- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784891779597
感想・レビュー・書評
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博文館新社
渡辺一夫 敗戦日記
昭和20年 東京大空襲から終戦までの日記、エッセイなど
敗戦したことでなく、戦争に対して無力だったことへの後悔を綴っている。知識人として、文学者として 何をすべきだったか 問い続けた良書
戦争は いくところまで 行かないと 終わらない様子が伝わる。戦争は、戦うというより虚無と無関心になるまで 人間を追いつめていく感じ
「この小さなノートを残さなければならない。あらゆる日本人に読んでもらわなければならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持ちで生きたかが、これを読めばわかるからだ」
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1945年に東京帝大文学部仏文科の助教授だった渡辺がひそかに書き綴っていたフランス語の日記を翻訳・活字化したもの。「解題」の二宮敬によれば、没後の蔵書整理のさなかに偶然発見されたもの。本書には、この「敗戦日記」の他、1976年の初出発表後に妻が発見した「続敗戦日記」、戦時末期に渡辺が親しく付き合っていた串田孫一宛ての書簡、戦時・戦後を跨ぐ時期に書かれたエッセイ15編が収録されている。
「敗戦日記」1945年6月6日条には、「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ」(30)という一節がある。日本語ではなくフランス語で書かれたことも、そのような意識のあらわれだろう。
併載のエッセイも読みごたえがあった。1944年5月に渡辺は、「文学こそ救世済民の原理を究めるものだ」と書いた。国家と資本に危機が近づくと、いつも文学は迫害される。それはたぶん、権力が文学を怖れているからだと思う。 -
フランス文学者の渡辺一夫の終戦前後の日記とその他の書簡など。日記は特高や憲兵の捜索を恐れてフランス語で書かれている。戦争末期の状況や知識人としてこの戦争に対する批判が書かれている。戦時下に仏文科の書籍の疎開に心を砕かれ、戦後その書籍が東大図書館の中庭に戻ってきたときの喜びと、自身の書籍の幾箱かが行方不明となったことの悲しみが書かれていて胸に痛い。
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夕日が射す居間にて読み終える。世間は三連休らしく、近所は静かで、西日だけがうるさい。わたしは先生の引くことばのように、太陽を直視することはできないらしい。南の空を見上げて、先生のことばを読み返す。
「負けてはならない。さう思ふ。己の精神・思想に生きつくすのだ。死は恐ろしい。しかし、己の思想が敗れて死ぬのではなく、勝つならば死も欣ばしい。必ず勝つ。一日一日の情勢がこれを教へてくれる。決して情報局製の信念ではない。勝つものは勝つといふ現実の教へる確信だ。妻子に別れるのはつらい。しかし、これは思想の為に生き且つ死ぬ人間の忍ばねばならぬことだ。Rolland〔ロマン・ロラン〕のことばを想起せよ。封建的なもの、狂信的なもの、chauvinisme〔排外主義〕は、皆敗ける。自然の、人類の理法は必ず勝つ。Vive l'humanité.〔人類の栄んことを〕」
まるで遺書を認めるかのような心、その底にある希望。正義は勝つとヒーローは高らかに笑う。実際の世界はべつとしても、それでも夢みるだろう。Vive l'humanitéと声をそろえるだろう。