ブクログ大賞

無縁声声―日本資本主義残酷史

  • 6人登録
  • 3.00評価
    • (0)
    • (0)
    • (3)
    • (0)
    • (0)
  • 2レビュー
著者 : 平井正治
  • 藤原書店 (1997年4月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894340657

無縁声声―日本資本主義残酷史の感想・レビュー・書評

  • 1927年、昭和2年うまれの平井正治さんが語った「日本資本主義残酷史」。平井さんは、釜ヶ崎に50年住んで、昨年亡くなった。日雇いで働き、夜は史資料をよみ、休みの日には神社や寺などまちを歩き、話をきいたという。「一言多いやなしに黙ってられん」(p.348)と、ここまで来たという平井さんは釜ヶ崎で労働運動をやってきた。

    ▼今でも、今のいろんな運動体見てても同んなじです。日本の左翼というのは、みな調子がええけど、いざ戦争になると、下っぱだけがみな取り残される。これは運動にしろ、土木にしろ、港湾にしろ、労働者がみなそうですわ。調子のええ時は、残業残業言うて、奨励金出してやらしといて、景気が悪うなったら下請け下っぱから順番に切っていく。結局、憎まれてるやつが窓際へ追いやられていく。これのくり返しで、もう無計画な経済のね。…

     反発も食らうけど、反発を恐れたらほんまのこと言われへん。ほんまのこと言われへんというのは、やっぱり本物の民主主義やないと思う。どうもいまの世の中、ちょっとした言葉尻に差別や何や言うて、叩きぐせがいまだに抜けてない。これはもう右も左も、保守も革新もないところで、いつまでたっても同じことや。(p.342)

    1997年に初版のこの本は、高村薫と稲泉連の寄稿を加えた新版が2010年に出ている。

    日雇いに対する偏見とそれをうまいこと使った差別の話は、こないだ読んだ竹信さんの『ルポ 賃金差別』で書かれていた女に対する差別と同じやなと思った。安くてええという「カテゴリー」は、個々の具体的な生を見ず、ただ偏見だけが勝手に歩き、ええように使われる。

    1966年から70年までは、大阪港で、日雇いが毎年24、5人も死んでいたという。1968年に日雇いが4人死んだ事件のとき、NHKが朝のニュースでとりあげた。そこに出てきたのは、港湾業者、役人、大学の先生などで、労働者は誰もおらず、なんでこんなに日雇い労働者がようけ死ぬんですかというアナウンサーの質問には「日雇いは根性がないからしくじる」とか「日雇いさんは未熟や」とか労働者に責任をかぶせる発言ばかり、役人は「これから安全指導を厳重にやりたい」とコメント。中にかろうじて一人「いや、しかし日雇いさんに危険な作業ばっかりやらせてる方にも責任がね」と言う社長がおっただけ。

    女は責任感がないとか、すぐに休むとか、そんな発言と同じやと思う。
    平井さんたちが運動で少しずつ改善してきた労働条件は、阪神大震災でぐーっと逆戻りしてしまった。

    震災の死者、6千何百人といわれる中に、野宿していて軒先の崩れたところで死んでいたのが見つかったという人は入っていない。行路病死、のたれ死に扱い。避難所では、「あんたどこの町会や」と、地域住民の団結と背中あわせに、よそものや野宿者の排除があった。「みんなが言うてる」というかたちでのデマの広がりもあった。復旧工事でも、建設には長期雇用のある程度技術を持った人を連れてくるが、つぶすほうの解体は路上手配も多く、現場に慣れん人や作業するどうし誰かわからず気心も知れず、それがまた事故や労働災害をうんだ。"ボランティア元年"だけではない、阪神大震災がみえてくる。

    ▼博覧会というのは、表の華やかな面を見てるけど、その前後に起きてる事件を合わせて見ると、ものすごくキナ臭い。(p.237)

    たとえば70年万博の最大の目的は、原発の推進。会場で配った関西電力のパンフレットには、原子力の時代の幕開けやと書いてあったそうだ。パビリオンの半分以上が電気屋、それは明治以来の日本の博覧会のほとんどがそうなのだ。そして、稼働する原発仕事の手配はほとんどが組関係。原発の飯場へ行った労働者には「反対運動のあるところで仕事をするほどつらいことないんやと... 続きを読む

  • 分類=経済・社会。97年4月。

全2件中 1 - 2件を表示

無縁声声―日本資本主義残酷史を本棚に「読みたい」で登録しているひと

無縁声声―日本資本主義残酷史を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

無縁声声―日本資本主義残酷史を本棚に「積読」で登録しているひと

無縁声声―日本資本主義残酷史の作品紹介

ただ一人の語り部が、ついに口を開いた!裏からみた日本資本主義の真実。大阪釜ヶ崎の三畳ドヤに三十年住みつづけ昼は現場労働、夜は史資料三味、休みの日には調べ歩く。"この世"のしくみと"モノ"の世界を徹底的に明かした問題作。

ツイートする