ビロードうさぎ

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制作 : ウィリアム ニコルソン  Margery Williams  William Nicholson  いしい ももこ 
  • 童話館出版 (2002年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (44ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887500365

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ビロードうさぎの感想・レビュー・書評

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  • 図書館や本屋で洋書絵本と翻訳絵本を両方入手して、
    両方とも読み味わうことをはじめた。

    そんな折に、書評家仲間のwildflowerさんからこんなメッセージをもらった。

    『ビロードのうさぎ』のなかの「ほんとう」の原著の言葉が知りたいと。

    問われて即答できないとすぐに検索にかかる。

    そして、オリジナルの"The Velveteen Rabbit"の書誌データから、
    「ほんとう」は"real"だとわかった。

    が、彼女が聞いていたのは、その文字通りのことの奥にあったのだ。

    彼女が気にかけていたのは、彼女の書評にあるように、
    『ふたりだけの世界の「ほんとう」』と
    『誰にとってもリアルな生き物としての「ほんとう」』の違いだった。

    2つの意味の「ほんとう」がオリジナルでは違う言葉で
    使い分けられているかどうかが気になっていたのだった。

    うさぎ自身も気にかけていたように、
    自分は「いままでもほんとうのうさぎ」だったのではないのか?

    それなのに、「だれもがあなたをほんとうのうさぎにみえるようにしてあげる」とは?

    1年前の私は、二通りの意味で使われる「ほんもの」を
    『「生きて命を持って動いている」という意味でのほんもの』と
    『「とりかえがきかないたったひとつのもの」という意味でのほんもの』と捉え、
    それらを両立させたものとして、本作品を捉えていた。

    さて、"The Velveteen Rabbit"を調べているうちに、
    私が1年前に読んだ酒井駒子/絵・抄訳の『ビロードのうさぎ』だけではなく、
    いしいももこ訳の『ビロードうさぎ』があることを初めて知ったのだった。

    しかも、いしいももこ訳の方が前に出ており、表紙の絵を比べると原著と同じで、
    どうやらこちらの方が忠実に訳されているものと思われた。

    それで、本書を手にすることにしたのである。

    こちらは縦書きで、章の立て方や絵はオリジナル通りである。

    絵に独特の手作り感があり、
    日本の絵本としての読みやすさが重視されているのが酒井駒子抄訳だと感じた。

    いしいももこ訳は原著が持っているそのままの雰囲気を伝える。

    そして、抄訳ではない訳だからこそ、
    2つの「ほんもの」にまつわるストーリーがより鮮明に見えてくる。

    抄訳では省略されているところにこんな言葉がある。

      うさぎは、じぶんがなにを見本にしてつくられているのか、知りませんでした。

      うさぎは、じっさいに、うさぎという生き物がいるということさえ、知らなかったのです。

      うさぎといえば、みんなじぶんとおなじように、お腹におがくずがつめてあるものだ、と思っていました。

    高価な機械仕掛けのおもちゃたちは、
    自分の中についている道具の名前を難しい専門用語で話すけれど、
    自分は何を基にして作られたのかさえも知らないというくだり。

    また、馬とうさぎとの会話でも、こんな言葉が省略されていた。

    馬が子供が本当にかわいがっていたおもちゃはほんものになると語ったときに、
    うさぎは、「そうなるとき、くるしい?」と聞いている。

    抄訳は一往復でまとめている対話がもう少し長いのだ。

    抄訳でもニュアンスはすべて入ってはいるのだが、
    このオリジナルの馬とうさぎの対話は、
    より「ほんとうのものになる」ということについて真摯に語っている様子が伝わってくる。

    「本の中の主人公」から「実際に肉体を持って生きること」に変化するぐらいに両者は違い、
    その変化が「ほんとうのものになる」ことだと感じられる表現なのである。

    この対話のときは、まだうさぎは、みすぼらしくなったり、
    目やひげがなくなってしまったりするのは、
    かなしいことだから、そういういやなことがおこらないで、
    ほんとうのうさぎになれればいいのになと思っていた。

    そして、「ビロードうさぎ」と「うさぎ」が出会ったときの衝撃もまた、
    ビロードうさぎがうさぎ自体を知らなかっただけに大きいのである。

    うしろ足がついていないくで、針さしのように、
    ただひとつのかたまりだったという特徴も、
    本物と大きく違うところであり、
    その違いもまた抄訳では触れられていない。

    このシーンは「ビロードうさぎ」の内面も少し長く描かれており、
    本物のうさぎに強い憧れの気持ちを抱いていたことがわかるのである。

    酒井駒子抄訳では、
    「最後の直前のページにある文字のない絵だけのページ」が
    非常に効果的に使われているが、
    いしいももこ訳では、
    ここをすべて原著に忠実に言葉で説明している。

    ビロードうさぎがほんものになったことを
    どう感じているのかを言葉にしているのである。

    そして、抄訳にはなく、原書と本書にあったことの言葉が
    見事に2つのほんとうを説明し尽くしていたのである。

    But he never knew that it really was his own Bunny, come back to look at the child who had first helped him to be Real.

    「さいしょのとき、ぼうやがほんとうのうさぎになるのを手伝ってやった、あのうさぎ」

    ビロードのうさぎが、命を持つ本当のうさぎとして「生まれる」には、
    その前に愛される存在である必要があったのだ。

    「ぼうやのほんとうのうさぎ」だったときは、
    愛によって魂を持った段階で、
    しかもその魂の宿る人形としての身体はぼろぼろになって
    一度死を迎える寸前になる。

    「だれが見てもほんとうのうさぎ」になるとは、
    愛された人形としての身体を一度手放し、
    新たに肉体を持つことではないのか。

    2つの本物を結び付けているのは、死であり誕生である。

    抄訳版を読み、さらに、本書を読んだことによって
    私なりに2つのほんものの関係が理解できたのだ。

  • 子供とおもちゃとの関係は、大人には測りきれないものがあるわね…

  • 大切にしていた、おもちゃ
    長年大切にしすぎて、ボロボロ

    捨てられそうになるけど、妖精にホンモノにしてもらえる。

    ホンモノになると、いつかは死んじゃうけどね…と大人の独り言

  • 酒井駒子さんの絵、抄訳版が大好きで原作を読んでみた。まず絵は入り込めなかった。お話も切ないというよりも何か救いのない絶望が残った。

  • 物語りもクライマックスにさしかかる頃、子ども部屋の妖精がでてくるあたりでウルり。猩紅熱のくだりでゴミ箱の裏に置き捨てられたあたりでヒヤリ。ラストは…。6歳の娘に読み聞かせをしていて長いかなぁと思ったのですが「さいごまでよんでよんで!」と一気に読みました。素敵なお話しですね。

  • 研修で知り、借りて読んだ。

    ビロードでできたおもちゃのうさぎは、ぼうやへのクリスマスプレゼントだった。
    子どもにとても長い間、ただの遊び相手ではなく、しんからかわいがられると、おもちゃは「ほんとうのもの」になるという。
    原題『The Velveteen Rabbit』。

    酒井駒子さんの『ビロードのうさぎ』の印象が強く、酒井さんの絵が得意ではない私は読んだことがなかった。
    これは本家本元・イギリスの画家の絵がついている。
    しかも、私がすきな、あの『かしこいビル』のウィリアム・ニコルソンだから嬉しい。
    見返しを開くと、おしゃれでかわいいうさぎの淡い絵が広がっていた。
    さてこれは、絵本かと思ったら、きちんとした文学だ。
    原著を知らない私でも、ちょっとした石井桃子さんの言葉の選び方に、訳がうまいんだろうなぁ、と感じる。
    年をとった木馬に、「ほんとうのもの」になれるという話をきいたときの心の動きはどうだろう。
    大人の私は、「ほんとうのもの」とは何か、誰かに認められ求められたときの「ほんとうのもの」なのかな、などと考えてしまう。
    自分が「ほんとうのもの」であると認められながらも、それとはまた違う存在としての「ほんとうのもの」である動物のうさぎと出会ったときのうさぎの気持ち。
    恥ずかしい・情けない・悲しい、いろいろな感情がぐるぐるしていたことだろう。
    そしてとうとう、妖精がビロードうさぎを「ほんとうのもの」にする場面は、とても美しい。
    妖精の登場や森の様子の描写が、絵に連れられて映像として流れてくるようだ。
    子どもにも美しい文章を読んでもらえていることを考えると、嬉しい。
    最後の場面では、小さな救いを感じた。

  • 以前に読んだ渡辺和子の著書に載っていたので、図書館で借りて読んでみた。世間的には省略版の別訳が人気のようだけど、やはり読むには全訳がいいと思ったので、これにした。とてもキリスト教色の強い話だなと思う。素直に感動できた。

  • マージェリィ・ウィリアムズ原作のこの物語、日本では石井桃子さんの訳で1953年に最初に発行されたようで、さらに最近では2007年発行の酒井 駒子さん抄訳のものが有名です。
    (これら以外にもあるようですが省略)

    お腹におがくずがつまった、自分をつまらないものと思っている、素朴で純粋なぬいぐるみのうさぎが「ほんとうのもの」になるお話。
    「ほんとうのもの」ってなんでしょうね?^^
    詳しくは実際に読んで頂きたいのですが、原作の中から好きな箇所をいくらか載せます。


    ……「どんなものでも、ほんとうのものになるころには、毛は、おおかたすりきれ、目はとれ、手足は、グラグラになって、とてもぼろぼろになってしまうのだよ。だが、そんなことは、どうでもいいのだ。ほんとうのものになってしまえば、もう、みっともないなんてことは、なくなってしまうのだから。」

    ……そのばん、うさぎは、あんまりうれしくて、ねむれないくらいでした。おがくずでできた、小さいしんぞうは、あつくなって、はりさけそうでした。


    原作では文章量が多いだけに詳細に語られる部分があって、上記の「どんなものでも・・・」の馬の語りや「おがくずでできた、小さいしんぞう」等の表現によってそれぞれのキャラクターがより伝わりやすいかなと思います。
    上記の箇所は酒井さんの抄訳ではかなり省かれているのですが、簡潔に、詩的にまとめられておりどちらも好きです。


    そしてこの絵本のもう一つの魅力、酒井駒子さんの絵の世界。
    酒井さんの描く子供や動物は、どれも大変愛くるしく、それでいてどこか憂いを帯びているような、冷めた視点で描かれたような空気が漂う。いわさきちひろさんの絵をリアルに描いたような作風。
    そこは「沈黙」のある世界で、酒井さんの他の作品、「金曜日の砂糖ちゃん」や「まばたき」のような、詩的でシュールな大人向けの内容のものにもしっくりきます。


    お話の中で、絵の中で描かれる、純粋で素朴なうさぎを、読者は皆、ぼうやと同じように愛おしく思うはずです。また、時の流れのはかなさや残酷さ・美しさも感じられる、とにかく魅力いっぱいの物語です。

  • "ほんもの"になるには。

    いいお話!心があったかくなった。

    2014.08.15

  • 図書館本。

    内容(「MARC」データベースより)→ 1953年初版 岩波書店刊『スザンナのお人形/ビロードうさぎ』の中の「ビロードうさぎ」を新しく翻訳し直したもの。

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