- Amazon.co.jp ・本 (46ページ)
- / ISBN・EAN: 9784885691010
感想・レビュー・書評
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収録作品
スヌークスさん一家(ウィリアムズ作 松岡享子訳)
─人形げき─ ぼくのおまじない(中川李枝子作)
十二のつきのおくりもの(スロバキアの昔話 内田莉莎子訳)
森の花嫁(フィンランドの昔話 東京子ども図書館編・訳)
なぞなぞ(中川李枝子作)
1973年発行の、お子さんへの『お話』用のシリーズで、この薄くて持ちやすいコンパクトさが気に入り、今回は、知らない話ばかりなのでしたが、いつもの図書館で借りてみました。
こうしたお話を読むときは、自然と読むペースを落とし、ゆったりとした気分で読んでいる私がいて、つい慌ただしくなってしまう日常において、改めて、心に余裕を持つことの大切さを教えてくれます。
例えば、「スヌークスさん一家」の場合、大人が読むと、息子のジョンあたりで、話の展開が予想できてしまったり、ろうそくを移動させればいいのではないか、なんて野暮なことを考えてしまいますが(実際に私は心の中で突っ込んでしまった)、そういうことではなく、子どもの気持ちに帰って、思いを巡らしたときに、子どもだったら、この微妙に違う繰り返しの展開に、きっと夢中になって楽しいんだろうなと感じた時に、不思議な幸福感が体中を巡り、そのゆったりとした気分と合わさることで、素敵な読書の時間を過ごせたなと思うことができました。
また、「ぼくのおまじない」は、親子間で石や木といったものになりきるのが楽しそうで、お家でもできる、お手軽さが良く、「十二のつきのおくりもの」は、マルーシカとホレーナを比較して、嫌な思いをさせる人は、見た目や心の中までそうなるし、最終的にはこうなるんだよと、教えてくれているように感じられましたが、大人になって、こうしたお話を読むと、結構キツいことを書いてあるなとは思ったのですが(見つけるまで帰ってくるなって)、所詮、作り話だと年齢を重ねると思いがちですが、そうした気持ちが今の世の中になっているのだとしたら、あながち、馬鹿にもできないと思います。
そして、「森の花嫁」は、ベイッコに対する小さいネズミさんがとてもキュートで、時に凛とした佇まいもまた印象に残り、文章を読みながら、その姿を想像するのが楽しかったのですが、そのネズミさんの、「世の中のいろんな不幸にくらべたら、ネズミを花嫁にすることぐらい、なんでもないわ」の台詞には、いろんな意味が含まれていそうで、はっとさせられるものがありました。
ちなみに、「なぞなぞ」は、ひとつ間違えました。
恥ずかしい・・でも、これも親子間で一緒に出し合うと楽しそうだなと、思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「12のつきのおくりもの」
あらすじ
マル―シカは一緒に住む継母とホレーナにいじめられていたが美しい娘に育っていった。そんな中2人がマル―シカに寒い冬の日に森ですみれを取ってくるように頼んだ。そして森の中に入っていくと12の月のせいたちと出会って…。
スロバキアの昔話として紹介されていたお話だが、私が知っているいくつかの昔話のストーリーや登場人物設定と似ている部分が多くあると感じた。ここではマルーシカとホレーナという女の子が対比して書かれており、マルーシカは一日中働かされてもなんの文句も言わない働き者で美しい娘、ホレーナは遊んで暮らしてばかりで醜い娘。このような美しい、醜いのような対比はかなり多く見られるパターンである。このお話を読んで私はマルーシカの健気に頑張る姿に応援したいという気持ちが沸き立ち、またホレーナと二人の娘の母に対しては少し腹が立ちさえした。
このお話を子供に伝えることの意義としては2つ考えられると思う。まず1つ目は12の月に関してのぼんやりとしたイメージが掴めることである。このお話では1月から12月までのつきのせいたちが登場する。そしてマルーシカがすみれをつみにきたというと3月が杖を使ってたちまち1面を3月の森に変えてしまう。このようにそれぞれの旬、季節を知ることが出来る。2つ目は子供の人間性を育てることである。マルーシカが文句も言わずに一生懸命働いた後に美しい若者と結婚して幸せに暮らしたというオチを聞かせることによって、どうしたら自分が幸せに暮らせるのかということを潜在的に教えることができると考えたからだ。 -
十二のつきのおくりもの
終わり方が唐突でびっくりした。つきのせいたちの優しさが素敵だと思った。 -
森の花嫁について
ベイッコがネズミを好きになってから、ネズミに対してとても優しく接していて最後は魔法が解けて感動した。 -
語りで聞きたい
し、語ってみたい。
うずうず。 -
☆十二のつきのおくりもの
(08.12/3 6-1)(08.12/16 6-2)(09.12/15 6-2)(2010/12/21 4-1)