西洋美術史を解体する (水声文庫)

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  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (154ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891768287

作品紹介・あらすじ

"西洋"そして"美術"という伝統的な閉じられた枠組を解体し、相対化し、もうひとつの別の美術史を構想する。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、西洋美術史(実質的に現在の美術史)を網羅的に、要約(140ページほど)してくれる。
    他の多くの「美術史」と違う特徴として、個別作品や作家をあまり追わず、人類史、文化史、経済史(+若干の哲学史)をベースに説明されている。

    保守的な古典派に対抗するためロマン派のドラクロワは自らを用語する批評を書き出す。これが美術批評の始まり。ドラクロワは従来型の批評と差別化を謀るため音楽用語を取り入れた。「色のリズム」「色のハーモニー」「コンポジション(作曲という意味)」85

    1851年のロンドン万博から1920年のバウハウス結成の70年間で、装飾性と美術性の分離、闘争が始まり、「ボザール(美しい技術)」が工芸、デザイン、純粋美術(ハイアート)の選別を行った。これが現代の純粋美術が頂点で、デザイン・工芸は劣るものというヒエラルキーになる96

    アメリカの自由主義、民主主義の象徴だったアメリカ抽象表現(国家的権威により推奨されてきた)は、1960年ころからベトナム反戦、公民権運動、ウーマンリブなどの若者ムーブメントにさらされた。時代に敏感な若手アーティストは人種、女性、人権、平等を作品や作家活動に取り入れた(フルクサス運動)。既存の価値観の破壊、市場経済への反対、対抗文化的活動のコンテンポラリーアートの起源119

    印象派からアメリカ抽象表現主義までの100年に渡る「モダンアートの歴史」は↑の登場で1970年代に終わる120

    クリストは「プロジェクト」という概念を美術に取り入れた。プロジェクトを実行する上でのさまざまな交渉、手続き、資金集め、法律的問題の解決、協働活動等々のすべてが「美術活動」であると主張した。かつて限りなく個人主義化していたモダンアートが切り捨てた、他者、共同体をむすぶ物語の共有、連帯を美術に取り戻した。128

    ゴッホの悲惨物語は、ギリシャのホメロスの詞や、シェイクスピアの現代版のように民衆から支持された。混乱する現代社会を生きる市井の人々が、存在認証とスーパースターへの投影をした。133

    現在、かつてのモダンアートの中心だった「アートの自律」という自閉的なスローガンは、社会、他者との協働で作りあげる、オープンなスタイル、「価値の美術」に変化、要求されている。139

  • やっぱりアートは、「詩」というところになるかなぁ。
    世界の更新。その術。茶室も、知覧も。美とはあんまり関係ないなぁ。原民喜の詩は美しいかというとよくわからない。というか美的基準ってそもそもなんなんだろうか。大事なことは、そこに「いのち」が息づいているかだけだと思うのだけれど。空間があるということだけ。空間の創出や表象があれば、アートだと思う。なのでイグナチオはその意味でアート。近代の建築では美的じゃないだろうけれど。そもそもの「場所」や『空間』の体験や提供を見事に果たしている。『時間』へと誘っているといっても良い。「継起」的な時間・空間、「あいだ」を作っている。それが本来のアートの役目なんではないか。美はあんまり関係ない。近代的指標としての美は、空間表出の一要素にすぎなかったのではないか。

    死と生の発生する「空間」の創出。それは決して造形の追究や自律的な美の追究からは果たされないと思う。

    〇以下引用

    これまでの美術史は、文化の最先端である西洋の美術の歴史の記述であり、そうした近代的な視点から構成された「ひとつの歴史」なのである。

    日本で「美術」という言葉が誕生したのは、1873年に、日本政府が参加したウィーン万博のカタログ作成のとき。それまでの日本語にあった言葉は、「芸術」、「絵」である。「芸術」という言葉は、すでに中国から輸入されていたが、その意味するところは、武芸、馬術、茶道、話術、料理、天文学、占い、、、その中に現在の芸術をとりこんだ広大な領域がかつて芸術と呼ばれていた

    ★人間が人間らしくなるための知恵が教養なのであり、それを血肉化する技術がまさに芸術

    アートを身につける-単に技芸的な喜びのためではなく、その根本において、他者、自然と共存し、共鳴できる、広くて深い人としての思考、共感を育成することに外ならない。

    ★シャマン-社会的集団における根源的問題に対し、個人や集団に、無意識領域から新しい物語を生み出すとともに、忘却された過去の世界、霊的世界からのメッセージを伝達して問題解決をうながす治療師

    意識の下に抑圧され忘却されてきた過去の記憶、トラウマを言語化、視覚化することで、自己認識・意味づけを促す

    ★六十四技芸-日本において「芸術」と呼ばれていた領域、これらの技芸習得の目的は古代インドでは幸福な人生を追求、確保することにあったのだが、全感覚、活性化が不断に求められる。こうした全感覚の覚醒、活性化の方法を古代ギリシャ人は美学と呼ぶ。感覚、知覚を活性化させ、身体を通じて、他者と結びつき、理解と関係をふかめていく方向に、人間としての幸せというものを見出そうとした古代インド、古代ギリシアの世界観が、かつての芸術の世界。

    →作品制作とか書道とか詩なんて、ほんとその一部にすぎない。ほんの一部。


    今日の芸術は、どちらかと言えば下位のメカニカルアーツに属する

    言葉は、いくつもの生きたルールと常に全体的にゆるやかに連動して現実の場で使用、運用され、そうした場が言葉の公共的意味を生成して行く

    今日、美術と言う時、私たちは一般的に美術館に展示されている美術作品やアーティストの人生を思い浮かべる。しかしまさにこの普通のイメージこそが、近代社会のイメジ、どの時代にも適応できる普遍的なものではない

    美術作品、画家の伝記、美術批評、美術館といった閉じられた環の中で美術独自の発展、歴史が考えられてきたが

    低級なものとされてきた、無数の視覚、図像的事象を救い出すこと

    名作は、無数にある図版の中の一つであり、その無数の図版が存在していることは、一般に美術と呼んでいる領域が如何に小さな閉じられたものかがわかる

    描くこと、見ること、見られること、見せることの全体運動の中に、美術芸術を位置付けてみたい

    ★美術を作品制作、評価といった観点から考えるものではなく、産業、娯楽、政治、軍事、投機、家事、生活等々との接合面をも発見し、見直してゆく作業。実際のところ、私たちは美術作品を他から切り離して純粋な対象、価値あるものとして見つめることに馴れ過ぎてゐる

    →まさに、書もここからだと思う。


    美術、芸術は現実的利害から遊離

    ★美学者たちが美術作品の鑑賞、評価の方法に美の普遍性や自律性を取りいれたために、豊かな外的世界は消滅し、美術館、画廊、画集、批評、美術史といった自閉的空間内部のやりとりしか認知されあくなってしまった。

    →ほんとその通りだ。まだ建築がよくわからないのもここらへんかな。丹下がほんとすごいのかよくわからない。『建築的』評価と、それ自体の「価値」って、全然違うと思う。例えば大原収雄とか、知覧からの手紙も、決して近代的「美」ではないけれど、アートなんだよあぁと思う。あれを、文学的に、美的にといったところで、批評家は何にも言わないし、制度に入れようともしない、一元的な評価とかほんとくだらない。美的基準を満たしていても、何も活性化させないものなどいくらでもある。僕は「接合面」に関心があるなぁ。宗教や、社会、歴史と『芸術』との関わりなど。宗教と社会、歴史と『書』との関わりなど。そもそも書を、それ独自で論じるなんて不可能だと思う。時代や社会との接合面が必ずある。詩だってそう。空海の書は美的なのかといえばよくわからない。


    四角の枠組みは、窓枠という日常の現実的なものから出発して、世界を、見る人の意識に応じて切り取ることのできる精神装置。また描かれた絵が、現実には目にすることのできない過去の神話、歴史的事件を描いた仮想現実であるということも約束事のひとつ。時空を越えて

    四角の窓枠は、ある瞬間、時代、ある場所、空間に瞬間的に入り込んでいけるタイムスリップ装置の要を構成していた→こうした操作は、どこまでも社会的文化的。

    ★その洞窟の中で行われていた宗教的儀式と表現技法は必然的に結びついていた、見ることと描くことは、対象を知り、所有し、表現し、共感するということにおいまては、言語と同じ。他者へ社会化へ向って開かれた作業

    マネの絵はアカデミックな絵にくらべると未完成にしかみえない

    絵画の自律性という基準自体がゆらいできている

    ★かつて限りなく個人主義化していった他者、共同体を取り結ぶ物語の共有、連帯という考えが再び美術の地平へとせりあがってくる

    社会、他者、自然との関係をどうとらえていくべきか

    ★個人主義的な表現は、美術館、画商、批評家、コレクターといった美術制度・市場に依存せざるをえない
    →そうか、「依存」なのか。なるほど。依存なんだ。

    クレオール化した共同体、地域の物語神話を美術によって語り、描くことがはじまっている

    かつてのモダンアートの中心にあったアートの自律という自閉的なスローガンは、社会、他者との共同活動の中で組み立て直さなければ

    近代的職業観によって、分類され、形を与えられる美術、美術作家ではなく、美しい美術を自らの生き方とし生活の場にそくして実践する実践家による美術

    美術・芸術は、たんに近代的な芸術観に基づいた絵画、彫刻といった次元を超えた、より多様な自発的活動として理解されてくるはず。近代的労働観、職業観をこえて新しい活動領域としてのアートがつくりだされていくはず

    魔術は、自然と社会が身体の中で統合されるのに不可欠な操作。アートの本質は贈与。

    技芸取得の目的は、古代インドでは、幸福な人生を追求、確保することにあったのだが、そのためには、全感覚、全知覚の覚醒、活性化が不断に求められることになる。こうした全感覚の覚醒、活性化の方法を、古代ギリシア人は「美学」と呼んでいた。感覚知覚を活性化させ、身体を通じて世界他者と結びつき、理解と関係を深めていく方向に、人間としての幸せというものを見出そうとした古代インドの世界観が、芸術であった
    →これだな。学問も、あわ居も、教会も、書道(臨書)も、あらゆるものが、「芸術」という解釈。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784891768287

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著者プロフィール

1948年福岡県生まれ。1981年ドイツ国立デュッセルドルフ美術大学卒業。国立デッセルドルフ美術大学卒業後、美術作家として活動。群馬を足場に活動するNPO法人「場所、群馬」代表。現在前橋文化服装専門学校講師、群馬県立女子大非常勤。展示空間として「前橋文化研究所」を運営。地域通貨maasー前橋作家協会を設立。著作に『日本のダダ1920ー1970』1988年水声社、『美術、市場、地域通貨をめぐって』2000年水声社、『美術、マイノリテー、実践』2005年水声社などがある。

「1995年 『SHIRAKAWA 白川昌生作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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