは、一体どうしてこのような世俗的な雑事の重圧を切り抜けられるか??ということが問題になるわけですが、しかしそれは原則的には実に簡単明瞭であります。それは「すぐにその場で片づける」ということであり、「即刻、その場で処理して溜めておかない」ということこそ最上の秘訣であって、おそらくこれ以外には、いかなるコツも秘訣もないといってよいでしょう。(p.169)
     #あ?、耳がいたい。雑事にちょっと悩み、溜めてしまうがゆえに、大事に手をつける時間を減らしているんだな…。

    ★文章力の練磨の上から大いに役立つという利点もありますが、何といっても最大の効用は、人と人との絆を大事にし、開かれたるミニ・コンミューンづくりに、大いにその効力を発揮すると思われるのです。このミニ・コンミューンとは、極めて小さな意識共同体でありまして、平たく申せば小さな仲間づくりということであります。しかも開かれたるミニ・コンミューンは、会費いらず、したがって出・入自在の開放的な仲間という程度のものでありまして、これが今日、巨大な組織や通信網を擁するマス・コミに対して、わたくしどもの今後あるべきささやかな主体的な一種の抵抗姿勢であると同時に、真に心の通う仲間づくりなのであります。(p.172)
     #もとは「ハガキの活用」について語られた文章だが、facebook 等でのやりとりもこれに通じそう。開かれたるミニ・コンミューン!

    ★「ではわたくしの期待する男性的人間像とはどういうものか」(p.203-)
     <内面的立場から>
     第一 自己の本文を忠実に果し、義務と責任を重んずる人
     第二 行動的叡智をもって主体的に仕事に取り組む人
     第三 人間的情味が厚く、至純にして清朗な人
     <外側の立場から>
     第一 自分一人で判断のできる人間に
     第二 人々と強調のできる人間に
     第三 真摯にして実践的な人間に
     第四 常に国家社会と民族の運命について考える人間に
     第五 さらに世界人類の将来についても思念する人間に

    ・あるべき父親像(p.213-)
     一、父親自身が確固たる人生観を持ち、柔軟にして強じんな信念の持ち主でなければならぬ。
        人生の先達とし、一家の大黒柱として、常に叡智と識見を磨くことを怠らないよう。
     一、父親はまず一事を通してわが子に忍耐力を育てる躾けをすべきである。
        これは日常の起居動作をはじめ共同作業やスポーツや学習等のいかんを問わない。
     一、父親は、平生は泰然として、あまり叱言をいうべきでない。
        古来卓れた父親は、わが子を一生に三度だけ叱るというが、これくらいの構えが必要。
     一、父親は、イザという時、凛乎たる決断と俊敏な行動を示すものでなければならぬ。
     一、父親自身が自らの「生活規律」を持ち、これを厳守するものでなければなるまい。
     

    <きっかけ>
     人間塾 2013年2月の課題図書。
     →塾での発表で、息子への手紙について宣言。卒業式の日に手渡せた。”

  • 父親としてやるべき事、出来る事は案外限られていると感じる。
    子をひとりの力で生きていけるよう育てる事、この事以外にはない。
    その為に挨拶が出来る事、返事が素直に出来る事、自分の考えを伝えられる事、片付けがしっかりと出来る事は基本だと思う。

  • 久しぶりに読み返しました。良い本は、心の栄養になります。明日からの仕事に対する活力が出る。

  • 家庭は躾の道場・・・家庭教育において、両親の果たす責務は実に重大。とりわけ小3〜4までは母親の責任は95%以上。父親の家庭教育における責任分担は最もよき後援者でなければならぬ。一家の大蔵大臣は奥さんに任せるとしても、一家の総理として、文部大臣の要職だけは夫が兼務すべきであると思われる。

    逆境と天命・・・逆境というマイナス面の裏には、「秘匿の恩寵」ともいうべきプラス面が秘められている。ものにはすべて表裏があり、「隠中陽あり、陽中陰あり」という一面を免れぬのである。これこそ一般に良いところの「ものごとに両方よいことはない」ということであり、これこそが不動の心理。

  • 父親の生き方はこうあるべきということが書かれている本。

    父親の権威とは、権力を行使することによって生ずるものでなく、人間的香気ともいえる人格と品位と力量によって自ら発するものである。
    →口だけでエラそうにするのではなく、自分を律した立ち振る舞いで権威を示す。親の姿を見て育つとはよく言うが、全くその通りで自分の言動そのものが子供の教育になっていることを意識する。子供は敏感。全ての言動を見られていると心得る。

    退廃と弛緩ムードの強い時世にあっては父親は単に職業に真剣であるというだけでは足りない時代になった。すなわち父親たるものは家にあっても、自らを律しなければならぬ時代に突入した。
    →ゆとり教育、のびのび・自由奔放な教育方針など教育放棄ともとれる「教育の危機」の時代であることを認識し、外での教育は期待できないのだから家庭教育ではむしろ厳しく躾けるぐらいの気持ちで丁度良く、そのためには親自らが手本となり、日々の生き方をよく練り鍛える必要がある。

    父親の役割は、わが子に対して人生の生き方の種まきをすること。
    →母親の場合は日常生活の中での躾けがメイン担当であるが、父親の場合は躾けというよりも、社会・人間関係・幸福など、人生についての考え方についてを教育する。また種まきという言葉が印象的だが、機会ある毎にこの種まきをして根気強く芽が出るのを待つ気持ちが大事。一度二度伝えただけで実行できると決して思わないこと。
    父親の場合は中学、高校あたりからその重要性の比重が高まってくるが、その中学にあがるまでに権威のある父親像が崩れ去っていると(行動が伴っていないと)、子供には響かない。だから父親は小学校にあがるくらいまでは、母親のサポートに専念し、母親から父親の威厳を伝えてもらうのがよい。家にいてもだらだらした姿を見せてはならない。

    「人生二度なし」という真理ほど、われわれ人間をして人生の深刻さに目覚めさす心理はほかには絶無といってよいが、常にこの真理をいつもわが心に忘れぬようにすることは難しい。
    →常に明日死ぬかもしれないという気持ちで毎日を精一杯過ごすということを意識する、ということだが、今まではどこか自分がいま死んでも誰も困らないという気持ちがあった。だが今は息子に対して、この世の中を力強く生きて幸せになってもらいたい、そのために自分が教えられることを教えたいという強い想いがある。それはきっとこの世の中で自分にしかできない。そのために自分自身を高めていく。(自分がそれをしてもらえなかったことも原動力になっていると思う。)

  • 著者は明治29年生まれ。戦前の古き日本の伝統を知る人です。
    この本は家庭における子供の教育・夫婦のあり方・仕事への取り組み方を概観しながら、父親・男としての人格形成・人生観について著わしています。
    この本を通じて、かつて多くの日本人が意識的ではないにしても分かっていた家庭人の心構えを見ることは意義があるものと思われます。

    さて、著者が紹介するノウハウ的なもののうち、幾度も出てくるものに「立腰」があります。つまり、腰の骨を立て続けるということです。
    人間に性根を入れて、真実に生きるために、「人生観」の深省と浄化に加えて、心身統一にむけ腰骨を立てる事・・・と言っています。
    さらに、逆境に対する態度は、マイナスはマイナスとして、そこに肚をすえるよりほかないという全的肯定の境涯に達することである。あとで逆境は人間形成において神の恩寵的試練であることに気付く。肚をすえるとは、臍下丹田に力がこもることであり、観念が肉体化したものだ・・・と「立腰」を補足しています。

  • 子育てをする父親に向けた熱い熱いメッセージ。父親が子供の教育に果たす役割は10%~20%程度だけ。子供が40歳になって初めて、場合によっては父親が死んで初めてその偉大さを知ることができるのだから、そのために尽くせることは目の前の仕事に集中して家族を養うことだけだと。裏を返すと子育ての中心となる奥さんをどれだけ感化できるがが力量なのだろう。あとは寝そべってテレビを見ないことか。

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