大東亜戦争と本土決戦の真実

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著者 : 家村和幸
  • 並木書房 (2015年7月6日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784890633296

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大東亜戦争と本土決戦の真実の感想・レビュー・書評

  • 日本がポツダム宣言を受け入れずに戦争を続けた場合、とてつもない規模の本土上陸作戦が予定されていたと聞いたことがありました。

    防衛大を卒業されて自衛官を長年務められた方が書いたこの本によれば、その作戦は、昭和20年9月に九州方面、昭和21年3月に関東九十九里浜方面であり、日本は上陸地点をほぼ正確につかんでいて、それを迎え撃つ日本側の計画を解説しています。

    結論としては、航空機3000機による特攻、武器は不十分でありながら国民総動員体制による水際作戦により、かなりの被害を米軍にもたらせるので、一定の成果が上がるだろうと予測しています。

    確かに、それに至る沖縄戦や硫黄島の戦いにおいて、米軍は相当の被害を出しているので、本土ではかなりの被害をもたらせるかもしれません。でも、その場合には日本は完全な焼野原になっていたので、復興の時期はもっと遅れたかもしれません。

    この本で面白かったのは、二度目の元寇(弘安の役)において、上陸を許させなかったこと、更には、ペリーの黒船を撃滅する作戦があったことを解説していた点です。

    また、当時の日本人は内心はどうであったにせよ、最後まで戦おうとしていた日本に協力していた様ですね。今年で終戦70年を迎えますが、先輩たちの苦労を思いながら、私達は暮らしていかなければならないなと感じました。

    以下は気になったポイントです。

    ・日本史上で唯一の本土防衛であった元寇において、一度目の文永の役では「後退配備」により苦戦したが、二度目の弘安の役では、「水際配備」により圧勝した(p29)

    ・鎌倉幕府軍が退却するとき、殿軍として戦っていた御家人・少弐景資が追撃してきた、元軍副司令官(劉復こう)を射抜いた(p27)

    ・文永の役において、水際部に突出して博多湾沿いの平地部を二分する重要な地形を鎌倉幕府軍が死守していた。ここを確保していたのが、文永の役における最大の勝因であった(p28)

    ・弘安の役において、元の連合軍は、閏8月1日に総攻撃をすることを決心した(先発隊の東路軍到着は5月末)が、その前日の7月30日に暴風雨が発生して、ほとんどが海の藻屑となった(p31)

    ・小船で敵船に乗り移って白兵戦を挑んだ鎌倉武士たちは、結果的に元軍の得意な陸戦を許さず、狭い船上・船内なので毒矢・てつはう、も使えず集団戦法をできない状態に持ち込んで、得意の「一騎討ち」で切りまくった(p32)

    ・日本軍の最大の勝因は、事前に構築した石塁による「徹底した水際配備」が大いに効果を発揮して、元軍にごく限定的な上陸しか許さなかったことが決定的である(p32)

    ・予期しない新しい状況に臨んでも毅然として対応できるのに必要な二つの資質は、1)どんな状況不明であっても常に一筋の光を見失わず、真実がどこにあるかを見抜く「智力」、2)それをもとに前進しようとする「勇気」(p39)

    ・品川台場の4個の砲台をみて、撃ち合えば絶対に勝ち目がないと判断したペリーは、日本遠征の目的であった「江戸城乗り込み」を断念して、幕府提案通り、横浜で条約締結した(p42)

    ・全国を6つの管区に分けた「鎮台制」において、海防は、横須賀・呉・佐世保に鎮台府を設置した(p45)

    ・1888(明治21)には、鎮台制を廃止して、師団制を採用し、それまで戦時にのみ編成する「師団」を平時から編成することになった。これにより、歩兵・騎兵・砲兵・工兵などの諸兵種で編成され、根拠地から離れた場所でも戦闘できる部隊が常備された(p53)

    ・サイパン、グアムでの失敗から、制海・制空権のない島嶼における水際作戦が現実として成立しないことを学び、洞窟陣地を配備して持久戦に持ち込むことを、ペリリュー島・硫黄島の戦いで行われた。(p... 続きを読む

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大東亜戦争と本土決戦の真実の作品紹介

アメリカはなぜ終戦を急いだか?元寇に次ぐ日本史上二度目の本土防衛戦の真実。

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