- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784892571220
作品紹介・あらすじ
ナチスとは何か-宣伝から探る、その本質。世論は「つくりあげる」ものである-巧妙な大衆操作により、少年たちに銃をとらせた「宣伝的人間」ヒットラーの正体。
感想・レビュー・書評
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戦争
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近頃この手の本は出版されにくくなっているので、まずは復刊を喜びたいが、せめて写真はそのままの再掲ではなく、リプリントしてほしかった。ドイツでも70年ぶりに再販されることになった『我が闘争』だが、昔からこの「人を喰った」内容は議論となっていた。柄谷行人はこの本を、大衆がヒトラーの手の内を知ったうえで支持した点で、「広告」との相似性を指摘していたが、草森は、読めばあけすけな大衆侮蔑と操作術を知り「顔を朱に染めて怒りだすしろもの」でありながら、持つだけで価値を持つ、ある種の「護符」的な意味合いを見出している。
赤裸々に明かされたヒトラーのやり口をわかったうえでなお、ドイツ国民はなぜ騙されたのか? 例えて言えば、怪しげな羽毛布団や健康食品を売りつけられたお年寄りが、どのように騙すかを記した詐欺の手引書も合わせて買い求めているように見えるのだ。本書を読んで得心がいったのは、ヒトラーがそもそも説得の手段として、書き言葉の文章に重きを置いておらず、周りの支持者も人を騙し動員している意識が薄く、偉大なる総統に関するものはすべて届けなければならないという使命感が、このようなアイロニーを生んでいるのだとわかった。
著者も、いまや注釈だらけとなった『我が闘争』を反面教師的に読んで知識を見につけ、同じ轍を踏まないようにしなければならないといった言説の浅薄さを嗤っている。ヒトラーは、インテリゲンチャを徹底的に嫌いぬき、世論とは、大衆の心の総和ではなく、政治家が作りだすものだと肝に銘じている。大衆をひきつけるには、女を口説くのとおなじ方法でよく、複雑で客観的な分析など宣伝の仇敵であると考える。
「難渋な悪文」の典型のような『マイ・カンプ』だが、ヒットラーの政治論は、すべて宣伝技術論である。それは常に真の政治的効果を見定め、計略的かつ意識的・演出的に操作され、集中化や典型化によって「しるし」となる。大衆の操作の要諦はまずその肉体から手を付けるべきで、大の男でさえ女性化し幼稚化させる。多数決とは弱者の論理で、民主主義を嫌い、組合を目の敵にする。
当時のドイツに必要なもの、それは大衆の国民化であり、それはヒステリーに駆り立てることによって可能になると考える、徹底した「女性化」による征服を信条とする。ヒットラーにとって国家とは所与のものではなく、ドラマチックに作り上げられるものであり、まさしく「内容ではなく形式」が重要なのだ。単純になりたい、夢を見たいという人々の欲望を救い上げ、唯一で単純な目標を与え、大衆という素材をドグマのような形に鋳直す。
大衆操作・宣伝技術論である『我が闘争』を当の大衆が熱心に買い求めるという、ある種の滑稽さに通ずる話が他にもある。称揚される完璧な肉体を持つ青年たちに、ヒットラーやゲッベルスのようなどう見てもそれを持たないものたちが演説している構図がそれで、著者は青年たちがよく彼らの話を信じたものだと驚き、彼らの催眠術はそれほど完璧だったのだろうと半ば捨鉢な結論を下している。 -
ユダヤ人迫害の裏にはアーリア人種の優越理論があった。SS隊員は優秀なアーリア人の典型として宣伝された。ヒトラーは明らかに自らを神格化した。しかし人間くさい部分をも、神格化の重要な要素として利用し、演出した。三国同盟のうちムッソリーニはあまりにも人間臭く、ヒトラーと違って独身でもなかった。日本の天皇は徹底して雲上人だった。ナチスのヒトラーはスキンシップの神だった。ヒトラーの禁欲性や独身であることなどによって、人間以上の存在としてプロパガンダが作製され、いよいよ謎めかしい人物像に、宣伝大臣のゲッペルスによって作り上げられ、その上にヒトラーは乗っかっていた。そういうミステリアスなヒトラーが人間臭くも子供好きだというのは矛盾だが、人は首をかしげるどころか、むしろ神の降臨と見たのだ 。