絵本の読みあいからみえてくるもの

著者 :
  • ぶどう社
4.00
  • (4)
  • (1)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 3
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (142ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784892401794

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あたたかかったです。

  • 素晴らしい。村中さんの文章が心に素直に染み込んできます。絵本に魂が宿る感覚。こんなに絵本と人を繋ぐ架け橋を大切にする人、初めてです。本当、見習わなければ…と思いつつ、今日も広く浅い読み漁りをしている私σ(^-^;) 読み合いとはほど遠いな(^^;;

  • これまでのシリーズの中で、「読みあい」に関する論点や特質は出そろっている感があるが、それらをさらに裏付けるエピソードとして本書は読める。

    ・「そりゃあんた、おっぱいに似とるもんは、みんな好きじゃろう」
    ・「たった三両の車両」というどうしようもない自分の小ささへの哀しみ
    ・ところが小説を読み聞かせていると、なんだか私が朗読者として奉仕に徹しなければならないような心持ちに、不思議となってゆきます。(絵本の道具としての活動ではない)
    ・「たかが」の対局にあるのが、「絵本でなんとかしよう」という気負い。思春期の特に養護施設で私が出会った子どもたちは、そういう気配にとっても敏感でした。
    ・その試しに対して、まるごとの「わたし」の深さをどこまでさらせるか、が実は問われているのだと思います。思春期の子どもたちがつきつけてくる問題は、人として何を積み上げてきたかでなく、人として自分をどう掘り下げ続けてきたか、という私の問題でもある。
    ・みる、ということにハンデがない場合、無意識に視野に入ってくる情報を取捨選択しているということに気づきました。「みえる」ということのなかで、「みる」ことを選べるのです。
    ・読みあいシートは照れ隠しのお手伝いぐらいに考えていたが、「ことばを記す」ということには、それだけではすまない、大切なものが潜んでいた。
    ・あまりに「ものがたりとひとが結びつく」ということの中味がの検討がなおざりにされている。(「なに」がと、「誰」が、の双方が大切)

全3件中 1 - 3件を表示

著者プロフィール

ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科教授
児童文学作家・児童文学者
保育園・幼稚園・図書館・児童養護施設・老人保健施設・刑務所など様々な場所で絵本の読みあいを続ける。
『チャーシューの月』(小峰書店)で,日本児童文学者協会賞。
「長期入院児のための絵本の読みあい」(西隆太朗と共同研究)で,日本絵本研究賞。
『あららのはたけ』(偕成社)で, 坪田譲治文学賞。『こくん』(童心社)でJBBY賞。
主な著書に、『感じあう 伝えあう ワークで学ぶ児童文化』『「こどもの本」の創作講座』(以上、金子書房)、『保育をゆたかに絵本でコミュニケーション』(かもがわ出版)、『幼児理解と保育援助』共著(建帛社)など。

「2024年 『立ちあう保育 だから「こぐま」にいる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村中李衣の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
なかがわちひろ
ユリー・シュルヴ...
岡田 よしたか
かがくい ひろし
ヨシタケシンスケ
いせ ひでこ
ポール・フライシ...
マージェリィ・W...
tupera t...
荒井 良二
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×