荘子: ヒア・ナウ

著者 :
  • パルコ
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本棚登録 : 68
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891947408

作品紹介・あらすじ

『荘子』は、二千五百年ほど前、中国で生まれた壮大な書物だ。奇想天外な話、ユーモアや皮肉のこめられた話、詩的で美しい話など、たくさんの物語が含まれている。荘子は私たちを笑わせながら、タオの深遠な思想を語る。

感想・レビュー・書評

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  • 荘子の一部を、わかりやすいく意訳されて読みやすく書かれていたが、荘子の教訓は伝わる内容だった。

  • 原典ではなく、『荘子』英訳本を日本語の詩に翻訳した作品。そのため、原典とは離れた表現もあるとのこと。
    著者は、『荘子』の面白さ・楽しさに主眼を置く。
    荘子は「笑い」を通して老子思想を一般の人に伝えようとしたのであり、「笑い」が体制社会の堅苦しさをほぐす、と分析する(あとがきより一部要約)。

    読者に語りかけるようなくだけた口語体と、やわらかな言い回しに惹かれた。
    難しい言葉は一切出てこないが、これってどういうこと?とたまに考え込んで手が止まる。

    今まで、老荘思想は現実では役に立たない厭世思想だと思っていたが、どうやら違うらしい。現実世界を否定するわけではなく、一回り大きな視点に立って息抜きする方法を教えてくれるようだ。冷静になって自分の思考を客観視する、カウンセリングの手法にも似ていると感じる。

    タオが何かは私にはわからないが、繰り返し説かれるのは「自分の素質のままに、自然体で生きる」ことだと思う。そうだな、私もそうしたい、と素直に肯定できる。
    現実世界に対峙するのにいつも自然体とはいかないが、一人でいる時くらいは、静かな水面のような心になれたらいい。「タオの人の動き」が最も心に響いた。

    著者の言う「笑い」は特に意識されなかったが、本書に出てくる孔子は聖人らしくなく、盗賊に議論でやりこめられたり、悟りの境地に至った弟子を拝んだり、随分人間的で面白い。

  • 老子やら荘子の特におもしろい話をくだけた言葉で書いている入門書みたいな感じです。
    読んでいてやたら孔子があてつけにされてると感じましたが、儒教思想のアンチテーゼが老子・荘子という構図だったことを知ってとても楽しく読めました。
    日本は今でも儒教的価値観が非常に強いと思うので、その息苦しさからから外れることができるこの荘子、とても楽しく読めました。

    特に必要ないものを切り捨てていけば、最後は身動きできなくなってしまう。
    それを自分の立っている地面が必要で、それ以外の地面は要らないから無くせば、一歩も歩けなくなるというたとえがうますぎて笑みがこぼれました。
    ガチガチの考えだけでは人間つまらない。
    自然体で楽しく生きるのが一番だ。そう説きます。
    おもしろかったです。

  • 西郷隆盛は
    「人を相手にせず
    天を相手にせよ」
    と言った

    名越康文は
    「自分の中の他人」がストレスになる
    と言った

    種田山頭火は
    「無にはなれるが
    空にはなかなかなれない」
    と言った

    『荘子ヒア・ナウ』の
    「光と無」(P9)を読んで
    無は無の状態になってもそれを意識している。
    空は意識さえしていない。
    山頭火の言う無と空はこのことか
    と思った

    「自分の中の他人」がストレスになるから
    一人ぼっち(孤独)になることを
    名越はすすめる。
    修行者が山にこもったり
    隠棲するのはそういう意味もあるのだろう。
    座禅もそうかも知れない。
    「自分の中の他人」がなくなれば
    では何と向き合うのだろうか。
    「自分の中の自分」?
    ふと道元の『正法眼蔵』の言葉を
    思い出した。
    「仏道を習うとは自己を習うなり。
    自己を習うとは自己をわするるなり」
    「自分の中の他人」をなくしたら
    「自分の中の自分」、更に突き詰めれば
    「自分の中の自然」、
    「自分の中のタオにつながるもの」
    を大事にすべきなのかもしれない。
    西郷の言った「天」とは
    そういうことか?
    --------------------
    P57「流れとスペース」より

    目はじゃまなものがなければ、よく見える
    耳は、じゃなものが詰まってなければ、よく聞こえる
    鼻は、詰まっていなければ、よく嗅ぎとる
    口だって、詰まっていたら、それ以上は味わえない
    心だってそう―
    詰まってなくて空っぽだと、考えが動ける
    くだらないものが詰まってなければ
    知識が、どんどん流れ込んでくる
    タオの自然の流れは、じゃまされるの嫌うのだ
    命が傷付いたり縮こまったりして
    うまく働かないのは
    流れをじゃまするものがあるからなんだ

    ↑無の大事さがわかる。
    子どもの教育でも束縛や抑圧が
    良くないことが理解できる。
    「学道すべからく貧なるべし」。
    「貧」とは「持たないこと」。
    無の意味はこれなんだと思う

  • 「荘子」全体から一部分を抄出した一冊。読みやすく話も面白いです。
    抜粋
    ・荘子の数々の寓話は、常に私たちの、区別心で理解したがる心性を笑いたしなめるのです。それを面白いと感じたり痛快と感じたりするとき、あなたの心は自由になっている。そのときあなたは、区別意識に拘束された自分の外に出ているのです。
    ・すべての生きているものは、呼吸をしているだろう?もし呼吸がうまくできなくなったとしたら、それは自然の動きを妨げたからだ。タオの自然は、昼も夜も止まずに流れていて命を養おうとするーすべての命を、ね。ところが人間は勝手にそれを詰まらせたりふさいだりするんだ。心はね、もともと、体の中を自由に流れ動くものなんだーただし、それには空いているスペースが必要だよ。
    ・鳥と獣は、それぞれ自分の仲間と集まって動いているし、木や草はそれなりの立場で立っている。このように、もともと備わった力で動いていけば、それが自分の人生をいちばんすんなりと歩むことになるんじゃないかね。そして、自然に目的に達することになる。何もそんなに、世界への愛だの、片方に偏らぬ正義だのと旗に掲げて太鼓を叩いて、まるで迷子を探すみたいにウロつかなくていいんじゃないかね。そんなことをすれば、それこそ、人間の本当の性質を迷わす事になるよ。
    ・社会で立派とされている人間はな、天から見ればダメ人間なんだよ。

  • 物語になってるから古文で読まなくていい。

  • 久しぶりに老荘思想関係の本を読みたくなったので手に取ってみたものです。
     著者によると、英訳された「荘子」をもとに自己の感性も加えて自由に約したとのこと。「荘子」原典の解説ではなく、「口語意訳」といった体裁なのでとても読みやすい著作です。
     「荘子」で紹介されている寓話、「胡蝶の夢」にしても「木鶏」にしても、知らず知らずのうちに常識と思っている私たちの「前提概念」を鮮やかに切り返してくれます。この刺激は爽快でとても心地よいものですね。

  • 070905

  • 『そこのあなた、ちょっと休憩していきませんか』この本を電車で読んでて、ふと隣い座っていた人にそんな言葉を言いたくなった。自然の儘が良い、自然の儘でいい。そんなゆったりとした生き方を教わった。

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著者プロフィール

1923年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、カリフォルニア州クレアモント大学院留学。信州大、横浜国大等に勤め、数多くの翻訳・著作のあと、「老子」の現代自由詩『タオ─老子』『求めない』が、共にロングセラーになる。

「2012年 『禅とタオ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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